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親は何者であるか突き詰められるのか。

お久しぶりです、考える事を諦めないよう努力している桶乃ハシです。

去年の夏頃から色んな人と会う機会が多くなり、知り得なかった事もたくさん教わりました。そんな中で、今年の夏、私の父が他界しました。肺がんでした。65歳と平均寿命よりも早く逝ってしまいました。これからゆったりと生活する予定だった父です。一緒に住んでいる時は悪い所に目が行きがちですが、結婚し、離れて暮らすようになってから、父の偉大さに気付かされていました。そして、亡くなってしまうと、全然適わないな、と思わせられました。親の偉大さ、適わない、と思う感情はよく聞くありがちな言葉ですが、本当にそうなのだな、と思い知らされました。不思議ですね。体験しないと分からないのですから。いくら情報として分かっていても、理解しきれていないんですから。でも、それは仕方の無い事、と片付けるのは簡単です。その<仕方ない>は何か。個人的にこう考えてます。

<仕方ない>≒<難しい>

です。親に対して固定観念があるからこそ、一個人としてみれない死角があるからです。一時的に一個人として見れる事もあると思いますが、親はこうあるべき、親はこうして当たり前、と無自覚ながらあると思うのです。いつもご飯を作ってくれてると、それが当たり前であるかのように、家の為にお金を入れてくれる事も当たり前に思えるのではと。他人の言葉やメディアの情報から、無自覚ながら親のあるべき姿を思い描いてると思うんです。もちろん、親が子どもに対して与える事を放棄するのはどうかとは思いますが、大人になって、与えて貰ってる事に気付くのって非日常的な事がないと分からないものなのだ、と。
人によっては親が亡くなったりせずとも、偉大さや適わない相手、と実感している人もいると思います。あくまでも私個人的な考え方です。

余談ですが、結婚してから親を一個人として見れていない事に気付いて、客観的に見ようとしてましたが、なかなか難しいですね。親の固定観念に掛かっていた歳月が長すぎて、親の事を一部しか理解出来てないなと思い知らされてました。

この話を最後まで読んでくださった人にとって、親とは何なのか、考える機会となればと思います。
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