モンの言っている淫魔とは、人の精を糧とする魔物のことだ。
一度魅了されてしまうと、死んだことにも気づかないほど、夢中になってしまうのだとか。
「ちっ」
モンは背に担いでいた自分の剣に触れた。
ジトリとテトラとは、仲間になってまだ半年ほど。
テトラにいたっては出会った瞬間からあのような態度だが、それでも仲間がいるに越したことはない。
ドアノブに手をかけようとする。
「ま、待ってください」
その時、横から声をかけられた。
ビクリと肩が跳ね、そちらを振り向く。
そしてローブで隠れていないモンの顔を見て、固まっていたのは、
最初に庭にいた召使の子供だった。
「お、お願いです…
命をとるつもりではないのです。どうかお助けください」
子供は、震えながらも、どうにかモンにそう訴えた。
信憑性がないその言葉に、モンが黙っていると、なおも召使は懇願する。
「ほ、本当です。ほんの少しでも、僕たちにもは何日分もの食事になるんです…
ですから、しばらくお相手してもらえたらそれでいいのです」
むしろこの屋敷で人が消えたという噂が流れる方が、自分たちにとっては不都合なのだと必死に訴えた。
「本当なんだな」
「はい…」
ただでさえ小さい子供などは見ただけでも泣きだすほどの風貌のモンが睨むので、召使は今にも失神しそうだ。
そのようすが、正直可哀そうに思えてモンは抜刀するはずだった手を下に降ろした。
「お前は、いいのか」
「え…?」
少し間が空いて、モンがそう尋ねる。先ほど「僕たち」と言った。彼も淫魔だ。
しばらく召使はぼぅっとモンを見て、暗い廊下でもわかるほどに真っ青になった。
誘われていると勘違いしたらしい。バカが、と心の中で吐き捨てながら顎でジトリの部屋を指す。
「あの中に混ざらなくていいのかよ」
はっとした様子で、召使はモンとドアを交互に見た。そして首を横に振る。
「ぼ、僕は、その…お客様には頂かないので…」
「じゃあどうしてるんだ」
言いきらないうちに尋ねるモンに、うぅ、と恥ずかしそうに唸って、小さな声で「ご主人様に…」と答えた。
つまりモンたちを、この屋敷に招待したあの紳士だ。
「あいつも魔物じゃないのか」
「ご主人様は、半分は人なので…」
なるほどな、と呟いて、溜息をつく。
案外早く、招かれた理由もわかったので、モンはなんだが拍子抜けした気分だった。
「部屋に戻る…」
「は、はい。お休みなさいませ」
そして、深々と頭を下げる少年に背を向けて、モンは部屋に戻ったのだった。
翌朝、食堂へモンが行くとそこには人間の食事を食べる紳士がいた。
「昨日は、ウノがご迷惑をかけたようで」
にこやかに話す紳士の言っていることを理解するのに、モンは少し時間がかかった。
「ウノってのは、あの召使の名前か」
「ええ、失礼を致しましたら申しわけございません」
そこへ厨房から当人のウノが現れる。モンの前に食事を並べると、ぺこりと頭を下げて足早に去って行った。
「すみませんね。人見知りなんです」
「あれが本当に淫魔なのか?」
行儀悪く、肩肘をつきながら朝食を口に運ぶモンに、くすくすと紳士は笑う。
たしかに他の4人と比べると、ウノはあまりにも淫魔らしくないですね、と紳士も呟いた。
「元はね。私もあの子たちも、人間だったんです」
男の話を簡単にするとこういうことだった。
紳士は、本当の貴族であの子供たちは紳士の父によって集められた美童だったらしい。ただ、ウノだけはあの性格なのでしばらくすると紳士の世話係に回されたのだそうだ。
だがある日突然、盗賊によって家を襲撃された。
父は殺され、まだ若かった紳士は運よく生き延びた4人の美童とウノを連れて、かつて無人だったこの屋敷に逃げこんだ。
金もなければ、食べ物もない。子供たちはもちろん、貴族育ちの紳士は働きかたもわからない。
紳士は空腹に耐えかねて、子供たちを置いて、屋敷の裏に広がるふらふらと森をさまよった。
そして魔女に出会ったのだ。
ことの流れを泣きながら話す紳士に、魔女はそれならと楽しそうに提案したという。
そして魔女の術で、紳士は魔物になり、彼に襲われたウノを含む5人の子供も淫魔になった。ただ紳士だけは半分人間にして、人が訪れなくても飢えないようにした。
「魔女にあったのは、そのときだけでした
私たちは人間の魂と引き換えに半永久的な命を手に入れたのです」
話を聞き終わって、コーヒーを飲む紳士をモンは殴ってやりたくなった。
紳士が言っていたのは「貴族狩り」という半世紀ほど前に流行った事件だ。
昔、贅沢すぎる貴族の屋敷を一般の若者たちが次々に襲って、家人を追いだした。結局は警備隊などによって鎮静化したらしい。
紳士の、魔物になってまで生き延びる神経が、モンには信じられなかった。
その時、少年2人を侍らせたジトリが部屋を訪れた。
「おはようさん」
食事が終わったモンをくくっと笑い、今日も泊まることを告げる。
「…しぼりつくされるんじゃないぞ」
おそらくリーダーであるこの男は彼らが淫魔だと気づいているはずだ。案の定ジトリはニヤリと笑って頷いた。
「はは、レベルを考えろよ」
どれだけ精を取られようが、心配ないと言いたいのだろう。
「それならいい」
「お前も、あの召使の子に食わせてやればいいじゃないか。昨日話ししてただろ」
どうやら、最中でも部屋の外での会話に気づかれていたらしい。すると両脇にいる少年が色めいた。
「えっウノみたいのなのが好きなの?」
ジトリを挟んでこそこそと「お似合いかもね」と囁き合う二人に、モンの眉間のしわが増える。
昨日の真っ青になった様子から見ても、脈などありはしないとふと考えて、そんなことを考えている自分を嘲笑した。
「飯は食っておけよ」
「ああ、わかった」
席を立ちながら、ジトリと入れ替わりに食堂を後にする。どうやらテトラは寝ているらしい。部屋の前を通っても、物音一つしなかった。
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あれ?エロがない…?