タイトルなし

甘え方わからない

素直のなり方わからない


素直になったら
きっと面倒臭い奴になってしまう。


だから、繕う。


だから余計に面倒くさい奴になるんだと思う。




今日は榊がいないと自己否定がより一層強くなる。なんでだろう。



お腹がすいてるのに
純粋に食べたいものを食べて良しと自分に言えていない。

お前にはこれくらいがピッタリだよ、ていう目線ばかりだ。

蛇の目でお迎え

図書館に逃げてきた。

榊とうまくいかなくて。



それは僕に(も)原因があるんだけど。




気づいたら
着信


さっきまでなかったのに
途端に4回も。



ふと目をやったら
次々とやってくる人たちが傘をエントランス外でバサバサさせている。雨だ。



電話した。
心配させたくなかったし
話したかったし。


冷たい出方されることも覚悟していたら

「いまどこっ、」

と叫ばれた。



傘持って迎えに来てくれるって。

僕の気持ちを先回って行動してる。先に諦めて、そして折れてる。



「図書館 -そこ- でまってなさい!」



申し訳なくて外の庇の下で待っていた。

風が強くふきつけ、雨が顔から体からたたきつける。

おじいさんが風にあおられてよろける。


いてもたってもいれなくて、飛び出した。
距離を縮めれば、少し早く帰れる。避難できる。
心配だ。

「…、ちょっ、あーた、どこにいんの!」


すぐの曲がり角で対面した。

カッパ着て、傘さして、傘持って現れた。

早々に叱られた。


図書館から20歩出ただけで怒られた。

Life

仕事でつまづいた。
連日の深夜残業で、分析力と判断力が落ちた。

来月から休職メンバーが復帰するし、体制も引き続き変わっていくし、
最近思ったのはお客さんのタイプも変わってきているということ。

最近いい感じ!と思った矢先の今日のつまづき。
よくあることだけど、やっぱりたちまち不安になる。



僕、このままでいいんかな。

かといって、それは望んでませーん、てトランジットするのは、単なる逃げにならないか?

そろそろ、いい年なのだから、逃げ回るのだけは避けたいと思ってる。
結果自分のためにならないから。





以下余談、
ダラダラ垂れ流します。

お金は、目的を持って使うことに意義と価値がある気がしている。

ただ闇雲に貯めることも一時は大切だけれども(5年以上それやってて、性分になりつつあってヤバイ)

使う目的があるからこそ、稼ぎ甲斐、やりがいみたいなものも普通以上にあるんじゃないかなと。

貯蓄することも、ひとつの使うことだけれど、
〜〜のために、と具体性を持たせるとより意味が増すと思う。

そういう心の中や、目的の前に築かれたお金は
たとえ理想の額から遠くても、貴く思えるものだと思う。

清貧てやつかな。
ん、ちょっと違うか。


根は相変わらずケチだけど、それでも前よりお金を使うことが好きになった。

榊を旅行に連れて行きたいし、欲しいもの贈りたいし、美味しいもの食べさせたい。

昔なら、ふるまう自分に酔ってたところだけど、今は違う。
感謝などの気持ちの表れとして。あるいは、相手に喜んでもらうために。

(相手の喜んだ顔を見ると、嬉しくなる。そのために、)



祖母が亡くなって、友達が結婚して。
親が老いて、兄弟が成長して。
見知らぬナカマ達が、あっちでくっついたり、こっちで離れたり、ときに消失していたり。

人生の縦横のバリエーション、さまざまな尺度の豊かさを感じた。
自立して約10年、だ。


榊との生活は、慎ましやか以外何物でもないけれど
それが自分にはちょうどいいとわかり始めた。

もっとアグレッシブかつクリエイティビティにセレブリティな暮らしを営むゲイカップルたちがいることを知っているし
憧れることもあって
ぶっちゃけたまに真似たこともあるけれど

どこか背伸びしてる感は否めず、疲れるだけで。

僕や僕と榊の幸せは、僕らのカタチがあるんだと思えるようになってきた。


だから人様のブログみて、「けっ」「僕だって」と思うことも、これまたぶっちゃけあるけど、
「僕には不釣り合いだし」
「じゃぁ、僕らだったら、こういうことしてみようかな」
と切り替えられるようになった。



うーん、そういう心持ちになりつつあるからこそ
お金や仕事についての考え方っていうのが変わってきたのかな。


仕事を、仕事ではなく、自己実現の場として執着してきた節がある
その自覚はここ数年で生じたかな。

(自覚してからは、仕事、と、ちゃんと切り替え&割り切るようにしている)
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