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紙の月

話題:最近読んだ本

図書館利用を始めてから読む本がどっと増え、すきな作家さんも増えた。そして、本がさらにすきになった。気に入った本は本屋さんにて買い求め、本たちは家の本棚からあふれてしまっている。


「紙の月」
映画の予告を観たときはそんなに観たいとは思わなかった。角田光代さんを読むようになってから原作者であることを知り、読んでみようと読み始めたら止まらなくなった。

「紙の月」タイトルがまずすきなのである。梨花は横領した自覚を結局一度も持たず、借りただけ程度にしか思えていない気がした。罪悪感のない犯罪ほど恐ろしいものはない。罪の意識なく、1億円という大金を横領してしまう。最初は、光太のためだった。それは、高校生のころにしていた募金の感覚に似ていて、募金したときにもらった手紙に書かれていた、感謝の言葉に一生の重荷を背負わせたのだから自分も一生をかけて救わなければならないという思い込み。その募金のお金だって親からもらっていたものなのに。光太に対して使ったお金も横領したお金であり、梨花には、自分の給料の範囲内で光太をどうにかしてあげよという発想が浮かばない。善悪の基準が世間とズレていて、やるからには徹底的にやるかまったくしないかと極端にしかない梨花にとって、困っていた光太を助けてあげると決めたから徹底的にやってしまったのだろう。

そして、大金を手に入れるようになり贅沢な暮らし、ホテルのスイート、エステ、ブランド品などが現実になり、淡々とこなしていた生活が夢になった。解説のなかにある、さわやかに破滅するは梨花の代名詞のようだ。お金でできるなにかに慣れてしまうと感謝は生まれず、当然さえも通り越す。光太が「だけど、ぼくは何を買ってほしいとかしてほしいなんて言ったこと、一度もない」と言ってしまえるように、梨花のしたことは光太にとって望んだりせがんだことではなく、あくまでも梨花が勝手にしたことしてくれたことにすぎない。こんな風に言えてしまうほどに梨花のことをなんとも思っていない。光太のこの言葉に梨花は募金のことを思い出す。高校生の頃の自分と光太を重ね合わせ、親のお金でなに不自由なく暮らしていた自分を当然のように、当然という意識さえなく享受していたことを。100万円を1万円が100枚だと思わず、かたまりだと思ってしまうくらいに金銭感覚はおかしくなっていたことに気づくけれど引き返すことはできないくらいに遠くへきていた。

梨花視点の話からわかる事件の全貌と梨花を知っている何人かが思い出し、感じる梨花の印象を総括しても梨花のことがつかめない。梨花には自分がなかったのだろうか。どこか他人事、そのひとつひとつが梨花の一部でしかないけれど全部が梨花でもある。現実感の希薄さがまた不気味な魅力をただよわせる。

パン屋へいこう

話題:デート

久しぶりに休みが合い、一緒にダラダラと朝寝坊をする。天気もよくて、布団を干してから約束していたふたりがすきなパン屋さんへ行く準備をする。彼の前で時間をかけてメイクをするのも久しぶりで、我ながら女子力の低さを感じつつ、しっかりとメイクする自分の顔を彼に見せることに多少の照れを感じた。

おいしいパンを食べて、食材や日用品の買い出しついでにモールにも出かける。たまには、遠くへ出かけるのもたのしいものだ。家で時間の許すかぎりは引きこもっていたいあたしも彼とのこういう時間が大事なことは知っている。出かけるのは面倒くさいことも多いが、休みが合うことも珍しいし、出かけることもなかなかない出来事になりつつあたしたちにとってこういう時間を作らなければ、喧嘩が増えたり、マンネリ化していくだけでそんな日常はあまりにも味気なく、つまらない。自由に録画したアニメやドラマを観たりはできなくても、彼がゲームをしたり、アニメを観たりする時間を優先させてあげることも一緒に暮らしていく上では必要なスキル。ひとり遊びが得意なあたしにとって、だれかに譲りながらプライベートである家での時間を制限されるのはつらいこともあったけれど、これを乗り越えられないのならあたしはだれかと生きていくことはできない。すべてを自分の思い通りにしたいのなら、ひとりで生きるべきなのであるという簡単な答えにさみしさを感じるうちは努力する。

数時間前から眠っている彼のとなりへ潜ることができるのも今はあたしのポジション。きらいなところを数えるよりも、すきなところを知りたい。たのしい日を数え、つらかったことを許してあげたい。
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