きっとこの作者は知らないだろう。君の繊細で美しい文章はどんなヴェールの刺繍や煌めきも霞んでしまうし、今まで見てきたどんな宝石や星空よりも息を飲んでしまう。
はぁ、と息を漏らし、うっとりと背表紙を撫でる。
「また兄さん、本を読んでたの?」
よく飽きないね、というニュアンスで、よく似た顔が言った。
「うん。シュゼットも読むといいよ。きっと魅了される」
とある旅をしてる最中に、見つけた一冊の本。本を読むのは昔から好きだけど、同じ作者の本を一冊一気に読み終わったのち、まとめて買ってしまったのは初めてだと思う。何度も何度も繰り返し読んでは、新作が出るのが楽しみで、もし握手会やサイン会があるなら、いち早く抜け出して出かけよう……と考えている。
絶対じいやには怒られるけど、僕は切り抜ける自信がある。
「……遠慮しとくよ。というか、兄さん。そんなに作者に会いたいなら、アポ取ればいいんじゃないの?」
「ああ、なるほど」
仕事、という名義を使って会いに行くのが早い、と。
「でもそしたら、二人っきりになれないじゃないか。僕はこの文章を書いてる人物に興味がある」
「握手会やサイン会だって、二人っきりにはなれないでしょー…もー」
「手紙を書いて、後で何処かで会う……とか?」
シュゼットが大きく肩を落として頭を抱える。多分言い出したら聞かない事、よく分かってるのだろう。
「苦労をかけてすまないね。人生一度きりだからさ」
ふふふ、と笑うと、諦めたようにシュゼットは乾いた笑みを浮かべる。
「全く。仕方がないなぁ。というか」
何かを言いかけた弟に首を傾げる。
「兄さんは誰にでも優しいけど、特定の人にこれだけ執着するの、珍しいね」
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(恋に落ちるのはまた後の話)
薄く朝露のように透き通った髪と、青空を映して閉じ込めたように美しい瞳。いつか泡で消えてしまいそうな、そんな儚い光。そんな彼の腕を引きたくて手を伸ばす。
……どうやら、少しばかり眠っていたようだ。僕は木に背を預けて、木漏れ日の中で空を掴んでいた。
「……おや、こんな所でどうしたのですか?シトルイユさん」
同職の者、ドミニクが声をかけてくる。
「んー。ちょっと寝こけていたみたいで。歳ですかねぇ」
ははは、と乾いた笑いを浮かべると、彼は呆れたように息を吐く。
「こんな所で寝てたら、それこそ風邪ひきますよ。夕方過ぎるとあっと言う間に寒くなるんですから〜」
「それもそうですね」
土埃を軽く払い、頭を掻く。
ふ、と柔らかな布生地に指先が触れた。彼”がいた事が事実であると、嘘ではないと、僕らを繋ぐ白いシュシュが語る。
「……さて、我らが教祖がお呼びです。いきましょう」
「はいはい」
僕は半分聞き流しながら、空を見る。一番会いたい君に会うのは、あともう少し。そう、その時がこの国の実態が外の世界に知られる時だ。
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14/金星 泡・繋ぐ・一番
静寂。山奥の忘れられたような家。律はそこに、慣れたように足を踏み入れた。
家主のいない家に生気はなく、聞こえるのは外の虫の音と、軋む床の音。少しカビ臭い臭いが鼻をつく。
ふと、部屋の前で足を止める。もう何年も帰ってない。それでも迷わず彼は、思い出の扉を開くかのように部屋の扉を開けた。
そこには長年律が集めた、たくさんの本が並んでいる。時がずっと止まり呼吸を止めたような部屋に、窓という窓を開けて息を吹き込む。
静寂を壊すような生々しい空気の動き。部屋の主はそれを感じて目を細めると、ひらりと栞が落ちた事に気がついた。
「嗚呼、こりゃあ……」
自分の世話をムダにやいてくれたニンゲンを思い出す。本を読む楽しさを覚えた自分に、嬉しそうに微笑むシワシワの顔だ。
あの時は何が嬉しかったのか分からなかったが、今なら分かる事はたくさんある。
律は本を漁ると、その時の本を探して読み始めた。
彼にとって本は、時代に関係なく誰かと自分を結ぶものなのだ。
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12/魚座 静寂・栞・結ぶ
電車の走る音。近所の親子の声。今日はどうやら月は出ない日らしい。真っ暗になった空。そよぐ風は優しくて、でも昼から夜に変わったからか冷たくなっていた。
おや、何やら戸惑っている人がいる。この街にはよくある事だ。
「どうしたんだい?」
と、僕が言うと、その娘は縋るような目で僕を見た。どうやら彼女は別の世界から来たらしい。
……うん。よくある事だ。ふらっと迷ってしまうことも、町長である一二三さんが呼ぶ事も。よくある「波長が合ってしまった」という事だ。
ちょうどいい。僕の役職は『宿屋』だ。仮初の住人が本当の役割を得るまでの仮宿と、君の役割が決まるまでは置いてあげよう。所で一二三さんの所には顔を出したのかい?
……まだなのか。じゃあ、自己紹介はまたあとで。だって此処では、君にとっての新しい名前が配布されるのだから
二つ星
空を仰いでいた。
真っ暗で、全てを包んでしまうかのようなそんな空だ。
今日はどうやら月が出ていない。
レティがじっと目を凝らせば、星が空に瞬いていた。
「どうしたのですか?レティ」
スピカがレティに優しい声音で呼びかける。
「レティ、あれ覚えた」
レティがなにやら自信があるような顔をして、天を指差す。
スピカはレティの「あれ」を不思議に思わずに、「あぁ」と小さく声を漏らした。
「ベガとアルタイルですか?」
キョトンとするレティに、スピカも首を傾げる。
「レティ、違う。王子様とお姫様、話!」
レティが身なり手振りを加えて話す。
スピカはほんの一拍だけ考えて、
「…織姫と彦星ですか?」
と問う。
次の瞬間にはレティは嬉しそうな顔をし、スピカはそんなレティを優しい眼差しで見つめる。
「リザリーのお家、本、ある。読んだ」
レティはキラキラとした目でスピカを見て、こういう。
「レティ、スピカのおかげ、字、読める、なった!」
「そうですか…。レティの為になれたなら嬉しいです。」
ニコニコと微笑むレティとスピカ。
その二人を二つ星が見守っていた。