Bokuno Kakuno

万年筆を失くしたようだ。

半年の定期通院に行くにあたり、手近にあったペンー件の万年筆ーとメモ帳を掴み取ってリュックに入れた
、はずだった。

直後、出かける寸前であるのに
途中のバスや、院内で、落としたり転がしたりして、誰かの衣服や荷物を汚したら…と思い直し、普通のボールペンも追加した。ここまで確かだ。

バスの中では、万年筆をそれでも取り出したかったが、入れたはずの内側の背中ポケットに見当たらず、まぁいいかとボールペンにし、少し吐き出しをして、バスに揺られた。

院内ではついに万年筆は取り出さず、そのまま、ボールペンで一日を終えた。
(事情が変わりメモをとる必要がほぼなくなってしまったのもある)


翌日、休日なので荷物を解き、それぞれを元の場所に戻しつつ、線画を描きたくてその万年筆を探した。

しかし出てこない。どれほど手で弄(まさぐ)っても、あのツルリとした小振りの棒形についぞ出合えない。
入れるはずのない全てのポケットも漁り、ひっくり返した。

どこかで落としたか?
検査後の軽い朝食中か?


安価な、デビュー用の万年筆。
小さいし、プラスチックだし、キャップは明るい水色で、ボディは白だ。
最初こそ万年筆ってだけで嬉しかったが、慣れてくると贅沢なもので、もっと玄人っぽいものを羨ましく眺めたりした。
好評を受けて同社他社から類似品の、後発品が出たからね。そういうデザインのも。

しかし、使えるし、
そういう理由で購入することを一度許してしまえば、いくらでも買えることになってしまう。

筆記具に対して僕はユルイく、いくらでも言い訳を並べ立てられそうだから、それはよろしくない。非常に。とても。

その葛藤をしっかりと乗り越えて、なんなら壊れてもいいつもりで、分解洗浄なんかもやってみたりして(そして見事に壊れず、綺麗になって)、使い続けていた。
執着系愛情を傾けがちな僕が、いい塩梅に「道具だから、」とドライに割り切れるようになった、それが定着した矢先だった。
(今日は君と出掛けたい。君で線や画を描きたいよ、と)


いなくなられると寂しいものだ。
あの万年筆も、あれも、それも、買う大義が立つ出来事なのに。全然嬉しくなかった。
悲しくもなく、どうしたものか・・・と、静かな間が時折生まれるのみ。