タイトルなし

遠くから見つめる電波塔は
すくっと立っていて
夕日を背負ったシルエットが様である


それが近づくほどに
色々見えたり
大きく見えたりして
怖くなってくる

威圧的



人付き合いもそうだと思う




でも

強い斜陽に照らされた姿なら
無機質なシルバーも
オレンジに溶けながら
柔らかく光を跳ね返すから

そんな恐れも杞憂に終わって


ただただ優しい気持ちになる。
ひたむきさに

月とミズタマり

mizutamari という曲がある
とても素敵だった


子供の頃から
水っぽい曲が好きだった

しっとり系とか
クラシックでいうとショパン的な



mizutamariはウクレレ界では有名、らしく
調べ物の最中に、その文言に出合たった僕は、さっそく調べて聞いてみた。ら、なんと!


いろんな人がいろんなアレンジで弾かれていて
どれもそれぞれが素敵なんだけど
(雨上がりの水溜りもあれば、夕方の雨の中の水溜りもあったりする感じ)


僕はスローでシンプルなミズタマリが好き。
ちょっと切なくて、それが心の安らぎになってるような。安らいでるからこそ切なさを感じている、ような。

夜の帳が下りて、人の行き交う交差点、流れる車のライト
濡れたアスファルト
できはじめた水たまりを眺めてる
喫茶店の窓際カウンター、みたいな


上達したら
突き抜けたような
真夏の昼間の、雨上がりの芝生の水滴とソレのようなアレンジになっていくのだろうね

ルーツであるハワイにだんだん近づくように



聴いて素敵な曲は
弾けばもっと素敵な曲で

音がこんなにも情景を伝えてくれるのかと
感動した


とくに
ウクレレのために作曲された
インストゥルメンタルなので

歌詞はなく、楽曲だけで完成している。

弾く曲と歌う曲という区別もあるんだな、とも思ったほど。

(練習曲は馴染みのある歌がほとんどだし、オリジナルであってもビギナー向けだと歌詞がついていたりする…気がする)



一音一音、音を紡いで情景を浮かび上がらせるこの感動は
たった2〜4小節程度でも
音楽の虜になるには十分すぎる。




ちなみに

ミズタマリを探すときに

月と水玉 と混同した。

これも有名で、素敵な曲だった。
混同しつつも、これもいつか弾けるようになれたら、とおもっている。

木の音色

午後からの病院のため有給休暇中

天気も良く
体調も良かったので

家のことしようと思ってたんだけど

ウクレレにハマってしまって
ちょっと、のつもりが結局1時間。


ポロポロとジャーンが混ざるソロアレンジは
ポロポロからジャーンに切り替わるところが大概うまく弾けないでいる。

なんとかならんかの、と思って
闇雲に練習していたんだけど



先日とある教本のレビューで
「ポジションによって微妙に指の位置を変えることがコツなのに、そこは省略されてて〜」
という記述を読んだ気がして、
ちょっと意識してみた。

するとどうだろうか。


僕はどうやらフレットの中央より、上に行きすぎていたり、下に行きすぎて(なんなら金属に触れて)いたり。

あと押さえる指の場所も、かなり指先気味で、腹のど真ん中ではなかった模様。

中途半端な音が鳴るのも当然。


苦手な小節を弾き込んだらだいぶ改善された。

力の加減も掴めてきた。


正しく弾くには

力を抜いて
楽器やフレット全体を眺めるように

はじまりから終わりまで同じ力で押さえられるように
こちらでも力を適度に抜くように

切り替わりや苦手意識のあるところは
闇雲に力むのではなく

正しい位置に、正しい場所で
適切な力のバランスでポジションすることに
意識を傾ける

(そのためにはまず、それができるまで運指を覚えないとならない。
むしろそこまで運指を体に馴染ませればよい)

力じゃない。


力むほど音は硬く、理想とは程遠い。



そう、そういう意味で「上手く弾ける」ようになったら
音も格段に良くなった。



それまで嫌いで

CDや動画、テレビなどの人様の演奏を聴いては

木のぬくもりのあるコロンコロンとした音が出せないことが
コンプレックスだった。


なんとかならないか、

楽器のせいか(メンテの仕方を教えてもらおうと持ち込んだ店の店主※買った店とは別 に音が揺れてると言われたのがひっかかってしまって)

弦のせいか

と思っていた、自分の音。



それが、自分でも癒されるような音が出せていることに気づいた。

楽器って奥が深い。



鳴らせば鳴る。音は出る。
でもそれじゃ、足りない。

美しく、奏でたい。
この子の良さを、ちゃんと、ひき出したい。



N田さん
僕に楽しみ(楽しむ心のセンサーを)遺してくれてありがとう。

タイトルなし

自分が嫌になることがある

真面目にしかなれない
真面目っていうより
「そういう」執着の仕方をする

そういうアプローチしか
思い浮かばず
取り組めず


それは
自分で選んでるはずなのに
報われることを望んでる

そういう自分。

N田さんの置き土産

N田さんから、榊を託された
僕はそう思ってる

鮎川ちゃん、と可愛がってくれたN田さん。
画材や絵画展のお知らせ、衣服も何点かくれた(サイズが合わなかったから、とか。どれも僕にはピッタリ?(ものによってはぴっちり)なので今も大切に着ている)

榊は、ヤキモチではないけれど、羨むような、嬉しいようなことをいつも漏らしてた。

その度僕は
榊が大切だから、その榊の大切な人だから、っていうのもあると僕は思う、と伝えてきた。


N田さんは榊をずっと陰ながら、遠くからはもちろん、近くにいたら尚のことといった具合に。
本当に親や、兄弟のように。

不遇すぎて、心配だし、なんとかしてやりたいと思ってくれていたんだと思う。
面倒をみてくれた。
世界を広げてくれた。
榊のあらゆることを認めてくれていた(と思う。分かる。)

若い頃の思い出といえば
N田さんが絶対に出てくる。
〜してもらった、と。

そしてN田さんに何かがあれば、夜中でも、体に不自由が残ってる時でも、真冬の夜中でも、自転車で街中かけまわって、家族と一緒に探したり、心配したり、フォローしたりしてた。



一歩間違えば踏み込んだ関係にもなり得そうなくらい、寄せてくれていた情というものが厚かった。


そうそう。

ぶっちゃけてしまうと、N田さんには「調子が悪い」時というのがあって、そういう時はメチャクチャな発言をする。

一度そのタイミングに、僕らが訪ねた時があった。

会話の中で、「(N田さんと榊は)キスした仲じゃん?」くらいなことをN田さんが突然口走って、榊が困惑&混乱。

どうやらそんな事実は一切ないため呆気に取られたらしいのだけど

僕には

やましいことはない(例えば飲みの席で、「可愛さが余って"チュー"された」みたいな)ものの、誤解を招くから言ってなかったことを暴露された

の反応かと思ってて。


びっくりはしたけれど、そのくらい溺愛されてたんですねぇ、と思ってて(脳天気)。

でも一向に融けないどころか、悪化する榊の硬直っぷりに、
あれ違った?と、むしろそっちに僕は気が気でなくなるほどだった。


とにかく、その話をポジティブに信じられるくらいには
2人の絆は深かった。



そしてN田さんは
僕に趣味を置いていってくれたと思う。

休み休みでも、なんだかんだずーっと取り組むモノ的な。
それが本当の趣味っていうものかな?

昔みたいにorN田さんみたいに、バリバリにはできないけど、それでいい。
趣味は楽しむもの。
「楽しい」だけで、いい。


N田さんの挨拶の二言目は大抵
「最近、絵ぇ、描いてるゥ?」
だった。

でも僕は目の前のことでいっぱいだったり
描き方(=楽しみ方みたいな意味で)が分からなくなって

いやぁ、全然です。。。

と返すばかり。
もちろん会話はそこで終わってしまう。


今となっては
もっとあれこれ描くか、
描けないなら
描いてるN田さんの作品見せてもらったり、その話聞いたり、
昔の話してみたってよかったよな、と
思い至る。

親孝行、じゃないけど
したいときには、ナカッタリするんだよね。


N田さん、
僕聞きたいことたくさんあるよ。
教えてほしいことたくさんあるよ。


趣味を置いてってくれたと感じたとき

"仕事ばっかり頑張るな"

そう言われてる気がする。
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