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更新

『神さまの手のひら8』更新しました。
何ともコメントしづらいところに入ってきたのですが、私としては究極の選択というイメージで書いています。

それにしても根本。シリアスな君を書くのは変な感じです。
ちなみに彼はバイト先(自販機の補充)の小型トラックで、香代子を乗っけて病院に乗り付けるという真似を『神さまの手のひら5』でやらかしているのでバイトをクビになっています。
今まであまり出てきませんでしたが、彼はあれでも一応副部長なので、今は部長代行で忙しく過ごしています。
「副部長って楽そうじゃん? 部長の後ろでてきとーにいばってればいいんだろ?」というような勢いで高校時代に副部長になってから、哲士と部長&副部長コンビな根本ですが、こういう事態になった時に逃げずに部長代行をやろうとするところをみると、ベースが真面目なのだなぁと思います。

哲士の怪我の影響が、じわじわとまわりに波及してきました。
物語全体としても最終章ということで、恋愛色を強めながら、最後まで書いていきたいと思います。

神さまの手のひら

『神さまの手のひら7』更新いたしました。気づけばもう7です。
今回は哲士どん底まで落ちるの巻でした。
今回の『神さまの手のひら』というタイトルは、文中の哲士の独白、「神さま、俺はあなたの手のひらからこぼれ落ちたひとりだ」からきています。

努力vs才能という論議は昔から繰り返しなされてきた論議だと思うのですが、私は努力はもちろん大切だという前提で、才能が寄与するところも大きいのではないのかと思います。
短距離走者ならこぞって走りたがる花形種目・100メートル走では、調べれば調べるほどそういう傾向が顕著なようで、為末大さんが『ほんとうにすごい才能の持ち主は100メートルに集まります』とあるインタビュー記事で言っていたのが印象的でした。

努力1割、才能9割ともいわれる残酷な短距離走の特性をふまえて、大学生編では由貴也のライバルはどちらかといえば竜二というふうに書いてきました。哲士はもうこの頃には由貴也に追いつけなくなっています。
『初恋の君へ』の中では、哲士と由貴也の付き合いが一番長く(中学時代は哲士が一方的に意識していただけで付き合いとも言えませんが)、思ったよりずっと、哲士は今も昔も由貴也を意識していました。
たぶん、哲士にとって本音を言えば立志院に由貴也が入って、陸上部に入部するのは複雑なものがあった思うのですね。
部長だから、哲士はそういうもろもろのことを我慢して、いつしか由貴也を助け、導き……としてきたわけですが、やはりそれでも消せない悔しさ、不条理さというのは哲士の中に消えずにあると思います。
そういうのが積もり積もって、彼は今の状態になってしまいました。

そういうわけで、この『神さまの手のひら』はインカレに出て哲士が活躍する話ではなく、インカレに出れなかった哲士がどういうふうに生きていくか、という物語になります。
今はべこべこにへこんでいる哲士ですが、どうか最後まで見守ってやってくださるとありがたいです。

更新

『神さまの手のひら6』更新いたしました。
更新が遅くなり、申し訳ありませんでした。難産でした、この回。
一度、一万字弱まで書いて、あとは更新するだけ!という状態になったのですが、どうしても気に入らなくて気持ち悪くて書き直しました。今では書き直してよかったと思っています。

更新が遅かったのはもうひとつ理由がありまして、最近、携帯を変えました。3年使ったGALAXY SからiPhone5sです。
新しい携帯の時は当然ですが、文字打ちづらい。非常に小説を書くのに苦労しました。いや、現在形で苦労しています。
ああ、携帯戻したい。

肝心の物語の方ですが、哲士の本心の巻です。
ここまで書いて思ったのですが、私の小説に出てくる男性はみんな泣いている気がします。
哲士も今回泣きましたし、根本も 由貴也も竜二も壮司すらも一回は泣いています。
ここまで書くと私、男性泣かすの好きなんじゃ……と複雑になります。
男性が感情のコントロールができなくて、ぐしゃぐしゃになっている姿が好きなんですよね(*´艸`*)

あと、言いたいことは、根本は哲士好きすぎる!
哲士が足を損なってからは私でもびっくりするくらいの感情の激しさでした。
この哲士編においてはまだ根本には哲士のことに対して熱くなってもらおうと思っています。

少年と姉について名前も出せない状態でもどかしいのですが、次で出せるといいです。
二月中には完結させたいので、もう少しスピードアップしたいです。……自信ないですが、がんばります。

好きなもの2

好きなものを語ろう第二弾です。
今回はついったーでさんざんつぶやいているので、お分かりかと思うのですが、大相撲についてです。ただいまお相撲に大ハマりしています。

事の発端は一年くらい前です。それまでは世間一般の女子大生と同じく、お相撲には全く興味のない二十一歳女子でした。
なぜハマったのかというと、一年前、私は就職試験の勉強で、毎日判を押したように同じ生活をしていました。9−17時まで図書館で勉強をして、ジョギングをして、帰宅するという生活です。
ちょうど家に帰ると、奇数月はお相撲好きの母がお相撲をテレビで観ていまして、何をするにも中途半端な時間だったので(我が家は夕食が18時で、帰宅が17時半〜45分ごろ)、なし崩し的にテレビを夕食まで観ていました。
お相撲に精通している母がいるので、「この力士はね、うちの県出身なんだよ」とか聞いているうちに、幕内力士は顔と四股名が一致するようになってきて、気が付いたらどっぷりハマっていました……。
今はもう幕内(お相撲は序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内の順でえらくなっていきます。十両以上が関取と呼ばれ、四股名の後に敬称『関』がつきます)の始まる16時がら18時までテレビで観戦しています。

お相撲の魅力はといえば、なんといってもわかりやすいこと!
もちろん奥は深いのですが、土俵から出るか、地面に足の裏以外がついた場合が負けという、目が肥えていない私でも勝敗がわかりやすいので、観ていてもすぐに熱くなれます。
また、15日間、毎日ちがった力士の顔が見られること!
ごひいきの力士がいると、ああ今日不安そうとか、ああ今日気合入っているな、というふうに、力士の様子と取り組みに一喜一憂できます。
そして、大相撲は徹底した階級社会で、その独特の世界を知っていくのがおもしろいです。
もともとそういう独特の世界というものが好きで、過去には歌舞伎、将棋、ホテルマン、宝塚などの本を読み漁ったことがある私です。たぶんお相撲もハマる素地があったのだと思います。

ついに昨日、両国国技館に生のお相撲を観に行ってきました。
いつもテレビで観ているお相撲さんたちに会えるということで、おにゅーのバック、ジャンスカ、お気に入りの帽子をかぶっていざ国技館へ。
両国国技館に入ると、まったくそこは別世界。観戦中も現実じゃないみたいでした。
席は靴を脱いで上がるタイプのマス席。体大きい一家なので(私170、母165、父180)、マス席に入りきるか不安だったのですが、運よくちょっと広めの座席だったので、思ったよりも余裕がありました。
生はとにかく迫力があり、場内の一体感もすごい!一緒にわーきゃー言っていました。
着物を着た力士たち、そこここに残るしきたりなど、お相撲の、ひいては両国国技館の非日常感はすごいです。
また観に行きたいのですが、次の春場所は大阪ですし、4月以降は就職するので、難しそうです。悲しい……。

長々と語ってしまったのですが、お相撲をもっと多くの人に好きになってもらえたらうれしいです。
昨日驚いたのは、意外と若い人がたくさん両国国技館に観に来られているのですね。
お相撲は老若男女楽しめる国技だと思いますので、ぜひ機会がありましたら、ご覧になってみてください。


……小説の方、更新が遅れていて申し訳ありません。ちょっと苦戦しています。もう少しお待ちいただけますとありがたいです。

好きなもの

このサイト(ブログ)ではまだ出している方のなのですが、私は好きなものを語るのが苦手です。
ただ、自サイトもあと少しになりましたし、後悔のないように、少しすきなものについて語ってみようと思います。

アニメ
少女革命ウテナ


あらすじ

幼い頃に会った王子様に憧れ、王子様になりたいと願うようになった少女・天上ウテナは、鳳学園で「薔薇の花嫁」と呼ばれる姫宮アンシーと出会う。エンゲージした者に「永遠」に至る「世界を革命する力」を与えるという「薔薇の花嫁」をかけて戦い続ける生徒会役員(デュエリスト)たちに巻きこまれ、ウテナもまたこの決闘ゲームに参加し、その背後にある「世界の果て」へと迫っていく…。


あらすじ読んであらためてわけわからないな、と思いました。
このアニメは1997年に放映されたものなのですが、当時6歳の私はわかわからないなりにこの世界観に惹きつけられ、視聴していました。
あらすじからもわかるように、現実世界を舞台としていながらも、「鳳学園」のみで完結されている独自の世界観があり、大人はほとんど登場しません。それに鳳学園が全寮制なせいもありますが、キャラクターの背後にあるはずの家族というもののにおいがまったく感じられず、十代の少年少女(というと違和感があるのですが)のみで世界が成り立っています。

重力を無視した建物群、影絵少女、現実ではありえない描写や状況の数々が描かれ、物語のカルト的側面が強く強調されています。
ジャンルとしてはセーラームーンやプリキュアなどの美少女変身ものかな、とも思うのですが、性別を超えてウテナが『王子様』になる意義、それぞれの描く『世界の果て』や『永遠』とはなど哲学的テーマが散りばめれ、物語の終盤に向けてその色が濃くなってきます。
高三の時に一話から劇場版『アドゥレセンス黙示録』まですべて観返したのですが、いまだに最終話の意味は完全にわかりません。ほとんどわからないと言ってもいいくらいです。ネット上に数々の解釈論のページが多くあるので、それを読んで理解を深めるのも非常に楽しかったです。
ちなみにこの『少女革命ウテナ』は劇場版まで観ないとウテナを観たといえないつくりになっています。ストーリーではなく、その哲学的問いの補完が劇場版で示されていたりするからです。
それにしても、劇場版を含めて夕方6時台によくこんなシーンを放送することができたな、というような場面がちらほら。容易には理解できない最終話、あるいはストーリー全体などから、純粋に子供向けかといわれるとうーん、と唸ってしまいます。

ブルーレイの完全版が去年発売されたことから、やはりまだ根強い人気があるのだな、と思います。
好き嫌いがはっきり分かれる、というか、原作者の方もおっしゃっていたのですがわからない人にはさっぱりわからない。ただ年齢関係なくハマる人はハマるという作品ですが、私は非常にハマってしまいました。
就職したら、ボーナスでDVDボックス買おうと思います。