家族の話、というかなんというか。
母と父は離婚していて、父はわたしが小学校の時に亡くなっていて。
母方のおばあちゃんとおじいちゃんには、ほんとうにお世話になっているのです。
そのおばあちゃんはいつからか、わたしに「がんばれ」を言わなくなった。
バイトに行くときも、おじいちゃんは
「がんばって、いってらっしゃい!」と見送ってくれるのだけれど
おばあちゃんは
「がんばらなくていい。お給料は変わらないんだから。いってらっしゃい。」と必ず言うの。
バイトにいくときだけでなくて、
学校のことも、私生活のことも、ぜんぶぜんぶ
おばあちゃんはある日から一切わたしに「がんばれ」を言わなくなった。
その、ある日をわたしはきちんと覚えているわけではなくて。
でも、そのある日に何かあったのは確かで、きっとおばあちゃんに何かを言ったのも確かなのだとおもう。
機嫌が悪くなることは多々あっても
あまり、怒りの感情を人にぶつけるのは得意ではなくて。
たまりにたまって、それが一気に爆発するタイプなのだけれど。
2度ほど、爆発させたことがあって、それ以来は笑い話のように
「あの子は怒るとこわいから」と妹たちに話しているのは聞いていたのだけれど。
きっと、それもひとつの原因で。
おばあちゃんは
こんなどうしようもないわたしでも、日々をわたしなりに精一杯がんばっていることを知っていてくれるのだとおもう。
だからこそ、
「がんばらなくていい」というおばあちゃんの言葉はわたしには重すぎるほどで、鋭く胸に突き刺さる。
「がんばらなくていい」
たったその一言なのに、おばあちゃんはわたしのすべてを知っているようで
毎回泣きたくなる。
わたしは、おばあちゃんがおもっているほどがんばっていないのになあ、と毎回おもう。
でも、おばあちゃんのその言葉があるからこそがんばろう、と毎回思えるじぶんもいて。
ほんとうに、感謝しているのです。
一人暮らしを始めて、実家からもおばあちゃん家からも離れてしばらく会いに行かないこともあって。
気づいたらわたしの方が大きくなっていて、横に並ぶとおばあちゃんの小ささにびっくりする。
年齢にしてはとてもとても元気で。
会いに行けば、いつもご飯を作ってくれて
わたしのすきなものを覚えては毎回用意していてくれる。
覚えていたの、と思わず笑ってしまうほど。
これ買っといたから、
これ用意しておいたから、と
いつもいろんなものを準備していてくれる。
きっと、おばあちゃんやおじいちゃんの中ではわたしたちがどんなに歳を重ねようが孫として可愛いのは変わらなくて
無条件に、わたしたちを愛してくれているのだとおもう。
なにもしてあげられていないし、
いくら元気だといってもいつなにがあるかわからないし。
いつまで並んで歩いていられるかもわからない。
ひとつ、思うことは
ふたりが元気に生きていてくれる間に
せめて結婚して、ひ孫を抱かせてあげたいということ。
そして、わたしの夢のひとつが
おじいちゃんと一緒にバージンロードとやらを歩くこと。
相手もいないし、そんな予定もないのだけれど。
これだけは変わらない、わたしの夢。
どうか元気で、いつまでも笑っていてほしい。
「がんばらなくていい」
その言葉に込められた思いをきちんと胸に抱いてわたしは
がんばるからね。