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その男は突然やって来て、それから俺の側によく来るようになった。
何で来るんだ?って尋ねたら、変な顔になってそいつは叫んだ。
「何だお前、喋れんじゃねぇかよ!」
最初喋らなかったから、てっきり俺が言葉を知らないと勘違いしていたらしい。
言葉は知っているが、文字は知らないと答えたら、棒で地面に文字を書いた。
残雪
画数の多い、覚えるのが面倒臭そうな文字だった。
「俺の名は残雪ってんだ。お前は?」
俺に、そんなモノない。
だから黙ってたら、そいつは苦笑して、
「じゃあ、とりあえず小鬼ちゃんな」
なんだそれは。今度は俺が変な顔になった。
すると、その残雪と言う男は、苦笑の顔のまま言う。
「呼ぶ時不便だろぉよ」
別に、俺のことを好んで呼ぶ奴なんていない。
生まれた時から孤独だった。
孤独には慣れていたし、むしろ望んでいた。
馴れ合いしている周りの人間はすぐに死んでいったから。
残雪と言う男は、それから毎日夕方頃に俺の元に来た。
殺そうとするのは最初の2、3回で諦めた。
この男は、ちゃらけている割には隙がない。
それに、初めてコイツに刃を向けた時の…
『へぇ、俺達良く似てんなぁ。なぁ、小鬼ちゃん…?』
その視線一つで、俺は殺意を根こそぎ奪われた。
敵わねぇ。心の底でそう思った。実際、その後の数回の襲撃も、簡単に防がれた。
「おーい、小鬼ちゃーん」
今日も残雪と言う男は、俺の前に姿を現した。
俺が壊れかけた無人のわらぶき屋根の上から顔を出すと、それが影に映って、残雪は上を見上げて笑った。
「そうしてるとまるで猫だな。来い、今日は土産があるんだ」
俺は屋根から下りて残雪の隣に着地した。
そして、俺の前にどんぶりを差し出した。
「ホレ」
受け取ったそのどんぶりからは、うまそうなにおいと湯気が立っていた。あったかい。
残雪は地べたに胡坐をかいて、俺もその隣に腰を下ろした。
残雪ははしを使って、それを食べてみせる。どうやらこれは食い物のようだ。
「蕎麦っていうんだ。まだ熱いから、美味いぞ」
はしなんか、使ったことねぇから、指でその蕎麦ってもんを掴んだ。少し熱くて体が震えた。
それから、食ってみた。
「!」
「美味いか?」
残雪の言葉も聞こえないくらい夢中になって、俺は"そば"を食っていた。
うまい。こんなうまいもんが、世の中にはあんのか。
もしかしたら、残雪はすげぇ金持ちなのかもしれない。
着ている服もいつもキレイだし、きっとそうなんだ。
俺は、あっという間にどんぶりを空にしちまった。
そしたら残雪は笑いながら、
「俺のも食うか?」
そう言って、食いかけの自分のどんぶりまで俺にくれた。
俺は、また夢中で食べた。
食べたら眠くなった。
「なんだ。食べたら丸くなって寝るなんて、ホントに猫みてぇだな。お前」
残雪は、俺のことを触った。
ふろなんて入ったことねぇからくせぇし、肌もガサガサしてんのに。嫌がりもせずに触った。
「…こっから見る夕日はいつも綺麗だなぁ…」
目を細めて、夕日を見ていた。
それから…―――
「…神田ユウ…」
「……?」
知らない名が残雪の口から出てきたから、俺は顔をあげた。
「お前名前ねぇんだろ?決めたよ、お前の名前。神田の夕。だから神田ユウだ。俺の、大好きなものの名前だ」
神田ユウ…その響きが、俺はなんだか好きだった。
しかも、名字までつけてくれた。武家や殿様でもねぇのに。
「ユウ、お前は俺が拾ってやる。俺の棲みかには俺やお前みたいな奴が沢山いんだ。俺達見たいな鬼がさ…」
―――こうして俺は、神田ユウとして、残雪に拾われた。
「おーい!ユウ!飯行こうぜ」
「ああ、残雪。今行く」
「何食う?」
「蕎麦」
「おっ前好きだなぁ、蕎麦。たまには別のもん食え!仕方ねぇ、あたしが牛鍋でも作ってやるよ」
「おう」
―――俺は今も、残雪の隣で歩んでいる。
「神田の鬼?」
仲間からの噂話に、残雪は怪訝な顔になった。
「ああ。なんでも最近、神田川の近くでよく人が襲われるらしい」
最も、人が襲われるなんてこのご時世、珍しくないけどな。そう言って、仲間は苦笑を零す。
残雪は、一服していた煙管から煙を吸い込むと、口から煙を吐き出す。
「それでな、どうも目撃者によれば、そいつは確かに人の形をしていたそうだ」
「なんだ。生き残りいんじゃねぇかよ」
「殆ど瀕死の状態だったらしいぞ。手当てのかいなく、すぐに亡くなったらしい」
それだけ聞くと、残雪は煙管をくわえて踵を返す。
「残雪?まさかお前、行く気か?」
「ああ。興味がわいた。ちょっくら行ってくらぁ」
「正気か?被害者数はすでに両手じゃ足りないほどだぞ」
「ハ、俺に正気かと尋ねること自体酔狂なことだ。お前さん、この俺を誰だと思ってんだ?」
唇は弧を描き、目を細めて笑った。
「俺も鬼と恐れられた端くれだぜ」
夕暮れの神田川は、水面が夕日を反射して、美しく趣深い景色を作り出していた。
残雪は橋のたもとに立ち、周りを見渡した。
人はいない。まあ、殺人の噂が立つ場所に、わざわざ赴く人自体、珍しいだろう。
「…こんなのどかな場所にホントに居んのかねぇ」
残雪が煙管の煙を吐き出した。刹那。
風が、凄まじい速度で残雪に牙をむいた。
残雪は煙管でその無礼な襲撃者の攻撃を弾く。
そして、再び煙管を口にくわえ直し、右手を刀にそっと添えて襲撃者を見た。
(……ガキじゃねぇか…)
残雪は、目を見張った。
その襲撃者は小さな子供。棒のような手足に痩せこけた頬。
しかし、目だけは獣のようにギラギラと輝き、その大きな瞳に夕日が反射する、そのものすごさ。
「お前さん、ここん所神田に出没するって鬼か?」
フーッ フーッ
「お前さん、名前は?」
フーッ フーッ
「…なるほど。人語を解さぬ。まさに鬼だな」
襲撃者は懐に隠してあった小太刀を抜き、残雪に飛びかかった。
素早く鞘から抜かれた刀がそれを容易に防ぐ。
そして、双方の、赤と黒の瞳の視線が交わった。
「へぇ、俺達良く似てんなぁ。なぁ、小鬼ちゃん…?」
「……!」
くわっと目をむいた少年は、飛び退いた。
そして、背を向けて素早く逃げていく。
その背中に残雪は叫んだ。
「お前面白いな!また来る!!」
少年の足が止まり、振り向いた。
少年の目に映ったのは、夕日に包まれ、手を振りながら橋を渡って帰っていく…
羽織の背に鳳凰が描かれた一人の侍の姿だった。
性 別 | 女性 |
誕生日 | 8月24日 |
血液型 | A型 |