檜は25日に退院して来ました。
速い回復力だねって皆が驚きます。
重い物は持たないと医師からのお達し。
檜の一番の悩み(?)は、排便。
便意はあるけれど、旨く行かない。
ここから、檜の言葉そのまま。
「水分が足りないんか、粘っこいうんこがけつにくっつく。
けつの周りが痛い」
あのね、「けつの周りはくそだらけ」って言ったんですけどね。
そのまま書くか、マギーも。
「うんこの薬飲んだら、少しは楽になった」
だそうです。
下品な日記ですみません。
穏やかな雨降りの夜。
ストーブの温風とお尻の電気座布団、
もこもこ部屋着に膝掛けで静かな時間。
それでも、廊下は流石に寒いね。
ベッドで読書してたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
世間がおやつする頃に軽い昼食にした。
そして直ぐにトイレへ。
こんなことって前はなかったんだけど、お腹に入れたら直ぐ出したく鳴る最近。
シナモン先生が出した薬、マギーには聞き過ぎだよ。
1日3回の言い付け通り、最初はきちんと飲んでいたけれど、
この頃は夜休む前に飲むだけにしている。
シナモン先生が言うには、便通は日に3回なければいけないって。
1週間も出なければそれはそれでしんどいと思ったけど、
便通って食事の量に寄るくらいにマギーは暢気に捕らえていた。
実際、年と共に食べる量が減ってるし、それは当たり前と思ってた。
一つ良いことかなって思うのは、顔の吹き出物が小さくなったみたい。
ま、年齢だからなくなることはないだろうけどね。
顔が命の知人じゃないから(笑)。
茶谷は半身麻酔でお腹の手術をした経験があるそうです。
だから、何故檜が全身麻酔で、手術時間も6時間なのかと訊きました。
茶谷と檜とでは手術の目的が違うと説明しました。
マギーだって詳しくは解らないし、余計な心配を彼女に掛けたくなかったし。
檜に直接訊いてと言いました。
茶谷は、(心から気に掛けてくれてるからでしょうが)色々質問しました。
そして彼女の知人が開腹手術をした後の体験も、
マギーから訊いてもいないのに教えてくれました。
茶谷の言葉を借りれば、彼女の知人は傷跡が「ぐじゃぐじゃ」になったんですって。
長電話も気になったし、流石のマギーもその話は今は聞きたくないと断りました。
他にも色々心配して、茶谷は質問しました。
家事援助がマギーに付かなくてどうするのとか、買い物はとか。
通院の帰りに買い物はできるし、
たった1週間の事だし、簡単な家事はできるよ。
一昨年の事故の時はほぼ3ヶ月、マギー独りでやり通したしね。
物の捉え方についても、マギーは真の意味で大人だって、茶谷がしみじみと。
マギーは強い人だとも言われました。
極普通に物事にマギーは対処しているだけなんですけど。
今朝9時38分に檜から電話。
25日に退院するそうです。
こう聞けば回復が早いと思われるかも知れないけど、
19日の夜、自力で排尿できなくて檜はとても苦しんだそうです。
手術の日は、早朝5時に檜から電話がありました。
当然、流動食は18日の夜まで。
水分を取って良いのも6時までと話ししてくれました。
医師から電話があるから、昼寝しないで待っていろとも言われました。
けれど、医師からの電話は檜のお姉さんにだけでした。
マギーにも報告をとお願いしていたんだけど。
やっぱり障害者は健常者には心許ないんでしょうね(笑)。
手術が終わって、部屋に戻って来た檜から電話があったのは15時12分でした。
お腹に違和感があるのと肩が痛いのを、当然だろうけど、弱々しい声で訴えました。
次に檜と話せたのが20日の午後でした。
茶谷がお見舞い電話して良いかと訊いて来てたから、その旨檜にはメールして、
電話は午後からにしてくれると有り難いと茶谷には伝えました。
檜はずっと点滴で、食事が許されたのは21日からでした。
檜の手術は19日に終わりました。
6時間の手術でした。
性格には腹壁瘢痕ヘルニアと呼ぶそうです。
一昨年の梅雨時の交通事故の後遺症です。
腹部の筋肉の内側に網を張ります。
檜はこの網と一生一緒に暮らさなければいけません。
網は伸縮しないので、檜は太ることも自由に姿勢を変えることももうできません。
事前に医師から受けた説明に寄ると。
ひょっとしたらマッサージの仕事ももうできないかも知れません。
マギーはその覚悟をしています。