桜の下には死体が埋まっているのだと


遠き日に彼の文豪が書き記したけれど


死体が埋まるのは桜の下だけではない


踏み均す足下に拡がる永劫に似た月日


倒れ伏せた数多のものたちの朽ちた影


褪せた色の上で死を運命付けられた生


芽吹きの空の下にて散り逝くその姿を


薄紅の花弁の先へと自分の中投影する


いつか来る瞼の裏に描く崩御と惜別を


形在るもの故に魂は真意の奥底を悟る


桜の下こそ奈落は拡がるものなのだと







この時期特有の落葉樹と常緑樹の織り成す、雑木林の香りが好きです。甘酸っぱく、かと思えばゾッとする、怖々と芳しい香りです。腐葉土と言う温かく暗く淀んだ死の底を貫いて、新しい命の芽が空へ綻ぶ。

夏の生き急ぐように生い茂る青い香りや、秋の成熟された実りの甘い香りや、冬の閉ざされた寂しい香りでも無く。始まりと終わりを、自らの死期を、四季の中で一番始めに目に教えてくれるからでしょうか。

そう考え出すと、不思議と散る様が鮮やかなのは春の花が多い気がしますね。死に様が鮮やかとか言い出すと中々に皮肉ですが、それは花だから許される表現ですね。人間だったら滑稽の極みになりますけど。

散り逝く姿が美しいのは花だけで十分。
人間は生きている姿が一番人間らしい。
(敢えて美しいとは言いません言えません)

そして。やはり雨の中の桜も美しい。



ではでは、今回はこの辺で☆



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