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あわよくば、夢

話題:ひとりごと

すっかりと6月に。梅雨よりも先に暑さがやってきた日々に体調がわるくなりそうなかんじで、精神も不安定。こころおだやかに生きることは、なかなかにむづかしい。

1年くらい会えていなかった祖母のお見舞いに行き、リモートであったものの顔をみられてよかったとおもいながら、1年前に会ったときは会話もできたし、ゆっくりではあるが自分で歩けていたのにとつらさもこみ上げた。そのときは入院もしていなかったし。病院での祖母は話すことも動くこともできなくて、あたしのことを認識しているのかさえわからなかった。あたしの1年と祖母の1年の歳月の差を痛感した。時間は平等にながれてはいるけれど、体感はまったくちがっている。もっとはやく会いにいけたらよかった。1年前会ったとき、もっと話したり、一緒にお散歩したらよかったと思いだすたび後悔で泣いてしまう。なんど経験してもあたしは学習しない。自分の都合を優先してしまう。ほんとだめだなとおもってもおなじことをくりかえす愚かさにかなしくなった。祖母がげんきなときに過ごした時間もあるけれど、歳を重ねたいまのほうが一緒にいることのたいせつさがわかるからか一緒にいたかったとおもってしまう。有限の時間をどう過ごしていくのかはずっと課題。

彼と同棲して3年が経って、すきなひとと住むということにも慣れることを知った。住みはじめは恥ずかしかったこともなんのその。互いによくもわるくも気を遣わなくなった。ときめきは日常にまみれ、我慢することも見てみぬフリすることもうまくなり、共同生命体のようにともに生きることを使命のように暮らしている。ケンカもあいかわらずするし、別れたくもなるけれど、同棲を解消したり浮気したりもしない。けっきょくはそんなことをするよりも彼と暮らす日々をつづけるほうがラクだとおもってしまう。すきや愛がつなぎ止めているのではなく、ひとりよりもふたりでいることに慣れてしまい、家族のような居心地、存在になってしまったことでかんたんには離れられなくなり、ひとりになることのさまざまな手続きをかんがえただけでくじけ、このままでいいやとなれてしまう関係性。ほんとうにもう限界だとなる日まであたしたちは一緒に暮らし、生きていくのだとおもった。

これからはブログも書いていきたいなとおもいながら6月も中旬になっていた。
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