またJFKT

皆さんお疲れであります(疲) 何か知らんが何もしてねぇのに疲れとります(^^;)特に前腕の疲労が蓄積してる。やはり仕事で使い、トレーニングで使い、たまにベース弾くとダメージあるわ。乳酸溜まりまくり(^o^;)


上念司や倉山満が三橋貴明氏を芸能人呼ばわりして小馬鹿にしているのはご案内の通りだが、田中秀臣まで芸能人中村とツイートしている事につい先ほど気付いたぞ。田中のツイッターなんざ滅多に見ないので
この人以前『討論!』の場では三橋さんの意見に同意してなかったか?リフレ派はこんな奴らばっかなのか?田中に教わる学生も不憫だなw俺も田中にツイッターでブロックされないと一人前とは云えないかも?

因みに今朝の『おはよう寺ちゃん』でも上念は三橋さんをディスリスペクトしていた。幼稚な男である。三橋さんが相手にしないのを判っとるからやってるんだが、面と向かってやれるのか?何度も書いてきたが、この三橋バッシングの原動力は一体何なのかね?例えば三橋さんが『財政出動反対』と云ったら、この男は賛成に回るのかね?それともそれをネタにまた馬鹿にするのか…
上念塾や倉山塾の人達も、いい加減目を醒まさないと、後戻り出来なくなるんじゃない?別に俺には関係ねぇけどさ。そして、こうした連中とつるむ事を選択した古谷君の運命は如何に!?
続きを読む

続き

mblg.tv
 マクド化理論を別の角度から解釈すると、こうも言えます。社会というものは、人間の意思や意図が複雑に絡み合う。したがって、どんな発言も社会システム全体の状況になにがしかの影響を与えざるをえない。普通の物理学のシステムとは全く違うのです。太陽が地球の周りを回っているといくら人間が言っても、物理学のシステムはなんら変わらない。しかし、経済は多くの人が、これから不景気になると思えば、お金を使わないから実際に不景気になる。これが自然科学と社会科学の根本的な違いです。 で、マクド的社会科学者たちは、基本的に社会のシステムを自然科学的に捉える傾向が強い。社会科学を物理学の応用と位置づけるんですね。
例えば沈黙のらせん理論も、実は物理学に説明できる現象です。デフレも、需要と供給のギャップと見れば物理学的に捉えられる。もちろん大津波は完全な物理現象です。このように、社会のシステム全体を物理現象と見て終わらせるのが、『見』の学問です。
一方に『観』の学問がある。沈黙のらせんを破ったのは、『王様は裸だ』という一言であるという事実を考慮の外におかず、そこに社会の本質が宿っていると観て取る。あるいは、デフレの進行を止めるためにどんな政策を打つべきかを考え、大津波に対抗するために強いインフラを強い意思でもってつくりあげる。つまり、システムを一面において物理現象とも捉えつつも、そのシステムが人間の『意思』の力でもってさながら生き物のように展開していくものでもあるというふうに、そこにある命や志というような物理学的には捉えようのないものも含めて大きく、かつ、深く捉える、それが『観』の学問です。 要するに、その根底に全体を見通し、かつ、その背後にある潜在的な命や志を感得しうる志の力、あるいは、人間力のようなものがないと、マクド経済学のように、どんなシステムも自然現象のように扱う学問しかできない、ただ単に小賢しいだけで、薄っぺらい、もやしっ子のような学者ができあがるのです。
      藤井聡
続きを読む
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年12月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アーカイブ
カテゴリー