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今度はめちゃくちゃ、眠りまくるぜ!

眠りこけた一日だった。

意を決して色々な人に連絡を取った。
哀しいことも言われたけれど、今まで悶々としていたものが少し解消された。
言われたことの中には、ショックなこともあったけどね。

それで頭が一杯で、証明書の手続きも贈り物もどこかに行ってしまった。

艦これはまたゲージを少し減らせたが、まだ尽きてはいない。
まだまだ諦めがつかない私だが、寝ないと明日に響くような気がするので寝る。

何故そこで油

やっと軽巡(由良)が直ったから、機銃と魚雷を積ませて部隊に組み込み、出撃させました。

いい感じで1面を進んでいき、第二戦が終わった……というところで……
何故か一度も行ったことのない油に行きました。

何でそのタイミングで油。
しかも、70しか貰えないじゃん。

運命は残酷でした。

次の出撃ではぼろぼろにされてやる気をなくしました。

もう27日まであと僅かですね。
絶対に誰もあやつれない。

逃げちゃ、だめ!

某雑誌に投稿されていた40代女性の文章(入賞作)に感動しました。
お題は「(記憶に残る)先生」の話。

もしかして実話でなく創作かもしれませんが、それは関係ないということで内容(概略)を転記します。

その女性(「じゅんちゃん」さん)は、小学生の頃、そばかすのあるぽっちゃり系の、引っ込み思案の女の子だったそうです。
よく、お腹を痛くしては保健室に行っていて、話すことや、友達をつくるのも苦手だったそうです。

しかし、担任の20代の女性教師は、そんな彼女を

「じゅんちゃん、かわいい!」

といつも抱き締めて可愛がってくれたそうです。

その内、本当に「じゅんちゃん」は、自分を可愛いと思えるようになっていったそうです。

その先生は、いつも優しい人でしたが、ドッヂボールの時だけは別でした。
「じゅんちゃん」が、球に当たらないことばかりを考えて逃げ回っていると、

「逃げちゃだめ!」

と、言って、容赦なく球をぶつけてきたそうです。

「じゅんちゃん」は、その先生の言葉に応えて、一生懸命頑張っている内に、ボールが取れるようになっていきました。

そして、ドッヂボールが強くなったことをきっかけに、友達と会話できるようになり、教室にいても平気なようになっていったそうです。

今では、そんな「じゅんちゃん」さんも元気でお喋りな40代のおねえさんになっているから、分かるかしら?という言葉で締めくくられていました。

今思えば、色々な方法で先生は「じゅんちゃん」さんに自信を持って欲しかったのではないか、と「じゅんちゃん」さんは書いていました。

本当にそうであったか、また、これが実話なのかどうかは置いておいて、こんなに前向きな「逃げちゃだめ」があるんだ……と自分は驚き、励まされました。

どうしてもシンジ君のようなネガティブな「逃げちゃだめだ」を連想し、逃げ腰の自分ですが、まずはボールを取らなくては始まらないのです。
私は「じゅんちゃん」と違ってドッヂボールではさっさと当てられて外野にいましたが、せめて、と思って金曜日のバレーボールの大会は逃げませんでした。笑

かつて、こんなことを言ってくれる先生がいたし、素直に受け止めて教室に戻れた人がいたんだな……と感動しました。
そして、こういう「逃げちゃだめ」なら、どんどん言ってもらえば、立ち向かう勇気をもらえるような気がします。
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おはようございます。

昼寝をして18時に起きました。
そのため、変に目と頭が冴えています。

私は名字を変えたので、新しい印鑑が必要になり、買いに出かけました。
ついでに壊れた車の泥除けの確認と、自動車保険の設定の見直しもしました。
役所ではさすがに土日は証明書の発行の類はしていないようで、それはできませんでした。

立派な判子(訂正印も)とスタンプ判子をきっちり揃えました。
職場の判子(旧姓)を撤去しなければいけないですが、それは追々やろうかと思っています。
(まだまだ必要になる場面もあるかもしれませんので。)
ついでにぼろぼろになった室内履き用運動靴の替えも購入。
プーマです。

数年前、というか20年前ぐらいから自分は改姓にこだわっていました。
何故か大人しく旦那の籍に入るのが嫌だったのです。
父と母がそのことで喧嘩(?)をよくしていて、そういうの嫌だなと。
あと、当時も流行していたフェミニズム系の本をよく読んでいましたので、「名字を変えることは男に負けること」とか思っておりました。

また、弟はいますが自分が長子だというプライドがあったのです。
ですので、弟の名字が変わろうが変わるまいが、自分「も」この家を出ない、みたいな。

でも、ここ数年母の実家と行き来していて思ったのですよね。
名字がどうかというのは、血の繋がりとあまり関係ないような感じだな、と。
伯母二人と母は、皆、夫の名字に変わっています(ので、形式上嫁に行ったことになります)。
でも、母以外の伯母二人はよく実家に帰っていますし、母も昔はよく実家の祖母と電話していました(父がやめさせたそうで怒っていました)。

自分は外孫ですが、祖父母に可愛がられていますし、反対に叔父の息子たちはあまり祖父母に懐いていないです。

と、考えると名字の云々ではないのかなと思いました。
名字が変わって私が変わるわけではないですし……

それと、結婚した友人知人は、一人を除いて皆旦那の名字に変えています。
その一人は二人姉妹の長女なので、お婿さんにしたんだと思います(でも、お婿さんも長男だった気が……まぁいいや)。
これってやはり男尊女卑の社会になびいていることになってしまうのかな。
でも、いいです。
ここ数年平塚雷鳥のような暮らしを送って、法的保護のない婚姻関係の不便さをよく痛感したので。

まだ薬を服用しているので子供は生めませんが、そういう話になったら、結婚していないと養子の手続きも必要になってきますしね……
実の子なのにですよ。笑

不便さに屈服しました。

旦那も長男で、お姉さんが名字を変えてしまっているし、旦那が唯一その家系で残っている若い男性なのです。
(本当はあと何人かいますが皆独身主義者のようです。)
と、考えると気の毒になり、Sの名字は弟に委ねることにしました。

という経緯で、今頃の入籍になりました。

「もう同居人じゃないよ。旦那って言わんと」

と、職場の人が笑っていました。
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昨日はいい夫婦の日だった。

早起きしたものの……

鼻の奥が痛く、風邪を移されたかもしれません。
おのれT氏。(笑)


昨日、22日中に婚姻届を出すことに決めていることを、職場の長であるT氏に話しました。

すると……
まだ出していないのに、お祭り騒ぎのようになってしまった……汗

皆が祝ってくれてしまう。汗

まだ出していないんですよと言っているのに。
これで昨日中に行かなきゃいけなくなりました(笑)。

それはそれで、昨日は職場対市内の支局とのバレーボール大会がありました。
私は、行く気はありましたが、出る気はありませんでした。
毎年お荷物だったし、無理矢理出た結果、足を引っ張るだけの存在でしたので。

しかし……

私の入れるサーブの変に上手なこと。
それだけで5点くらいは入りました。

そのため私をコートに入れようとされますが、私は、球を返すことができない。
サーブだけなのです。

だから多分同じくらいだけ取り返されている気がしますが、それでも何回かコートに入れられました。
私のサーブが決まった時は、SさんとIさんがやってきて体を押しつつ喜んでくれました。

すごく嬉しかったです。
居場所があるって感じがしました。

で、若きスターのK氏や、職場の長のT氏も活躍したのですが、T氏は風邪気味で、マスクを取っての参戦だったので、見事に移された……?(笑)

その後、帰った私は同居人と一緒に籍を入れに行きました。
その後は、二人でお祝い外食。

ホットな一日でした。
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