スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

:†頼ったりお願いしたり任せたり†:




はい。皆様どうもです♪
長引いた歯の治療が一段落着きまして心無しか安堵しています燈乃さんですっ!!

歯茎の炎症も治まり、今の処痛みも再発していないので、暫くは様子見になるのですが、それでも気持ち的には大分楽です。

気分が落ち着いたり、ホッとしたり。
自分の気持ちが穏やかな凪の様だと感じられるのは、実は大切な事なんですよね。
自分の抱いている気持ちの把握。客観的な心境の見方と、その変化への対応とか。

今回は、そんな心のお話を少しだけ。

つい最近テレビ番組で『鬱病の兆候の十項目』をやっていて、かつての自分が正しくそれだったので、少し怖くなりました。

病院に行く程の症状では無かったんですが、そう言った波や深みに呑まれて仕舞っていた時期が実際に有りました。私の場合は一ヶ月未満程度で済みましたが、生きているのが本当に億劫で憂鬱で苦痛でしか無くて、生きている事に希望が抱けなくなってましたね。本当に楽しくないんですよ。

大好きな夢小説もイラストも『所詮やったって何にもならないんだから』と。『未だそんなものに縋っているのか』と。まるで誰かに言われているかの様で手に付かなくなって。日に日にどんどん苦しみだけが積み重なって行って、でも、死ぬのも生きるのと同じ位辛くて痛くて悲しい事だと。
それを身を以て知って、情けなく泣いて、自分の命と向き合える様になりました。

『死ぬのが生きるのと同じ位辛い』なら、『楽しく生きて行くにはどうするか』を考えた方が、よっぽど楽しいし、自分への生き甲斐が有ると思えるようになりました。
発想の転換だと言って仕舞えばそうですが、心が生きる力を失い掛けている時に、『どうすれば今よりも明るい場所に行けるか』と、簡単に答えの出せる人はそう多くは無いでしょう。心に乗し掛かる自分への自己嫌悪と劣等感が道を塞いで、前に進めない。逆に悪循環の中を無理に突き進もうとすれば、心が八方塞がりになって、苦痛から逃れようと命を絶つ事も有るのです。

今回の記事の題名もそうですが、誰かに頼ったりお願いしたり任せたりするのは、実は決して恥ずかしい事では無いのです。

個人の身体は一つだけ。命も一つだけ。

だったら、自分一人で問題を抱え込まずに、誰かに打ち明けたり、相談したり、小さくて、ほんの些細な処からでも自分の負の部分を分散してみるのは如何でしょう。

仕事だって、一人で回せるものとそうじゃないのが有るように、一人で回せないのなら、周りの人の力を借りてみるのも一つの方法です。仕事を投げ出すのも手っ取り早い方法ですが、私の中でそれは最終手段ですね。心が暗い方に傾かない様に、意識して休みを入れるのも有りだと思います。

ただ、それが罷り通らない部分が有るのが今の日本の現状っ!!凄く世知辛いっ!!

労働時間と人の命の重さは絶対に違う。
真面目で誠実な人ばかりが馬鹿を見る。
必死で訴える悲鳴が聞き入れられない。
そんな責任社会なんて滅びれば良いよ。

最終的に社会への不平不満に着地して仕舞いそうですが、今は取り敢えず保留で。

鬱病の疑いのある方は、お医者さんに相談する事をお勧めします。億劫でお医者さんに行きたくない人は、心身を十分に休めて、心が疲れて仕舞う前に自分が好きだったものを、頭の中にイメージするのも良いかも知れません。お菓子とか花とか空の色とか。風景とか季節。明るい思い出とか。

真っ暗な道に小さな花が一輪ずつ咲いて行くイメージ。その人を内側から暖かく包む灯のイメージ。その花や灯はその人の一部なので、枯れる事も無くす事も無く、その人の中にずっと有り続けます。そして、意識の外に好きなものが有る事は、その人がその場所にいると言う確かな証明です。

その人が生きていると言う証明です。

人生が半分ずつの苦楽で出来ていて、死ぬのも生きるのも同じ位辛いなら、明るい方に歩いて行った方が、きっと楽しい。

自分の楽しくなる事を見付けるのだって、生きる中で『楽しい』の一部になる。
お気楽とか。能天気とか。向こう見ずとか。そんなのは自分が一番知っているから、寧ろそう在りたい。穏やかで在りたい。

確かな幸せの形は未だ見えませんが、今はそれだけで生きて行けそうな、そんな感じで日々を過ごしている燈乃さんでした。

来る五月は鬱病の多発月とか。
皆さんもどうかお気を付けて。



ではでは、今回はこの辺で☆



*

:†光の差す山間の路にて†:




土と木々と花と水の香りに誘われて


穏やかな心持ちで砂利石の道を歩く


生き急ぐ時間の片隅で見付けた温度


山間から差す光は空気中に拡散して


酸素や炭素や命の欠片へと還元する


柔らかな風の輪郭を空へと解き放ち


多彩に勝る繊細な陰影を描き上げる


かつて深い海の底で一つだった個が


長い時間を積み重ね種は枝を分かち


意識の匣に魂を宿して光あれと囁く


山間の小路にて春の息吹が満ちる中


淡い新芽が光を求めて目指す場所で


空虚と有象無象との狭間を垣間見る







カンパンの缶の中の氷砂糖を口の中で遊ばせながら、その純度の高い透明な甘さを愛でながら、誰にも邪魔をされずに、猫の様に丸くなって、泥の様に深い眠りに就きたい今日この頃です。眠いとにかく眠い。

田畑の周りを歩きながら言葉を紡ぐとは何処の春の修羅かと思われますが、燈乃さんは至って普通の人間です。腐海出身者ですがまだ人間です進化途中です。自然鑑賞はネタの宝庫ですね。どれもこれも見ていて楽しいですし、色々と勉強になります。



ではでは、今回はこの辺で☆



*
前の記事へ 次の記事へ