*『終焉』を描写した画狂の心象風景。
*そこに言葉も文明も詮索も要らない。
*ただ感じる心と魂だけがあれば良い。



【:†とある画狂の終焉心象風景†:】



(その世界の前では言葉は要らない)
(その混沌の前では理論は要らない)

(その世界に心を寄せるだけで良い)
(その地獄に心を傾けるだけで良い)


希望も絶望もヒトの形をしてるんだ
佇む静寂の向こうに浮かぶ薄明かり

喪失は恐怖と畏怖とを孕みながらも
血の凍り付く様な美しさを包容する

得体の知れない必然を背負い立って
ヒトは危うい停滞期を行進し続ける

他人事が引っ繰り返って惨劇の雨音
身の上話と不幸自慢は延々と潰れて

終焉の声が崩壊と再生を連れて来る
淘汰された心を観測する匣は壊れて

静寂と寂寥で満たれた灰色の空の下
耐え難い拒絶と淡い共感の二律背反

心音は波紋の呼び水となって拡がり
脳髄の片隅に在る孤独に問い掛ける

この世界に付けられた数字の羅列に
不粋な理論も詮索も意味を成さない

水晶体に浮かぶ地獄からの心象風景
混沌たる退廃と数多の死の荘厳情景

額縁の向こう側から手招く独創理念
それはヒトの業深い箇所を映し出す


(その世界の前では心理は要らない)
(その退廃の前では虚栄は要らない)

(その世界に心を沈めるだけで良い)
(その静寂に心を埋めるだけで良い)







はい。皆様こんにちは♪
四月に入ってあちらこちらで桜が満開になりつつある今日この頃。今日は家族と夜の花見に行く予定の燈乃さんですっ!!

夜にライトアップされる桜って綺麗ですよね。今夜が楽しみです♪(*´∇`*)/

さてさて。今回は久々に創作文的作詩を載せてみました。本当に久々な感じです。
今回の題材にさせて頂いたのは、『終焉の画家』の異名を持つ画家こと、ズジスワフ・ベクシンスキー氏。

日テレ系某番組でこの方が取り上げられているのを見て、言葉に出来無い類いの、言葉を要しない領域の、ある種の『感動』を覚えたのが切っ掛けだったりします。

『終焉の画家』と言う異名通り、ベクシンスキー氏が題材にしているのは、主に絶望、死、廃退、廃墟、破損などです。残酷で不気味な終焉の世界は、同時に言葉では形容し難い荘厳な美しさを包容しています。

画風は影を帯びているものが多く、決して明るくはありません。しかし。そこには物質世界で生きて(存在して)いる以上避けては通れない『終焉』が佇んでいます。囁く様に。寄り添う様に。背後に立つ様に。覗き込む様に。手招く様に。思わず人が目を背けたくなる様な、けれども、自分の中にも周囲にも、確かに存在する。そんな得体の知れない恐怖。残酷な無常の有り様。

『死』と言う喪失の恐怖と絶望と寂寥。

ナチスのポーランド侵攻時代を生き抜いたベクシンスキー氏は、夢や白昼に浮かんだ心象風景をボードに描くことで、それを固定していたそうです。戦時中の事が夢や白昼に出るなんて、当時は余程痛ましかったに違いありません。実際に現地(故郷)にいた訳ですから。今は亡き『ポーランドの孤高の画狂』にご冥福をお祈り致します。


……はい。長くなってしまいましたが、ベクシンスキー氏の作品は(見る人によってはトラウマも覚悟しなければかもしれませんが)、本当に言葉を無くします。技巧もそうですが、独特の世界観に引き込まれます。興味の在る方は是非、その世界に心を傾けてみては如何でしょうか。



ではでは、今回はこの辺で☆



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