底まで沈んだら、後は浮上しか残ってない


3月11日(金)仕事中に地震が起きた。
利用者の帰りの準備をして、連絡帳を書きながら喋っていた。
最初は小さく、でもいつもと違う長い揺れ。
立ち上がり、外へと続く窓を開け、防災頭巾に手をかけたその瞬間、大きく横に体が揺れた。

車椅子の利用者2人を同時に外へ連れ出した。
目の前には地面に埋まっているプール。後ろにはガラスのある建物。
揺れは大きく続く。
プールの蓋がバコンッバコンッと外れかけ、中の水が近くまで溢れそうになる。
2つの車椅子をさらに押して、安全な位置まで移動。

何度か往復して、少しづつ利用者が外に逃げる。
2階に居る利用者がなかなか出て来ない。
施設に戻り、利用者の誘導に向かう。
エレベーターが止まり、車椅子利用者は男性職員が抱えていた。

揺れが少し収まった。
それでも断続的に大きく地面は揺れた。

スピーカーから流れる警告音。
酷く不安を煽る。

陽が傾き、風が冷たくなった。
部屋に戻れない状況、コートや毛布を取りに戻った。
利用者にかける。顔を見る。
状況が分からない利用者は笑い、地震を理解する利用者は不安に顔を歪め、泣き出す。
見通しが立たない利用者は不安定になり、自傷が見られた。


地震が落ち着いた。
施設内に戻り、今後の動きを上司が相談していた。

簡単に日常が壊れた。


バスで利用者を一人一人家庭まで送っていくことになった。
仕事中はラジオもテレビも、全ての情報を切っていた。
それでも、電車が動かない事を知るのに時間はかからなかった。
道路は渋滞、スーツを着た人が何十人と歩いていた。異様な光景だった。

17時に施設を出発。全員を送り届けて戻ってきたのは20時半過ぎ。
無事に送り届けられた事にホッとした。

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私自身は帰宅難民になったものの、同僚の家に泊めてもらい暖かい場所で眠る事が出来ました。
その一方で被災地は惨状と化していた。その事を翌日になって知りました。

あの地震から数週間。
ニュースで被害の様子を見るたびに、あの時体験した事、思いがよみがえります。
多くの人が亡くなり、生き残った人もたくさんの物を失くした。
それでも今、頑張って生きていこうと努力している人がたくさんいる。
日常を取り戻すために努力している。



私もこんな事で凹んでる場合じゃないんだ。