スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

ステップダウン

話題:ふと思うこと。

GPSアプリをつけてから数日、常に互いの居場所を把握し合うというふしぎな関係性へと変化したあたしたちは、ステアップしているというより、ステップダウンしている気がした。これはいいことではない。はっきりとそうわかっていても、あたしたちはそれを見てみぬフリして咀嚼する。こんなアプリであたしたちは互いを監視し合いなにしてるのだろうっていうきもちになる。そしてもう、GPSアプリがない関係性にはもどれなくなっていることを深く実感した。彼が電源を切ったり、携帯をわすれたりすれば、居場所を把握することは困難になる。アプリを入れるまでは彼の言ったことをとりあえず信じたフリをし、言い聞かせていたのに、それさえもできなくなる。あたしたちはいまこのアプリだけが砦なのかもしれない、漠然とはっきりと自覚した。

信じることは祈りに似ているとなんかの小説に書いてあったがほんとうにそうだとおもう。あたしは彼を信じられないから代わりに祈っている。なんどもなんどもつよくつよく、行っていませんようにと願っている。なんともかっこわるい。そこまでして、あたしたちはいっしょにいたいのだろうか。離れてラクになりたい反面、いっしょにいてたのしい時間を知っているから治ることに賭けたいきもちもある。もう、なにも知らなかったころにはもどれない。GPSアプリを入れなかったころにもどれないように、あたしたちはどんどん破滅へと向かっているのかもしれない。そして、その破滅をいつ迎えるのか知らないあたしたちはいつでも爆発する爆弾を抱えながら生きているみたいだなって、自嘲気味におもった。

ペルソナを外す

話題:いままで と これから。

日々のなかに風俗が現れる。彼がおまえのそういうところが嫌なんだよと怒鳴るたび、うそまでついて風俗に行ったくせにと喧嘩になる。不毛な争い、これから先なんども起こりえる可能性を孕む言い争い。疲弊しては、先の見えななさに絶望していく。別れたほうがいいのか、様子を見るか、どちらがいいのだろうか。

彼がGPSアプリをインストールすることを提案したのは、風俗のことで喧嘩になり、どうやって行ってないのかを証明するのか?という問いに対してのアンサーだった。ここまでしないといけないのかという葛藤もあったけれど、彼がここまですると言うのはそれなりの覚悟だろうとしばらく様子見で決着。それでも、互いに含みを込めたことばがキリキリと胃を痛めつけ、爆発する。GPSアプリを入れたから、はいおわりとはいかない。それは彼だけの解決でしかなく、あたしはその間ももやもやとしつづける。そんなことを友人にラインで送れば、別れたほうがいいの一点張り。反省も更生もみえない彼に対して、支えてあげるとか一緒に乗り越えるとかは皆無で、それなのにあたしはうじうじと悩みつづけるラインを送ってくる。そんなあたしに彼女は、あなたがいいならわたしはもうなにも言わないと送ってきた。そりゃそうだと突き放されたその文字にわざとらしくげんきに返信し、もうだれにも相談しないほうがいいと悟った。

彼が風俗のことをかるく考える大きな理由は、ほんとうに性処理のためだけに行っただけで、正直に言えば罪悪感などないと。おいしいものをたべたくて、たべられるお店に行ってたべてきただけと説明した。だから、こんなにも乖離していたのだ、この論争は。性処理だろうとおいしいものをたべたかっただけでも、他の女のひととしたことは変わらない。この軽薄さは、GPSアプリを入れたところで行かないなんてことにつながるのだろうか。風俗に行ったことに罪悪感など抱いていなくても、彼女の嫌がることをしたことについてはどうおもうのだろうと問えば、おまえからもされたからと返された。きっとこの論争はずっと平行線。友人にうんざりされてしまうし、自分自身にもうんざりしながらもかんたんに割り切れないこの気持ち。された側にしかわからないこの気持ち、すっぱりできないのは、過ごしてきた日々がまだ色あせていないから。

爆発

話題:わからない

とつぜん、爆発した。いつでも時限装置が作動してもおかしくない状態にいたあたしたちにとって、この爆発はおどろきもしない、予測していたことだった。

彼が体調がわるいと病院へいったのは、2ヶ月前。点滴を打ったら治ったと報告をされた。なにも疑わずに過ごしてきた2ヶ月。あるときは、あたしが実家に帰っていたとき、祖母の介護をすると言ったり、実家に泊まりにいった彼は3週連続で風俗(ソープランド)へいっていた。まさかのできごと、すべてはうそでつくられていた。2ヶ月前、体調をわるくした彼は、病院へいった。そう、2ヶ月前。彼は性病になっていた。風俗でもらっていたことがきのう、発覚した。あたしには、大したことなかったとか適当に言っといて、しっかりと性病になっていた。そして、あらゆる証拠とともに風俗へいったことを白状せざるえない彼は、あたしにも移ってるかもと言いだした。おそい、おそすぎるカミングアウトとともに彼はペラペラとまるで男友達に話すみたいにヘラヘラしながら風俗のこと話した。そして、おまえの言動が俺を追いつめた結果、はけ口を求めていった。俺はわるくない、言動を改めないおまえがわるい。今後も改めなければ、いくと言う。

あたしの言動の変化を彼は生活しながらわかるだろうけど、あたしは彼がいっていないことをどうやって知ればいいのかと問えば、そんなの信じればいいだろうと言う。信じるがこんなにもチープにきこえたのははじめてだ。あらゆる証拠をみたって、いってないことを信じられるかわからない状態なのに、開き直りがすごい。結局のところ、彼だけに都合がいい条件で、それを守れないなら俺はいくと。どっちに転んでも彼本位。あたしは我慢をし、なにもきかず、おとなしくしていろという意味。それって、なんだろう。

関係性に意味をもたせる

話題:わからない

彼がソープにいく。恋人としてそれをどう対処するべきなのかよくわからない近ごろ。あたしたちは、半年以上していないけれど、その原因もソープだ。ソープへいくことをあたしは処理しきれない。だから、求められてもうまく対応できないし、する気になれない。嫌悪感や生理的な気持ち悪さがつきまとうゆえ、彼のことをそういう対象としてみることができなくなっている。そもそも、彼がソープに行きだしたのは、別れていたあいだのクセ。復縁しても治らないのだからずっと治らない。それはクセというか習慣とか病のようなもの。中毒と言ってもいいだろう。ソープがわるいともおもわないけれど、行くのならあたしにはそういうものを求めないでとおもう。行くか行かないかはもう関係なく、二度とあたしたちはそういう関係性にはなれないよねって。それくらいの覚悟で行ってほしい。

バレてないとのんきにスキンシップをとってくるたびに本気でその思考回路が理解できず、こんなご時世でよく行くよとおもう。それも2週連続で行っているのである。あたしが実家に帰っているあいだと祖母の看病をしにいくとうそをついて。名刺をみつけるたびにしずかに破り捨てている。以前はそんな名刺をつきつけて、喧嘩もしていたけれど、いまはそんな体力もなく、この状態をどうするかをかんがえる。別れるべきなのか、あたしも彼以外のだれかをみつけたりすればいいのだろうか、答えがみつからない。

あたしは、彼と過ごす時間がすなおにすきだし、たのしいとおもっている。ソープに行くなというよりも、性欲はソープで満たすものとして、あたしたちはプラトニックにしましょうっておもう。そんなことを言えば、いる意味ないと彼は言うけれど、ならなぜソープへ行くのか?となる。もう行ってないよとか行ったとしてもおまえが原因だと言う。このループは永遠につづくのだろう。したくなくてもソープに行く彼とセックスすることができれば、なにもないのだろう。そんなことみんなふつうにしてるのだろうか。世の中はつきあっていたらソープになど行かないと言う事実をあたしは知っているからけっきょくのところ、答えなんてふたつしかなく、我慢か別れるかのどちらか。そろそろかんがえないと。

恋愛進行形

話題:最近の出来事

さいきんは、映画をよく観ている。アニメやドラマも観ているけど、映画をたくさん観たいっていう気分な近ごろ。劇場にはあまり行っていないけれど、気になっていた作品たちが配信されたので、ここぞとばかりに観ている。個人的に作品を観たり、読んだりするとなにかを得たような充実感があじわえる。歳をかさねると友人と話したり、連絡をとる頻度もすくなくなり、会話というもの自体減ってしまう。もともと、友人もすくないのでひとりでできることに救われる。作品は否定も拒否もしないからありがたい。

いろいろと観た作品のなかで「あの頃。」のなかでなんども耳にした「恋ING」をよく聴いている。もともと、ハロプロはすきだけれど熱心なファンではないし、むかしのしか知らないのでさいきんの曲は知らないのだけれど、「恋ING」辺りは夢中になって聴いていた時期なのでなつかしさから聴いてしまう。当時は小学生とかでよくわからなかった歌詞が28歳のいま刺さる。つんくさんって、ほんとうにすごいって聴くたびにおもう。「片思いもできなくて、つまんない時期もあった」「いま実際恋愛中、ひさしぶりに夢中」「さみしい時期も無駄じゃないんだね」とかいまだからこそ、その意味がわかるし、刺さるし、この曲に出会うのが意味を理解できる年齢だったらなっておもうことおおし。音楽も映画や本、アニメもドラマも漫画もそういうことがおおくて、あのとき出会いたかったっておもっては、いまでも出会えただけよかったに落ちつく。

けれど、その逆もあって、あのとき出会えてよかったっていうときもある。それはそんなにおおくはないけれど、そういうものに出会えたときのしあわせの真価を理解するのはそのときから何年も経ってからなんだけど。あたしのなかで未だにだいすきなものたちは、10年くらいまえには出会っていて、何年も想いつづけていまにつながって、出会えてしあわせって噛みしめる。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2021年09月 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
アーカイブ
カテゴリー