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歩ませる

話題:いや別にすごい大事な話じゃないけどさでもさ誰かに曖昧な返事で聞いてほしいことってあるんだよ、あるんだもんだから、適当に聞いてほしい話

家の問題もいよいよ山場を迎えそう。いつまでも先伸ばしにはできなかった問題も終幕を迎え、新しい道を歩ませないといけない。淋しさやせつなさが込み上げる。一定のリズムでの平穏を手にいれたいだけ、だけど、それがいちばんむづかしいみたい。

それに合わせて、あたしも本腰を入れて仕事をどうにかしないといけなくて、ふわふわした現状を終わらせ、こちらも歩ませないと。やれるかな?じゃなくて、やるしかない現実でした。逃げたいことばかり、笑えないことも多い。これは、罰なのだと思う。だれもが目を背けた問題だから、当事者であるあたしたち家族が解決させないといけない。他人事ではないから無責任なんてどこにもない。

恥ずかしさやこわさが邪魔をして逃げていたことにも向き合わないと。もう、世界は待ってくれないみたい。ならば、神様、どうかあたしたちを最後まで見捨てないでね。

都合のいい解釈ばかり

話題:行くあてのない気持ち

感情の変化はどうしようもないものだと思う。想われなくてかなしかったのに、想われてくるしくなってる今をあの頃のあたしは想像さえしておらず、目の前のことだけをみつめ信じ疑わずにいた自分の無垢さと浅はかさを痛感する。以前のような想いがまるっと戻ってくればいいのにと願わずにはいられない。彼のことを愛せない自分が嫌なのだ。離れたくなはない、走馬灯のように思い出す記憶のふたりは笑っていたり怒っていたり忙しそう。感情は生きているから止められない。じゃあ、どこで生きている?今、なにに感情を動かしている?わからない。

どこまでも純粋な愛情に嘘はつけない。彼のことをすきな自分に戻りたいと切に願った。

情けなくて

彼とのこともどうにかしないといけないなあと考えながらも先ずは自らの地盤固めなのは確かでしょう。だから、彼のさみしいコールにも上手く応えられないでいれば拗ねられて、さらに面倒くさいことに。連絡をしないとか俺はいる意味あるのかと問われても、そんなこと聞かないでよ、今のあたしにという思いを堪えながら、大人な対応を努める。彼は悪くない。あたしの心境の変化がもたらした関係の悪化だから責任を取らないといけない。別れるという選択か、継続するにしてもきちんと今の心境を伝え理解を得ないと無理な話だろう。ずるずると交際期間だけ延ばしていても意味なんてない。互いが想い合わない関係は片想いと同じだ。彼もつらいだろう、そう思うと申し訳なくなる。中途半端はよくない。仕事のことが落ち着いたら、余裕も持てるはずと言い聞かせ保留。言い訳にしかならないけど、彼にも同じようなことをされていたからおあいこで許してほしいなんて思っていたり、ずるいよね。
次の恋があるわけでもないし、彼と終われば、しばらく、またひとり淋しい思いをしながら生きてゆくことになるだろう。ただ、彼への依存心や淋しさを埋めたいだけの衝動で始まった今の関係を後悔してる部分もある。ちゃんと悩んで決めればよかった。目先の不安だけを埋めたいだけに恋人を選ぶのは安易すぎた。それは、仕事も同じだろう。


あらゆる可能性が散りばめられている世界を生きているのに、そんなにすきでもないけど情があって離れるか離れないかと悩んでるって、どうしようもないよね。もっと早い段階で見切りをつけないといけなかった。後悔しても仕方ない。冒頭でも書いたように、今は地盤固めが先決。そこに集中。

答えなんて見えていたのに

話題:冷めた気持ち。

性虐待の記事を読んでいて、「 戦争や民族紛争では、必ず性暴力が起きます。それは民族浄化という言葉に表れているように、相手の民族に対する支配欲の表れと言えるでしょう。そういう認知の歪みを矯正し自己コントロールを身に付けるプログラムが必要です。 」という文に共感した。性虐待って、深刻な問題でメディアでもよく特集組まれるけど解決されることは少ないし、被害に遭われた方は一生の傷が残る。

そういう事件を知りながらもあの子は彼女という立場のあたしならなにしてもいいんだと思っているように感じる。彼はあたしがすきだからからだを求めることに悪気なんてないのだろう。当然、あたしが嫌だと感じていることに微塵も気づかず、キスをしてセックスをする。断れば、ショックを受けるし、怒るし、扱いづらい。そもそも、どうしてこちらが気を遣い彼の性欲に応えないといけないのだろうと疑問に思う。両思いでも嫌な時は嫌で、いつまでも両思いだとどうして思えるのだろう。不安だからと触れ、安心したいからと乱暴にする。嫌だったんだ、あたしは、ずっと嫌だった。一度、くちにした時に泣きそうな顔をされ、しまいにはくちも聞いてもらなくなった。あの頃はすくなからず今よりもすきな気持ちが残っていたからわるいことしたなと反省したけど、今は、どうしてわかってくれないのだろうでいっぱいだ。すきだからとセックスしないといけないのなら、風俗に行って性欲を満たしてほしい。あたしは相手できない。セフレでもなんでも作って、あたしをそういう対象に見ないでほしい、なんて、付き合ってるひとに対することばではない。ごめんね。

革命的な出会い

※バカみたいだけど本気な話。伊野尾くんやらジャニーズやらのことを真剣に語っている。こじらせてます。






ジャニーズを長くすきでいると遭遇するであろうことがある、担当制度は驚きとひらめきが詰めこまれているように感じる。担当と呼ぶのは、すきを上回る気持ちを与えてくれる存在になった時だと思っている。あたしの周りにはたくさんのジャニーズ好きちゃんがいた。彼女たちから唱えられるように自担への愛を聞いて過ごした青春時代。あたしがジャニーズを好きになるまでに時間はそうかからず、無駄に知識を深めて、勝手な親近感を抱いていた。妹が錦戸担当をしていたのもあり関ジャニ∞があたしの家では日常会話に浮上する頻度が上がった。あれは、2007年くらいだったかな、わたし鏡を聴いた瞬間、すきが舞い降りた。この声、この歌詞、なに。そのまま、47のDVDを観て、安田章大という存在を知りのめり込む。初めて担当と呼ぼうと思った。それからのオタクライフは、学生だったのでコンサートには行けないものの、始まっては終わってと繰り返される番組を一生懸命追いかけ、発売されるCDやDVDを買い揃えて、8周年、10周年を控えた彼らの怒濤の快進撃は止まることを知らないように進んで行った。いつからか勝手に
距離をズレを感じ、就職を期に担当を降りることにした。たのしかった青春時代、章大くんのくしゃっと笑う姿もやさしさも忘れることはなく、担当をしていた時間はなににも変えられない大切なもの。今でもすきだし、応援している。だけど、担当と名乗れるほどの熱量はなかった。

そうこうして、仕事に恋にと忙しい日々を過ごし、SNSを活用するようになり出会いが増え、くっついたり、離れたりを繰り返すような軽い関係を大切にしたり泣いたり後悔したりしていた。なんとなくで付き合って、喧嘩多くてもこの先ひとりで生きていくのは不安だと続けていた彼とも終わりだと何度も別れたり復縁したりしていた。仕事を辞めて、支えてはくれない彼に、せかいに絶望していた時、運命のように天使が舞い降りた。

某音楽番組を観ていた。あれが噂の伊野尾くん。すぐにわかった。JUMPをすきなひとたちが周りにいたので自然と覚えていたのだ。画面を通して伊野尾くんを伊野尾くんと認識して観たのは初めてだった。彼から放たれるキラキラはアイドルそのもの。こんな美しいひとになぜ今まで気づかなかったのだろうと不思議でならなかった。それから、頭にちらつく伊野尾くん。自然と画像を検索して保存の日々。そんな時、また彼と衝突した。ひどく落ち込んでラジオを聴いていたらJUMPが宣伝しているポップコーンのCMが流れた。涙がながれるほど、救われた。伊野尾くんにJUMPに救われた。彼らをすきになる以外の選択肢などなかった。

伊野尾くんのことを知れば知るほどすきになり、こじらせてくるしくなって泣いていた。なぜ、こんなにすきなのだろう。気づけば、CDやDVDを買っていた。何度も擦りきれるくらい繰り返し観て確信した。あたし、伊野尾くんを応援しよう。彼にならお金を使ってもいい。お金をかけずアイドルをすきになるのは簡単だ。お金を使ってもいいと思えて、それを実行した時、それが担当だとあたしは思う。あるひとのブログに書いてあった。すきな気持ちは無限だが、時間とお金は有限。限られた時間やお金をなにに使うか、それはとても大切なことで大袈裟だけど人生単位だと思う。それを伊野尾くんに使いたいと思えたのは特別なことで尊いこと。

伊野尾くんがいなければ、今のあたしはいないだろう。あのまま、彼とのことでもやもやと悩みくるしんでいたのだろう。それが、伊野尾くんに出会い、あたしの中で革命を起こしてくれたおかげで彼氏のことでもやもやと悩む時代が終わり、伊野尾元年となった。まだまだ、伊野尾担当としてはひよっこだけどね、すきな気持ちはいっちょまえ。伊野尾くんいない人生なんてあの日から存在しない。


伊野尾くん、ありがとう。これからもよろしくね。
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