どれだけ悪いことがあっても、たった一回のいいことで帳消しになることがあるってはなし。
学生時代に書いたこれもだいぶ古い話。
晴れた日の
「―――――いい天気。」
空には、雲が少し。
真っ白な部分と、重なって少し青みがかった白、その部分を互いに高め合うような澄んだ蒼。
ただ一色の蒼でもなく、雲があるおかげでいつもよりも生き生きとして見える。
綺麗に晴れた、空。
こんな日はうきうきする。
何かいい事があるような気がする。
だからこんな日は必ず、自転車で遊びに行く。
「さぁってと、行きますか!」
愛用の少しぼろっちい自転車を、ぎぃぎぃ、と鳴かせながら、アタシは走り出した。
プシュ
缶ジュースのプルタブをあけて、冷たい中身を飲む。
「…………はぁ。」
行ってみた本屋さんには買おうと思っていた本が無くて。
川沿いの道を走っていたら、穴にはまってこけそうになる。
この間見つけたケーキ屋さんに行ってみれば、今日は定休日で。
おまけに、今。自転車のチェーンが外れた。
「…サイアク。」
ねぇカミサマ。
別に、そんなに、悪いことした覚えないです。アタシ。
成績は、確かに下かもしれないけど。一応、素行は悪くないです。
なんでこんないい天気の日に、アタシだけ鉛色。
周りが白で蒼で、透明なのに。
アタシの周りだけ、黒で、灰色で、不透明。
ああでも。ジュースは冷たくておいしい。
「どーしよーかなー、この自転車。」
チェーンが外れて、もうこげないし。
捨ててくのはちょっと名残惜しい。それに、不法投棄だ。
でも。これを素直に引きずって家まで帰るには、けっこうな労力と時間がかかりそう。
「がんばって直すしかないのかー。」
虚しい。
仕方なく、直す事にした。
チェーンを引っ張って、ペダルの方にある歯車にかける。
なかなかかからないし、おまけに反対側まで時々外れる。
両手は油まみれで、せっかく買ったジュースはぬくくなった。
「この…っ、おんぼろめ、いい加減にはまってよ!」
何度も何度も同じ作業を繰り返す。
でも一向に直せそうな気配が感じられない。チェーンをかけ直すって単純な作業なのに。
ああもう、サイアク。
こんなにいい天気だから、何かあるかもしれないって期待したアタシの馬鹿。
何にも無いじゃない。
いい事の反対だらけ。青空の反対だらけ。
サイアク。
「うっわ、真っ黒じゃねーか。」
「うぇ!?」
集中していた所為もあって、背後の気配に気づかなかった。
どちらさんなんでしょー。
す、と後ろを振り返る。
そこに居たのは自分と同い年ぐらいの男の子だった。
ごっつい黒のメガネかけて、ダボダボの服を着て、そばかすだらけの顔をした、男の子。
「……誰?」
「………一応、同じクラスの、席も斜め後ろ。」
「あぁ、ごめん。印象無いわ。」
ちょっと、がっくりきたっぽいその子が、それでもアタシのそばに座ってくる。
「チェーン、はずれっちまったのか?」
「そー。ほんと、サイアク。」
「ちょっと貸してみろよ。」
真っ直ぐ言われて、とりあえず油だらけの手を引っ込めた。
それから、彼がひょいっとチェーンを掴む
「ちょ、ちょっと!!」
「だいじょーぶだっての、チェーンぐらい直せる。」
「そうじゃなくて、手!! 汚れるじゃない!」
「それぐらい別にいいじゃねーか。」
いや、そっちが良くてもアタシはちっとも良くない。
良心が痛む。
一回か、二回、チェーンを引くだけで、あっさりと歯車にかかった。
アタシの何が悪かったんだと言いたいぐらいに、あっさりと。
しっかりと固定されたチェーンを確認して、彼が得意げに笑った。
「ほら。」
「それはどうでもいいのよ、手、出して。」
言うより早く、男子の手を掴んで固定する。
それから、ポケットからティッシュを引っ張り出してごしごしと手を拭いた。
爪の間まで入り込んでいる黒い油は、広がるだけで消える気配がない。
「ああもう、なんでウェットティッシュ持ってないの?!」
「いいって、そんなの気にすんじゃねーよ。」
「アタシが嫌なの!」
だって、悪いじゃない。
アタシの自転車をわざわざ直してくれたのに、そのまま帰すとか。
別に対して親しくもないアタシのために。足を止めて。手を油まみれにして。
しなくても良かったことをしてくれたのに。
「――あ、取れた?」
「あーーー、まだべたつくけどな。」
「ごめん。」
「気にすんなよ。それこそ俺が勝手にやっちまったんだから。」
さっと、彼が立ち上がる。
「え?もう行くわけ?」
「ああ。直しちまったし。それでもう大丈夫だろ。」
「ああっ! 待ってよね! お礼するから!」
「いらねー。そんなもん貰うためにやったんじゃねーし。」
ひらひらと手を振り、そのまま歩き出す。
やだ。ちょっと。待ってってば。
自転車をほっとくわけにもいかないし、油で汚れたティッシュの捨て場所もわかんないし。
ワタワタしてるうちに、彼がどんどん遠ざかる。
ねぇ、ちょっと、まって。
悪いじゃない。せっかくの青空なのに。こんなことさせちゃったのに。
あんな人に。アタシってば、何もできないままなの?
ねぇ、
「…ありがとう!」
みっともないぐらい張り上げた大声に、ひらりと、もう一度。彼が手を振った。
帰ったら、まず、クラスの名簿を見よう。
それで、彼が誰なのかを知ろう。
それから、追いかけて追いかけて、ジュースでも押し付けよう。
きぃ。さっきよりもよほど軽く。自転車が鳴いた。
―――――――やっぱり、今日。いい日かも。