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花火のような光だとしても

「一緒に生きてほしい」


ゆうさんは、わたしにそう言った。




わたしは生きることに関して
特に意欲がないというか、なんというか


ただ、いま生きているから
ただ、なんとなく毎日やり過ごしてる感じ。


死にたいとかではないけれど

別に明日死ぬよ、って言われても
強く生きたい!もっと生きたい!とは思わない。


痛みも、苦しみも感じないのであれば
今日でも、明日でも、死んでもいいと思ってるというか。




この考え方、思いについては
それはもう賛否両論あるだろうし

わたしの意見が正しい!とかは思ってないけど


これからまだ、何十年も生きなければいけないと
考えただけでしんどくなってしまう。




同じ職場にもうひとり、わたしと同じ考え方の人がいて

ゆうさんもその人と仲がいいのだけれど。




唐突に、その話をし出したとおもったら

「俺ともう一緒にいられなくてもそれでもいいの」

「別にもう俺は要らないの」

なんて言い出す。




そういう意味ではないのだけれど。


説明するのには難しい。







ゆうさんは、わたしに

「一緒に、生きてほしい」

「俺はこれからも一緒に生きていくつもり」

「俺のために生きて」




なんて言い出すからびっくりした。




まるで、プロポーズみたいだと
少し、おかしくなった。








ずっと、とか永遠とか。

信じてないわけじゃないけど。


ゆうさんとこのまま、ずっと、が
わたしには信じられない。


どうせまた、いなくなるんだと。


わたしから離れていくんだと。


その思いが強く、残ってしまう。




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