ティカルがぽっかりと目をあけると、湯殿係の使用人がほっとした様子で自分を覗きこんでいるのがみえました。
「王様!ティカルが目を覚ましました!ありがとうございます」
そう彼がいうと、少し離れたところから「あぁ」と返事があります。視線をやると、もう湯殿からあがって服を着ている最中のプラムがそこにいました。
「あ、僕…」
「王様が湯船から引き上げてくださったんだよ?よくお礼を言いなさい」
彼も、もちろんティカルが王子だなんて知りません。しかしティカルは仕事を教えてくれる使用人仲間が、自分に敬語を使わないのは慣れていたので、素直に「はい」と言って起き上がりました。
「プラム王、助けていただきありがとうございました」
「・・・あぁ」
むしろ驚いたのはプラムです。ティカルを使用人にとして扱うようにしたのは自分ですが、こんなに何の抵抗もなく使用人から指図を受けているティカルを不思議そうに見ました。
プラムの視線を受けて、ティカルはもじもじと、何かを言いたそうに見返します。
「俺に何か用か」
「…!
あ、あの、戦いのことなんですが」
ティカルの冒頭の言葉でプラムは援軍のことを聞きたいのだなと、はじめに思いました。
もうすぐ、ティカルの国に援軍を送るのです。援軍と引き換えに連れてこられたのですから、気になるのもしかたないだろうと。
しかしティカルが続けたのは、援軍を送る日にちだとか、規模だとかの話ではありませんでした。
「た、戦いをやめることは出来ないですか?」
「それは、援軍を送るなということか?」
少し冷えた声が出ました。ティカルは必死に言葉を探して探して、どうにか「戦いになるなら援軍は欲しいです」と言います。
プラムはティカルが何を言いたいのかわかりませんでしたが、自分が何か言ってしまうと、ティカルはそちらに気を取られてしまうようでしたので、少し黙って聞いてみることにしました。
するとティカルは、子供のようにキラキラした目で言ったのです。
「お隣の国が、水に困らないようには出来ないですか?
そうしたら、お野菜も果物も実って、戦いもなくなると、思うんです」
「…はぁ」
プラムは思わずため息をつきました。ティカルが名案だという顔をするので、一瞬反応が遅れたほどでした。
返事をする元気もないプラムに、様子を伺っていた湯殿係の使用人がティカルの肩を叩きます。
「ティカル。戦いを仕掛けてきた国には、雨が降らないんでしょう?天の恵みは僕らにはどうしようもないよ」
ティカルが世間知らずのお坊っちゃんということは彼も知っていましたので、優しく諭すように言います。
プラムも心の中で同意して、これだから戦いに慣れていない国はと、がっかりしていました。
しかしそう言われたティカルはさらりと、「雨は降るよ」と言ったのです。
「…ではあの国は嘘をついているということか?」
ただの略奪のためだろうかと思い、プラムが尋ねると、ティカルは説明し始めました。
「ううん。あの国には確かに雨が降っていないんだと思う。
でも、僕の国とお隣の間には大きな山があって、そこにはよく雨雲がかかってるのを見るんだ。
僕の国にはその山から流れてくる川が国中に広がってるけど、向こうの国には今はないみたい。
だから雨が降っても、水が一気に流れてしまって、干からびちゃうんじゃないかなって思うんだ」
「ティ、カル…?」
使用人仲間が、びっくりした顔をしています。第一にプラムに敬語を使わずに話していることもありましたが、言っていることがまともだったこともびっくりだったのです。
同じようにプラムも驚いていました。
「今はないみたいってどういう意味だ」
ティカルは少し興奮しているのか、小さく「ブヒ」と鼻を鳴らしました。
「古い地図と新しい地図を見比べてみたら、昔はあった川や湖がなくなってるの。
お城の横に、大きな川を作ったらからだと思う」
「そうか…。大きな川は大量の水がいるからな。それに流れも速い。
その地図は持ってきていないのか?」
そういうとティカルは見る見る内にシュンとしてしまいました。
「あの…、写したのがあったんだけど…、
ちょっと、いろいろあって、破れ、ちゃって…」
ティカルの脳裏に、あの会議の日が思い出されます。ティカルは我を忘れたあの時に、大臣だけではなく、大事に丸めて持っていた地図までも、ボロボロにしてしまっていたのです。
そうです。ティカルがプラムに話したことは、元々、あの会議の日に、父王に話したかった「
戦いを避けることができるかもしれない方法」だったのでした。
プラムはじっとティカルを見つめました。
ティカルも、こんなふうに自分の意見を長くお話しすることはありませんでしたから、ドキドキしながらプラムを見ます。
使用人仲間は、途中から話が難しくなって混乱した顔をしていました。
しばらく考えていたプラムが静かにティカルに言います。
「大体でいい。その地図を描けるか」
「…!
ブヒうん!大丈夫、覚えてるよ!」
鼻が鳴ってしまうのと、「うん」が同時になってしまいましたが、プラムは少しも気にした様子はなく、「ではあとで俺の部屋に来い」とティカルを誘ったのでした。