やさしいさみしさたちこめる夕刻

ことばにならない思いが、ぐるぐると渦巻いている。ことばを与えないと、そのぐるぐるは消えてくれない。

ことばにすること、とは、現実にする、ということ。認め、直視し、向き合うということ。

僕が綴るのは、時にモヤモヤを、時にふわふわを、カタチにして、改めて見つめ直したいからかもしれない。

本との出合い

ATMコーナーが閉まっていたり
別所に行ったら有料時間になってたり
シャチハタが、欲しい苗字だけ売り切れてたり

本屋にたどり着いたものの『さみしい夜はペンを持て』を探しても見つからず。
店員に尋ねたところ、売り場を教えてもらえるのではなく、会計カウンターに持って来られてしまって、購入するかどうかをその場で迫られ…と想定外続きだった。

しかし
「これもなにかの縁だ」と呟いて、すぐ近くのベンチで本を開いてみたら、まえがき?だけで、自分に重なり過ぎて泣きそうになった。
だから、これらは必然だったんだと思う。

色々欲しい(気になる)本あったし、候補が複数あったけど、今回はこれで、これだけで、よかったんだと思う。
(成瀬シリーズも、カバヒコも、)


本当に本が読めるようになった。その最初の本がこれで良かったとも思う。
前は文字を追うのすら危うくて、内容を辿るなんて無理にも程があったから。

ひとり時間

思えば、ひとり時間が出来てから、調子が良くなった気がする。
最初のうちは戸惑いも不安感(心細さ?)もあって、何もできない日ばかりだったけれど。

繰り返すうちに、それが当たり前になっていくうちに、
あれやってみたり、これやる必要があったり、があって、
段々と
内容やそのバランスを取れるようになってきた。


榊と一緒にいすぎて、思考や軸が榊ベースになっていて、自分の中が混線していたのも鬱や統合失調の原因だったと思う。
(対榊のものに限らず、全ての思考や感覚が、そう言う感じになってしまっていた)


効率的かつ合理的に生産性の高い有意義なひとり時間を過ごしてはいないけれど

ただひたすらに安心材料の榊の帰りを待つしかないとか、不安に打ち勝てなくて過食に走って自己嫌悪で死んでるとか、そういうのは日に日に減った。


今日なんか、休み休みだけど、宅トレを複数メニューこなして、小さな家事を率先してこなして、夕方には本屋にまで出かけた。

ま、榊が会食で夜遅くまで不在だからこそのんびりマイペースにできたのだろうけど。
(これだって少し前まではどうしていいか分からず途方に暮れていただろうけど)

もうそれだけで達成感と自己肯定感が溢れている。

一時期は、そういう時は実家に帰って、空白を埋めてしまえばいいのかな?と思った時もあったけれど、自力でここまで来られてよかった。それもさらに僕を持ち上げてくれている。

脳の回復

本が少しずつ読めるようになってきた。し、読書への興味が前ほどまでに戻ってきた気がする。

少し前は、読んでみようかと思っても、作者や文体の相性関係なく、試し読みで目が回って挫折していた。

今はちゃんと読めるのだ。
クリアに、目に脳に、入り込んでくる。気持ちが良い。


そして今日は記憶の芋づるが回復してきた手ごたえを感じた。

かなり大きめの本屋に立ち寄って、他業種の専門雑誌を探し、移動中に、別件でチェックだけしていた作品集にたまたま出合った。
それに気づけたことも、手をとって冷静に判断できたことも、少し前なら難しかったことだと思った。

そして極め付けは

全ての用事が終わったと思われた時に、ふ、とこれまた別件の作家の名前が過ぎって、検索機に向かった。

在庫なしとのことだったが、棚(ジャンル)も気になったので、詳細情報をレシートに印刷し、それ片手に向かった。

もちろん本はなかったが、棚の内容は理解した。


当たり前、最低限のことができただけでも有り難かったけれど、
ここまで、ついでついでの用事をテンポと段取り良く済ませられたことは、もっと嬉しい出来事だった。


桜が散る頃は調子がいい。たしかにね。
しかしなぜだか昨年は絶不調だったけれど。過ぎたことは手放そう。乗り越えつつあるんだから。

ごめんねとエビカツ

その日の、夕刻を超えたばかりくらいの夜。
駅から歩いているところ、だいぶ手前から榊が迎えに現れた。

「スーパーに寄る?」と聞いてくる。
寄りたいのだろう聞き方だった。

時間も早いし、榊の機嫌が安定して良さそうなのが救いで、それだけでこちらの気分も落ち着いた。
素直に、スーパーに寄るのを叶えることにした。


「昨日はごめんね…、疲れてたんだと思う、」
榊の方から切り出された。
聞くつもりも何もなかったのだけど。

安堵ともに、
せっかくなので一つ気になることを聞いてみた。

「覚えてる? 何したとか」
「んー、 ぼんやり…と?」

ぼんやりと… 思わず苦笑い。
ほぼ覚えてない域かなと判断せざるを得ないニュアンス。

「『こっちは腹減ってんだよ!』て怒鳴ってたよ」

たまらず小さく嫌味を差し出してみた。あくまで笑って冗談ぽく。
それには曖昧に濁すような複雑な笑みで応えて、申し訳なさそうな空気を放った。


これ以上咎めるつもりもなく、またそれを確認し合うわけでもなく、その議題はそこで終了して、明るい方に目を向ける。

惣菜屋が、閉店時刻間際のかき入れに威勢よく応じている。

「…なんか買う?」
「いや、いいよ」
「…あ、エビカツがある」
「あら(珍しいものに反応するね)」

あるきながら眺めていたので、決めかねるうちに通り過ぎてしまった。
その先のスーパーで少し買い物をした。
店を出たら、来た道を戻る。

昨日までなら脇道に入って、もう一軒スーパーはしごしてたかもしれない。今は改装中で閉まっているはずなので選択肢にあがらない。

そしてまたあの惣菜屋の前を通りかかる。

榊は僕を気にしてくれて(なぜかは分からないけど)、また

「買う?」

と聞いてきた。

「あ〜、エビカツ…ねぇ〜」

珍しいし(エビカツも、榊の反応も)と思い、店に近づく。
最低限の量だけを買って、榊の元に戻る。微笑ってるわけではないが、嬉しそうにしてるのがわかる。

「珍しく売ってたからさ、」

そうかそうか。だから食いついたのね。ならば買ってあげられてよかった。

「(家で)はんぶんこしようよ!残りは鮎川のお弁当に入れてもいいし!」

優しさたっぷりに言う。
夜風があたたかく頬を撫でた。

やっぱり笑っていてほしい。穏やかに。ただ和やかに。
そうすれば僕だって笑っていられるから。

たったこんなことすら望むのは許されないのだろうか。エゴなのか贅沢なのか。僕の至らなさなのか。

これ以上、榊を管理するのは違うと思う。それはコントロールの域に入ると思う。なんなら入ってもいると思う。

何もストレス反応を外に出すなと言いたいわけじゃない。もう少し上手く自己処理なり立ち回りなりして欲しいな、というところで。

50を超えた榊にそれを望むのは酷なのだろうか。


僕は、穏やかな春の日がまた再び続くことを祈った。
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