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天井から降る哀しい音

認知症がまだ痴呆と呼ばれていた時勢。
その時に学術的に過程やそのケースを書いた岩波新書/痴呆を生きるということ(小澤勲)から引用された今作。
悲しいかな絶版で手に入れた伝は密林です。
天井〜と同時に収録されてある「そうかもしれない」は、老老介護の実態があり、そこには一人の認知症の妻を自分自身にも押し寄せる病魔との不安の中で見守る夫の姿がありました。
短い文章の中に夫婦だからこそ見えてくる視線や問題点を拾い上げてあり、慈愛があるからこそまさか自分がという葛藤が刻まれてあります。
古い時代と片付けず電子書籍でもいいから、あわよくば再版してもらいたいと強く思う一冊です。

灰色の朝のモノローグ

「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル
高校の時以来の再読本。
読もうと思ったきっかけは、ちょうど実務者研修の中に保険、福祉制度の成り立ちから、人権の歴史について習っていて、ならば少し自分なりに掘り下げてみるかとたどり着いた1つの着地点がホロコーストです。
ここでユダヤ教云々は、さすがに弁論出来ないので本の内容のみの感想になりますので、ご容赦ください。

私の記憶が間違いなければ、みすゞ書房出版の昔のものは資料写真がありましたが、今はヨーロッパに広がった主要の強制収容所のマップのみになってます。
よかったか悪かったか、それで私なりに読みやすかったです。
内容は、まず収容所に強制連行されて解放されるまで、その後を描かれています。
冒頭に凄惨な収容所の生活をさながら壮大な地獄絵図のように描くのでなく、個々の小さな死を医者としての目を通して記述されてあります。
それでも、人として番号と星だけ与えられ過去も愛する人を奪われ畜生に貶められ、死体の死臭に黒い煙の物々しさは写真がなくても眼を覆いたくなるものでした。また、被収容者の中にあるヒエラルキー、格差が生まれていく中でしぶとく生きる為に非道になるのが、一片の善意で人々を助けるのが最善の道だったのかは…なんとも言えません。
ただ、収容所から解放されても残虐な出来事に常に晒された人間が環境が平和になっても心情までは安穏になることはないのだと全文を通して見て取れることが出来ました。
最悪な劣悪な環境が自然発生的に出てきて、流れで黙視するだけだったけど、そこから生まれた被害者自身が声を上げていかないと世間は認知しない。
それは、今も昔も変わらないのかもしれません。
大変に素晴らしい良書でした。

まなざし

3月末に看護助手を辞めてから、新しい環境へと自動車教習所に通いながら、訪問介護事業所に勤めたのですが、施設と違う在宅でのケアに自分の無力感に苛まれ精神的に崩れ2週間で退職したのは、4月末。
教習所に行くのも億劫になり1週間過ぎた頃、やはり運転免許は欲しいと、金銭的に憂き目が見えてきて、このまま時間の流れに任せるよりも、今年は【学びの年】に頭を切り替えたのは5月中頃。
失業保険の手続きの傍ら、自分自身また介護を学び直したいと、介護福祉士の必要修了過程である【実務者研修】に応募しました。
その一方では、なかなか卒業出来ない教習所に焦りましたが、スケジュールを取り戻しつつ、インストラクターの手助けもあり無事に5月末に本免許まで取得出来ました。
同じ時期に実務者研修も合格通知が届いていたので、自分を追い詰めるように、試験前日は標識やルールを覚えました。
研修の審査→教習所の卒業検定→本免許まで1週間足らずの駆け足で目まぐるしかったですが、勉強そのものに熱心に取り組んだのは久しぶりで、受かった時は信じられず。今までにない大きな達成感と喜びを得ました。
始まったばかりの研修にドキドキワクワクしながら、半年後の卒業を今は目指しています。
現在、学びの場にいるのは色々な方々の助けがあってのことなので、本当にありがたいと思っています。
これからのことはまだ分かりませんが、自分なりに頑張りたいと思います、

時間の流れはゆるやかなのですが、自分にとってのこの2ヶ月はもう半年分過ぎたような感覚でいます。

資格取得の勉強を通した先に、また自分の新しい介護観、福祉って何か、自分に出来ることを見つけて行きたいと思います。
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