N田さんの置き土産

N田さんから、榊を託された
僕はそう思ってる

鮎川ちゃん、と可愛がってくれたN田さん。
画材や絵画展のお知らせ、衣服も何点かくれた(サイズが合わなかったから、とか。どれも僕にはピッタリ?(ものによってはぴっちり)なので今も大切に着ている)

榊は、ヤキモチではないけれど、羨むような、嬉しいようなことをいつも漏らしてた。

その度僕は
榊が大切だから、その榊の大切な人だから、っていうのもあると僕は思う、と伝えてきた。


N田さんは榊をずっと陰ながら、遠くからはもちろん、近くにいたら尚のことといった具合に。
本当に親や、兄弟のように。

不遇すぎて、心配だし、なんとかしてやりたいと思ってくれていたんだと思う。
面倒をみてくれた。
世界を広げてくれた。
榊のあらゆることを認めてくれていた(と思う。分かる。)

若い頃の思い出といえば
N田さんが絶対に出てくる。
〜してもらった、と。

そしてN田さんに何かがあれば、夜中でも、体に不自由が残ってる時でも、真冬の夜中でも、自転車で街中かけまわって、家族と一緒に探したり、心配したり、フォローしたりしてた。



一歩間違えば踏み込んだ関係にもなり得そうなくらい、寄せてくれていた情というものが厚かった。


そうそう。

ぶっちゃけてしまうと、N田さんには「調子が悪い」時というのがあって、そういう時はメチャクチャな発言をする。

一度そのタイミングに、僕らが訪ねた時があった。

会話の中で、「(N田さんと榊は)キスした仲じゃん?」くらいなことをN田さんが突然口走って、榊が困惑&混乱。

どうやらそんな事実は一切ないため呆気に取られたらしいのだけど

僕には

やましいことはない(例えば飲みの席で、「可愛さが余って"チュー"された」みたいな)ものの、誤解を招くから言ってなかったことを暴露された

の反応かと思ってて。


びっくりはしたけれど、そのくらい溺愛されてたんですねぇ、と思ってて(脳天気)。

でも一向に融けないどころか、悪化する榊の硬直っぷりに、
あれ違った?と、むしろそっちに僕は気が気でなくなるほどだった。


とにかく、その話をポジティブに信じられるくらいには
2人の絆は深かった。



そしてN田さんは
僕に趣味を置いていってくれたと思う。

休み休みでも、なんだかんだずーっと取り組むモノ的な。
それが本当の趣味っていうものかな?

昔みたいにorN田さんみたいに、バリバリにはできないけど、それでいい。
趣味は楽しむもの。
「楽しい」だけで、いい。


N田さんの挨拶の二言目は大抵
「最近、絵ぇ、描いてるゥ?」
だった。

でも僕は目の前のことでいっぱいだったり
描き方(=楽しみ方みたいな意味で)が分からなくなって

いやぁ、全然です。。。

と返すばかり。
もちろん会話はそこで終わってしまう。


今となっては
もっとあれこれ描くか、
描けないなら
描いてるN田さんの作品見せてもらったり、その話聞いたり、
昔の話してみたってよかったよな、と
思い至る。

親孝行、じゃないけど
したいときには、ナカッタリするんだよね。


N田さん、
僕聞きたいことたくさんあるよ。
教えてほしいことたくさんあるよ。


趣味を置いてってくれたと感じたとき

"仕事ばっかり頑張るな"

そう言われてる気がする。

オイルパステル 2

画材の他に書籍もいただいた。

パステルのための入門書と、
「本棚の本も、好きなの好きなだけ持っていっていいよ」とのことで
美術手帖をはじめ、画集や写真集(假屋崎省吾さんの作品写真集とか。個展に行けずじまいなので結構嬉しかった)紙版的な素材集のようなものなどをいただいた。

昔、箱入りのガロももらったことがある。
僕が本棚の中のそれに気づいて、「わぁ、ガロだ!」と感動したら、その場でくれたのだ。

ガロは、知ってはいるけれど、生まれてないというか世代でなくて。だから現物(厳密には復刻版のようだけど)を手にできるのはとても嬉しかった。

ちなみにガロも、僕には縁のあるモノで。それはまた追々。



パステルって、ぼんやりとした、やわらか〜い絵を描くしかないのかと思っていた。

部活の自由制作で、パステルを選んだ先輩が、カラー(花の"カラー")を描きたくも、輪郭のシャープさと植物のやわさの両方が表現しきれていなくて、先生に何度も訂正させられ、苦労していたのが今でも忘れられない。
故に苦手な感じがあって。

画材はおろか、パステル関係の本すら、手を伸ばせていなかった。


しかしInstagramで見たそれらは、軽快なタッチで楽しそうであった。
ちょっとラフな刺繍のような。気の利いた挿絵のような。

こういう表現もありだよ、と教えてくれた感じ?

オイルパステル 1

Instagramの最新投稿やおすすめの投稿が見られる欄に

絵を描いてる様子のリール?があって



僕は、絵の関連を検索したことも、それに繋がりそうなものを見たこともなく ーとにかくどうにも心当たりがないー

本当に唐突にそれは現れて。


最初は、これから描かれるモチーフが何なのか気になった。
サムネのままだけど、そのまま見続けたらピンクや紫やオレンジのたなびく雲が浮かび上がり、朝焼けの空のような絵になるようだった。

画材は小さく細長いクレヨンのようなもの。
画面の上の方に見切れていたのと、その時はそこまで気にも留めてなかったので、円柱形=クレヨンだと思っていたのだ。

だが、それを注視したと認識されたのか、その次にはチラホラ意図的に流れてくるようになった。
動物、植物、食べ物、ビンなどの静物画のようなもの。

意外にも、スケッチやイラストのような軽いタッチが僕の興味をそそった。

そこで改めて一つの投稿にアクセスしたら、キャプションはごくわずかで、末尾に添えられたハッシュタグに、どきりとした。

#オイルパステル


え?

どうして?



偶然にしてはできすぎている。
だって微塵も検索したことないワード。

アート系が流れてくるのはまだ分かるとしても、数ある枠のなかからドンピシャでオイルパステルが流れてくるってことある?
検索もなにもしてないのに。






オイルパステルは
N氏から生前に引き継いだ画材。


宣告を受けてから、例の秘密基地に呼ばれて、本当に一切合切、絵に関する道具をすべて僕にくれた。
その中で1番メインの画材がオイルパステルだった。
(水彩も、油絵も、普通のパステルも、N氏は一通りやったと思う。その中で直近or/and長く続いたのがこれだったのだと思う)


使いかけ、使い終わり間際もあれば、新品もあった。それを全部。
N氏本人も「高かったからさぁ、捨てらんないし、かぁといって、その辺に売ってもさぁ、?」と言うほどで、僕も本当に恐縮した。

打診は事前に榊への電話連絡で、あった。
確かそこで宣告の話を聞き、終活してて、画材は鮎川ちゃんに貰って欲しいんだけど、ということだった(と思う)。

その時の僕は、仕事でいっぱい、なんならシャッターアートの尾もあって、絵に疲れてた。
負担とまではいかないにしても、意に添えるか分からないから、辞退したい気持ちもあった。

それを申し伝えようとしたら、榊に片腕で制されて

電話を終えて、ただ一言


Nさんの気持ちを、受け取って欲しい、


そう言われて。

僕は引き受けることにしたのだった。


sketch

今日は一日、野暮用を済ませながら、目に映る、興味のあるものを片っ端からスケッチやクロッキーした。形を覚えること、素早く取ることを目的にしている段階。手の鈍りをとるためとも。まだ駆け出したばかり。

終始隣にいた榊はどこにいても漫画に夢中だと僕は思いこんでいたのだけど、違ったらしい。チラチラと僕の紙束(スケッチブックの余り紙の寄せ集め)を盗み見ていたようだ。

帰宅して。
「絵、上手くなったよね」
「そお?」
「ここら辺の本読んでから急に、なったよ」
※絵の勉強方法を示した某小さな黒い本や、有名画家の作品集など

「手と、俺のスニーカーは特に上手いなって思ったよ。手は、なんていうか…厚みがよくでてる」

そうか。自分でもなんかいつもと違う出来栄えで、それがなんかいい感じには見えていたのだけど、何かまでは分からなかった(手とか有機的な物はモチーフがそれというだけで苦手感が立ちはだかるほど苦手。嫌い)。描き込みはまだまだ少ないけれど、でも伝わる感じがするのは何でだろうと不思議だった。

榊といえど他者からそう見えてるのなら嬉しかった。実感ないから、そう言ってもらえて嬉しいと素直に伝えたら、意外だったみたいで、「じゃぁ今度からこまめに云うね」とテンション高く返された。
それには慌てて「図にのるからやめて。褒めるのはほどほどにして」とお願いした。「前にもそんなこと言ってたね」と榊は笑って了承してくれた。


十字を取ると、正しさが気になってか、より一層崩れる不思議現象。それと、ペン軸のカタチと太さの具合と推測しているけれど、ボールペン(太めで鈍い角丸三角形)のほうがスムーズに描ける。

本を読んでからは自分の目指すところが明確になって、描くことも、それ以外の仕事絡みの勉強も、やりやすくなった。写真や作品集ひとつとっても見方が変わって、体の中に入ってくる感じがする。

クリム

僕は美大生じゃない。芸大生でもないし、デザイン系の学校や学科すらも出ていない。


美大生を探してる人に、美大生じゃないけど君は美術部にいたらしいから紹介したいと話を持ちかけられて、僕の悪い癖である天邪鬼が出た。

最近というかもう5年以上、10年近く絵を描いてない。絵筆も絵の具も物入れの一番下にしまいこんだまま。それくらい描いてない。

僕が描けなくても、絵の描ける知り合いがいるし、その人経由で他にも候補を出せるだろうと考えて、口からも漏らしてしまった。
美大生探してるくらいだから、僕には相当なプレッシャーで、一目散に逃げ道を探してしまったのだ。

でも、自由に絵を描かせてもらえるチャンスなんてなかなかないもので、さらに、歳を重ねるごとにそれはものすごく減る。それこそ描くチャンスが稀すぎてピンチに思えるほどだ。だからきちんと引き受けようと考えている。

こんなことがなければもう絵を描こうなんてしない。役に立てることも、引き立ててもらうことも、新しい経験をすることも、立ち向かうことも、取り組むことも、しない。

絵を描くことはプレッシャーだ。描くことから遠ざかるほどに、自ずと増すばかりの、類の、恐ろしいプレッシャーだ。生温い気持ちで絵筆を握っては、そのぎこちなさといたたまれなさ、居心地の悪さに何度も投げ出した。自己嫌悪にも近い。

プレッシャーをじっと静かに受け取ろうと努めると、その向こうにやりたいと思ってる僕が見える。本当は嬉しいんだ。本当は楽しみなんだ。きっと、本当の僕は、やりたいんだ。若干の希望的ニュアンスが含まれることは否定しないが、真実味のある質量を伴った実感のような、あるいはその逆、実感のある真実味のような、不思議で確かな感触を夜のガラス越しに感じていた。


僕がどんな絵を描くかなんて仕事を通して一応は分かってる人が持ちかけるのだから、きっと大丈夫。そう自分に聞かせる。

これまでも頼まれてやったことはいくらでもある。相手に渡し終えるまではツラくて仕方がない。榊に「そんなにストレスになるなら、もうやめろ」と言われるくらい。でもそれくらい毎回一生懸命だった。その時は自覚してなくて、何年か経ってたまたま見返した時くらいにようやく、ちゃんとやってたんだなって安心する、そんな程度だけれども。


僕にできるかな。やりたい。つまづいてもそれは経験として引き取る覚悟をして。

心配はしても不安は持たないようにしたい。絵に出てしまうから。だったらハッタリでも明るく楽しんでしまえばいい。

今回はいつにもなく家族にも榊にも引き立て役の人にもエールを頼もうと思う。しっかり、僕として取り組み、向き合いたいのだ。どうか見守っていてくれるように。
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