抜去の頃 〜少しグロくて長い話

榊がかつて体の中に入れていた器具を抜去する手術をしたことがある。
器具を入れたのは僕と出会うほんの数年前。器具を抜いたのは今から数年前。

榊は手術のために入院して、僕は会社にダメ元で相談をして、数日間早めに帰らせてもらった。(もちろんカミングアウトはしていないので、同棲中の恋人、ということで。ただその存在は周知のことだったのが幸いだったのかもしれない)

あの一連の日々は忘れないだろうな、とこの間、榊と思い出話になった。

「お前、泣いてたもんなー」

手術した日、無事に終わった報告とともに、いくつか不便なことがあるので、やっぱりできれば来て欲しいと言われて、必要なものを買い揃えながら文字通り駆けつけた。
整形外科的な手術なので、命に関わることはほぼないのだが、複数箇所同時に行なわれたため負担もあっただろうし、やはりベッドに横たわる姿に多少の痛々しさもあった。そしてなにより大きかったのは、安堵感と榊への労いの気持ちだった。
仕切りのカーテンを開けて榊の姿を認めるや否や、大粒の涙が零れ落ちた。
あぁ僕はこんなにもこの人のことが大切だったんだ、とその時思った。


親戚の人が様子を見にきてくれていたらしいのだが、気を遣ってできなかった本当にささいな頼みごと一つ一つを叶えてやった。
そうやって面倒を見て話を聞いている間、ずっと感じていたチクチクとした胸の甘い痛みは今でも鮮明に蘇らせられる。


しかし僕としては、その翌日か翌々日の榊の背中のほうが印象的だったりする。

早速、車椅子生活になるや、僕を一回のエントランスまで見送ると言って聞かない榊。
僕も別れ惜しいのは一緒なので様子を気にしながら、その言葉に甘えることにした。

照明が落ち、静まり返った待合ロビーをまっすぐ抜けて、風除室を挟んで、病院の中と外にわかれた。「じゃぁね」とお互いに手を振る。
季節は春の大型連休の少し前だった。毎度駆けつけていた僕に榊が
「少し汗臭い?」と笑って指摘するくらいの、夜はそんな陽気だった。
とはいえ病人に不必要に夜風を当てたくないし、バスの時間までダラダラしてしまうと余計に惜しくなるから、先に部屋に帰って、と促した。

それには榊も素直に応じてくれて、バイバイともう一度手を振って器用に車椅子をくるりと反転させた。
動く方の、片手と片足で車椅子を進めていく。一生懸命前後に動く背中。明かりの足りない吹き抜けの病院ロビーにゆっくりと吸い込まれていく榊。
不自由なために振り返ることもできず、ずりずりとひたすらまっすぐに進んでいく。

その小さくなっていく懸命な背中を見て耐えられなかった。
こんな無様な顔を知られたくないから、どうか絶対に振り返らないで欲しいとも思った。

器具を入れらたその当時、榊は色々な意味で、そして本当にひとりだった。
それを想像してしまった。どんだけ寂しく辛くみじめだったのだろうかと。

そして、これは僕の思い上がりかもしれないけれど、今は、その時よりかは幸せだろうと思った。

別れ際の、あの屈託ない無邪気な満面の笑み。別々の夜は寂しいけれど、でもどことなく、僕に会えたことや、いつか退院する日を僕が待っている喜びに、満足げな背中(僕にはそう見えたのだ)。

榊や、榊とのことを、こんなにも離れて客観的に見ることがなかったから、色々な面や感情が一気に押し寄せてしまって、処理しきれなくて、僕はバス停で1人溢れ出るままに涙をこぼした。
病室にたどり着いたらしい榊から「鮎川のために生きる。そう決めたから」とメールが、来て、涙腺が大決壊したのは言うまでもなく。夜で良かったとつくづく思った。

ということを思い出しながら語っていても、当時と同じくらい泣けてしまう。榊に語った時も、そしてこれを書いている今も。


正直、大切にしたいとどれほど思っていても忘れてしまう思い出はある。
でもきっと、この出来事は一生忘れないと思う。痛みをともなうような愛しさの記憶は、いつまでも忘れずにいたい。

sketch

今日は一日、野暮用を済ませながら、目に映る、興味のあるものを片っ端からスケッチやクロッキーした。形を覚えること、素早く取ることを目的にしている段階。手の鈍りをとるためとも。まだ駆け出したばかり。

終始隣にいた榊はどこにいても漫画に夢中だと僕は思いこんでいたのだけど、違ったらしい。チラチラと僕の紙束(スケッチブックの余り紙の寄せ集め)を盗み見ていたようだ。

帰宅して。
「絵、上手くなったよね」
「そお?」
「ここら辺の本読んでから急に、なったよ」
※絵の勉強方法を示した某小さな黒い本や、有名画家の作品集など

「手と、俺のスニーカーは特に上手いなって思ったよ。手は、なんていうか…厚みがよくでてる」

そうか。自分でもなんかいつもと違う出来栄えで、それがなんかいい感じには見えていたのだけど、何かまでは分からなかった(手とか有機的な物はモチーフがそれというだけで苦手感が立ちはだかるほど苦手。嫌い)。描き込みはまだまだ少ないけれど、でも伝わる感じがするのは何でだろうと不思議だった。

榊といえど他者からそう見えてるのなら嬉しかった。実感ないから、そう言ってもらえて嬉しいと素直に伝えたら、意外だったみたいで、「じゃぁ今度からこまめに云うね」とテンション高く返された。
それには慌てて「図にのるからやめて。褒めるのはほどほどにして」とお願いした。「前にもそんなこと言ってたね」と榊は笑って了承してくれた。


十字を取ると、正しさが気になってか、より一層崩れる不思議現象。それと、ペン軸のカタチと太さの具合と推測しているけれど、ボールペン(太めで鈍い角丸三角形)のほうがスムーズに描ける。

本を読んでからは自分の目指すところが明確になって、描くことも、それ以外の仕事絡みの勉強も、やりやすくなった。写真や作品集ひとつとっても見方が変わって、体の中に入ってくる感じがする。

陰陽

期待と緊張入り混じり、1人シャワーを浴びる。
何時も安定してる人なんていないことは承知している。不安定も安定をはかるひとつの分銅と思えるようになってきた。だからこそふと立ってしまったさざ波が落ち着く瞬間を探している、そんな自分がいる。

今回の絵の件は、全くどうなるかわからない。仲人役の上司いわく、フラットに相手の要望を聞いてから始めた方がいい、と言っていた。描くのはね。その上司だって引き受けておきながら時折ヒヤヒヤしてる様子てどういうこと?(笑)

資料はすでに集めていた。話を持ちかけられた翌日には現地に赴き、その後何度か気がすむまで通ったり、関連施設に資料を見せてもらったりした。榊も文句も言わず付き合って色々と助けてくれた。

準備なんて、してもしなくてもそれぞれの緊張をする。
だから集めるだけ集めて寝かせていた。そして先刻必要があって少し整理した。乱雑な紙束をきちんとファイリングした。不安がひとつ減った。

それでも段階を進むたび気持ちに落ち着きがなくなることがある。
そろそろと思って、榊も寝てしまったので、気持ちを整理してみた。

僕は僕自身に声をかけ、この件における約束事を設けることにした。

上手く描こうとしないこと。ゴールは、完成させること。それを達成すること。

どうしても頑張りすぎるから、余計な力が入って、らしからぬ結果に終わってしまうこともある。
プレッシャーはそのままに。僕の等身大で描く。それで却下されたらそれはそれで構わない。
語弊はあるけれど、解放されてある意味ラッキーとか、またここから絵についていろいろトレーニングしていきたいとか、思えばいい。

焦りながら無様にもがいて、あれこれ調べたり取り組んでいるうちに、僕に必要だったものが何だったのか少し見つけた気がして。それだけでも儲けたなと思っている。マスターしたい分野のトレーニングの仕方も分かった。

仕事自体も、仕事にまつわる自主研究も、どことなくモチベーションが上がらなかったのは、メンタルだけの問題ではなくて、僕の中での意義や目的、目標が消えてしまっていたから。

何ができて、何ができなくて、何が必要で、何が欲しいのか。そして僕は何が好きなのか。何をしている時が楽しいのか。全く分からなくなってしまったのだ。

教本や手慣らし、トップクラスや匠のような人たちのエピソードと自分を照らし合わせたら、僕の中のモヤモヤに陰影が現れた。形がつかみやすくなった。

激しい水音の中で、歌い、何もかも洗い流し、夜を越えたら、不安が少しは薄らいだ。
このまま榊の隣に戻って眠ろう。

課題図書

夜中の駄文はロクなことがないと先に申し上げておく。いつも以上に自己満足の記録記事。(たぶんここ1〜2カ月、躁転気味なのだと思う)


これまでは目先の未来と願望で動いてきた。

「何になりたいか」

今は、そういった具体的というか限定的な願望はなくなった。ゆえに時々苦しくもある。
ふと頭を擡げるのは、漠然とした、抽象的な、状況だったり環境だったりカタチだったりへの希望。

「どう生きたいか。」

まだ舵を切れるほどの確かさが自分の外にも内にもない。

ただ小さな出合いがいくつもあり、都度、覚悟を決めよ、という信号が遠くで発せられてるのは感じている。



それと関係ある…ように上手くは語れないのだけれど、どうにも記しておきたくて、ここに付記する。

榊の友人から、半ば押し付けられるように漫画を借りた。『3月のライオン』。

漫画自体読むのはいつぶりだろう。中高生くらいまでか。働き出してからは読むのがあまりにつらくてやめた。
ハマってしまうと、読んでいるそばから全ページの様子(コマ割りやカット、セリフ)がまるまる頭に入ってしまう。すると脳みその中がその記憶でいっぱいになり、仕事のキャパが減ってしまう。ゆえに自然遠ざかっていた。今でも避けるし抵抗感もあり、こちらの作品も4割くらいの力で流し読みするようにしている。少し残念なことなのだけど。

話が逸れた。

作家特有の、線や画面の情報量が多いことに最初は抵抗感があった。しかし読み進めていくうちにそんなことを忘れるくらいハマってしまった。

人々のアップダウンの生々しさに翻弄された。
(だから、冒頭で述べたように人生に惑いがある僕なんかは、やってきた展開に安易に同調してはしっぺ返しを食らい、自分の甘さを思い知らされている。そしてますます迷い込む)
ドキュメンタリー的な展開だから「意外な」伏線はない分、関わりあう人物同士の視点や心情の交錯に妙がある。

それと、同じ経験をしている人なら恥ずかしさのあまり胃のあたりが湿るような至りの数々がエピソードとして散りばめられている。あるあるなどというレベルではない。本当に心底恥ずかしいと思うことなのだから、これをさらけ出す作者の覚悟を感じた。作者が自身の心身を削ってのせているように僕は感じた。

その一方で、順序よく過去や関係性を詳らかにしたりしない。これでもかと読者を置いてけぼりにする。さらに報いを与えたり、貶めるのに加減をしたりもしない。明らかに何かを堪えたり容赦なく行なっていたりする意図を僕は感じる。

そうでありながら作者の線は寸分も狂わないのだから、やはりプロは違うと圧倒された。この人に熱烈なファンがいることも納得した。静も動もあの人の変わらぬ独特の線を以て成立している。


まだ3巻までしか読んでないのであまり熱をあげすぎないようにこの辺りで控えておく。

ちなみに榊は全く別の作品を託されている様子。

緑のトンネル、生命の名

向こうの家族が心配するほど榊が泣くから、僕は泣かなかった。泣けなかった。

祖母の別れのツラさから立ち直ったばかりだからか、躁転しているからか。正直なんともなくて。榊の悲しみ方に醒めている自分にさらに醒めていたりする。

「あの時」の僕もこんな感じだったのか。なんでもかんでもこじつけて、しみったれて、自家醸造酒的な涙にいつまでも酔って。……榊をディスってるわけじゃないけれど、そんな状態なのだ。

パートナーを支えて、癒す時ですよ、そのための泣けなさですよ、と言われたとしても、こういう時はそっとしておくのが一番だと思うのだ。彼のためにも僕のためにも。悲しみってどうにもできないから。そっとしておいて、いつもの日常をまわすことだけしてればいいよね。

悲しむだけが供養じゃない。泣けない自分を責める必要はない。オジサンの毎朝の一言、晩年にあたっては「頑張ってきてください」だったわけだから、僕には泣いて欲しくないんだと思う。


締め切りの仕事を途中で切り上げ、上司に押し付け、駆けつけて。今日は実家からの呼び出しで帰省で休暇。明日はお盆で早店じまいになる予定で、僕が間に合わないからと穴埋め出勤させてもらえず。
振り回され、振り回り、振り回している夏。

精神的にいろいろキツイ。いっそ露骨に嫌って叱って断ってくれたら楽だ。なんでも許してくれるから、ふと瞬間疑心暗鬼になる。これまでの一致が、そうではなくなってきて、新しいバランス点を探している。だから気持ち悪い。のかもしれない。

しっくりこない胸を抱えながら田舎に帰る。リセットなんてできるか。するしかない。


過去には戻れない。どんな明日になろうとも僕の新しい地点を探す。しかない。
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