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儚くてうつくしい世界

話題:読書

ひとり江國香織週間なのかと思われるくらいに、江國香織(主にむかしの作品)を読んでいる。江國香織の作品は90年代が特にすき。最近のは前の感じとはちがうけれど(読みながらに違和感のようなものを抱きながらも読んでしまうのが江國クオリティ)と思いつつも江國ワールドのなかにある恋と静寂はきえない。江國香織は愛が孤独だとおしえてくれる。そして、孤独だけどあいしてしまうことも。
共感できてしまう女の心理や心境を江國香織はよくつかんでる。ふしぎできれいな言葉で。
江國ワールドが映像化されるとき、その世界観をこわさない儚くてうつくしい女のひとだといいなと願う。あたしのすきな「スイートリトルライズ」の中谷美紀はほんとうにピッタリで、こんなにも合うひとがいるのかと惚れ惚れしてしまう。最近観た「落下する夕方」もまたよかった。90年代に制作されたのに現代にも浸透していて、若い原田知世も菅野美穂もうつくしくて、渡部篤郎はすてきだった。ずいぶん前に読んだ話の内容は曖昧で、また読もうと読みたい本リストに加えた。
江國香織は、女の恋の話だけでなく家族や姉妹の話もとてもいい。独特な家訓やスタイルで生活してる家族たちはいつだって家族愛にあふれていて、読んでいて心地いい。
「なかなか暮れない夏の夕暮れ」は最近のもので複数のひとたちの話が交差しながら、さらに物語のなかにも物語(登場人物が読んでいる本のストーリー)があって読みにくさはあるものの読み進めてしまう。話のなかで、家族になりたくてなったのになってしまうと逃げたくなる、嫌なところがたくさんあるのに夜には一緒に寝て、となりで朝を迎えることのふしぎさを感じてもいいものなんだとおしえてくれた。あたしだけじゃないんだ、こう思うのはと。

恋をしてる最中のあの燃え上がるような想いも、近くにいられるようになるとうすまってしまう。原液のあまいカルピスが溶けた氷でうすまるように。それでも、一緒にいたいという気持ちがそのうすさも嫌なところも超越してしまう。超越ができるうちは、飛び出さない。そばにいたいと思ってしまうから、それが愚かなことだとしても。

深呼吸してみる

あまりネット(自分の興味のあるもの以外)を見ないで生活するようにしたら、普段以上にアニメや映画を見て、本を読めた。インプットしすぎて、そろそろアウトプットしないとあふれそうなくらいに詰めこむ。filmarksや読書メーターに感想を書きつらねるがどうしてもちょっとかっこつけてしまったり、文字数制限で書き足りなかったりもする。欲を言えば、アニメの感想を書くものもあるといいのになとかドラマも各話ずつつで書けたらなとか思うことはあるけれど記録するのってたのしい。

最近は、江國香織と村田沙耶香ばかり読んでいた。おすすめな本がたくさんある。何度読んでもおもしろいから手元に置いておきたくなる。そして、金原ひとみのエッセイ本が届くのもたのしみ。

春アニメもおもしろい作品がたくさんある。「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった」のカタリナの愛されヒロイン体質なのに悪役令嬢であるギャップがおもしろくて「イエスタデイをうたって」の片思いのせつなさに胸がぎゅうっとなって「かくしごと」の親子愛に感動しながら癒されて「放課後ていぼう日誌」のほのぼの感にも癒される「フルーツバスケット」は結末を知りながらも苦しくなりつつ毎週涙ぐみながらみてしまう「富豪刑事」のダイナミックさはくせになる。再放送作品もたのしい。
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馴れ合いの恋

話題:行くあてのない気持ち

あたしはまた恋をすることがあるのだろうか。感情の制御がむづかしく、衝動的に行動してしまうような。恋の力にうごかされる、自制の効かないあの状態に。恋はするのではなく、落ちるものというのは有名な話で、しようと思ってできるものでもなく、ひょんなことから落ちているのが今までのあたしの恋だった。結婚とか将来とかそういうものもハッピーな形で含まれたその恋はときめきや愛情を育て、与えてくれた。けれど、現実のなかに恋を落とし込もうとすると途端に具合がわるくなる。ハッピーに考えていた結婚や将来が突然と重くのしかかり、不安をすぐさま引き寄せる。恋だけをしていたらつながらないもの。それが結婚や将来なのかもしれない。

今の彼とあたしはどうなっていくのだろう。1ヶ月以上過ぎたホワイトデーや数ヵ月後には支払わないとならないアパートの更新料が現実を重たくさせる。期待しないということは簡単で、自己防衛でしかないこともわかっているけれど、期待してなにもされないことに慣れるのもいやだし、受け止めてつらくなることもいやだった。どうなるのかわからない、目的地の決まってないあたしたちのこれからに不安しかなく、せめて、なにかしらの方向性のようものを示してくれたらいいのにと思ってしまう。あたしがこうしたいと思っても、彼はまだだと受け入れない。いつまでもだらだらと一緒に暮らす(折半で、まるでルームシェアのように)だけの日々に意味はあるのだろうか。歳だけ重ね、どんなかたちにもならなかったら、ただ時間だけが過ぎただけで積み重ねたものなどなく、無意味だったと結論づけられるのがこわい。

過ごしてきた日々は馴れ合わせる。なにも決めずにきてしまったことが、期待や将来を失わさせた。新しくはじめることの不安、やっぱりなににもならなくても慣れているほうがいいと怖じ気づく日々。それでも、今年で28歳になってしまうという現実があたしには重く、そろそろ安心して眠りたいと思ってしまう。

ちいさな箱庭

話題:ひとりごと

村田沙耶香の「しろいろの街の、その骨の体温の」を読んだ。小学生から始まった物語は中学生になって無意識に起こるスクールカーストをリアルに生々しく描いていた。読みながら自分の学生時代に自然と意識がトリップしてしまう。

あたしの学生時代にもスクールカーストは存在していた。それをスクールカーストと呼ぶことを知らなかった当時、感じていたのは、グループがあるということ。イケてる、大人しい、真面目、オタク、どこかしらに所属して、中身のない話をする。ハブれないようにと必死である同級生たちとうまく馴染めなかったのはあたしが転校生だったのもあった。できあがったグループに入るのはなかなかにむづかしく、あたしはひとりでいることに慣れるよりほかにない状態で、無心に本を読んでいた。そして、その名残が今のあたしの一部となり読書は趣味となった。本には救われてばかり、ほんとうに。当時はオタクであることも気持ち悪がられていた時代、アニメを観てるなんて言えないし、すきな音楽もラジオも言えない。だれかが言った無難に同調する。真意なんてどうでもよく、輪を乱さないことだけが秩序だった。本のなかでは、自分の容姿に値段をつけて判断していたけれど、容姿もまた大事な情報だったなと思い出す。卒業してしまえば、そんなにも会わなくなるのに、学校という箱庭にいるときはそこがすべて。社会に出てしまえば、ひとりでいることを気に留めるものなんていなくなるというのに。あんなにもひとりでいることを悪のようにしていたのにふしぎなものだ。

社会にもカーストはある。どこまでもつきまとう呪いのように。学生の頃よりも社会に出てからのほうがつらいことが多かった。そんな社会とも年々折り合いをつけられるようになり、今年で社会人10年目となる。転職をしながらもスタイルを確立できてきたような気がした。本音を言えば、結婚して子育てしながら働いていたりしてると思っていたけれど。今年で28歳になることにおそろしさを抱きながら、今年こそはと願っている。
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