話題:ひとりごと

あたしは、90年代、2000年代前半のドラマがすきでなんども観たりしている。いまのドラマもおもしろくないわけではないけれど、一度観ればいいかな程度にしか思い入れもなく、すき間の時間をうめるように観ているような感覚で放送当時はふわふわと待ち遠しくなるのにおわってしまえば薄れてしまう。量産されすぎたドラマは内容よりもそのクールを落とさず、なんとか着地させるような、ストーリーよりももっとべつのものを気にしているような、視聴率がとれるからとおなじような内容のドラマがおおく、おなじような顔の役者がでることで既視感さえ感じてしまう。先がよめてしまうストーリーでもおもしろい展開があればのめり込んでしまうのに、量産されたドラマは消耗品のようで、さみしいものだと個人的にはおもっている。

冒頭で書いたようにむかしのドラマがすきなあたしは、放送当時は幼いために観ていないものもおおく、物心がついてからレンタルや再放送で観たそれらの作品は未だにおぼえているし、観たりもする。王道な純愛ものがだいすきがゆえなのだろう、あの時代の作品があたしの感性と相性がいい。最近、再放送されている「愛していると言ってくれ」の純度の高さといったらもう、あのせつなさ、うつくしさに胸がしめつけられる。トヨエツと常盤貴子のうつくしさはほんとうに見惚れてしまうほどすてきで異次元。行間や表情、そのすべてに惹きつけられてしまう。いまのように便利じゃなかった時代だからこそのすれ違いや奇跡、簡単には連絡がとれないからこそのやりとりのたいせつさ、それらの過程が恋を愛に育てるのだと気づかされる。出会って、恋心を生み、その恋が愛になる瞬間をストーリーが進むにつれて感じる尊さ。その一歩一歩に一喜一憂する。今も思いだすだけでいとおしくなる。そして、主題歌のLOVE LOVE LOVEをいろんなアレンジでドラマのなかでかけるのもまたよくて、観終わるころにはLOVE LOVE LOVEがだいすきになっている。再放送をすべて観たらまた感想を書こうとおもう。

それにしてもあの時代の女優や俳優のうつくしさはなんだろう。ほんとうになるべくしてなった、才能のあるひとたちだというのが一目瞭然。(ちなみに、小学生のあたしのあこがれは松嶋菜々子だった。)もうすこしまえのアイドルもまたそうで、松田聖子なんてほんとうにアイドルだなとおもうし、歌もうまい。希少性というのもあるのだろうか。現代の量産され、似たり寄ったりのだれがだれだかわからないあたしは時代に遅れながら(もはや、取り残されながら)もすきなものをすきだと言っていられるあたしでありたいとおもう。