あれ、なんだろ酸素が足りないって言うか息が出来ないって言うかとりあえず苦しくて、脳みそがキンキン叫んでる。それが煩くて思わず顔をしかめた。
次に理解したこと。ああ、これは、






『トシ!また煙草吸ってるでしょ!!?』


あたしの部屋にいた男はあたしの存在を認めるなり目を真ん丸にして、くわえていた煙草を赤い携帯灰皿にギュッと乱暴に押し付けた。
いや、急いで証拠隠滅しようたって無駄無駄。ここにあたしがいる訳だし、四角い箱に充満してる臭いはトシがいつもくっつけてる臭いと全く同じな訳で。


『軟弱者』

「……俺が悪い訳じゃねぇ、」


短い沈黙を破った第一声がそれ。この期に及んでまだ言い訳すんのかこの野郎。大体あたしのために禁煙するとか言ったくせに、部屋の片隅に下手くそな字で“禁煙生活”って書いた紙を自分で貼ってたくせに。
こんなにイライラしてるのはニコチンやタールのせい じゃない。分かってる、けど。


『じゃあ誰が悪いのさ』

「煙草が悪ぃんだ」

『…ばかみたい』


そんな子供が責任逃れするような言い訳なんて聞きたくないんだってば。どうして同じこと何度も何度も繰り返すんですか貴方は。別に外で吸えばいいのにさ、訳分かんない。あたしは煙草が嫌いで、彼は煙草が好きで、あれ 矛盾。


「煙草吸わねーとよ、イライラしてくんだわ…」


言いながらそっと煙草の箱に手を伸ばしたトシの掌をすり抜けるようにしてあたしの掌が奪い取った、にっくき強敵。それを力任せに握り潰して、屑籠に向かって放り投げた。残念ながら距離が足りなくて入ることはなかったけど、


「…オイ、」

『……煙草煙草煙草って、そんなに煙草がすきなら煙草と結婚すればいいじゃん!』


口から出た強がり。結局、一等で子供はあたしなんだなぁ。トシのこと馬鹿に出来ないや。イライラの原因、認めたくないけど、それがまた澱んで汚くなって醜い嫉妬に進化していく。あたしのこころの奥で。



「だからって投げ捨てることねぇだろーが」



見透かされたホント。
いや、なんかの唄で認め合うことが出来ればさ ってフレーズがあった気がする。それが瞬く間に出来たらかなり楽だよね。でもあたしは煙草の存在を認めたくないんだ。つかこんなモノ誰考えたんだよ。南蛮人か?ポルトガル人か?そしてどこから来たんだこれ。欧米か?とか話を脱線したがる理由は後にも先にもただひとつ。

あたしは煙草に嫉妬してるんだ。

だってあんなにトシに想われてていっつも傍にいて貴方お風呂にします?ご飯にします?そんなしょーもない二択もトシの手にかかれば「まず煙草だ」って三択になるくらい、彼にとってはあなた様が余程大切なようで。肝心なそいつは生きてないけど。


「…買ったばっかなのに勿体ねぇな」

『  。そんなの知らない、』

「大体、煙草に対する好きとお前に対する好き、は違うっつーの」

『…で?』

「要するに、煙草に嫉妬するお前が馬鹿なんだ」


何よその開き直った態度っつーか最早逆ギレじゃない。怒って泣きわめきたいのはこっちの方なんだってば。馬鹿なんて言われたらトシの方が馬鹿だしって言いたくなるのは普通のことで、





「…お前への好き に勝るモノなんて、何一つねぇよ」


そうやってまた急に優しくなるから、あたしは目隠しをされたみたいにどうすればいいのか分からなくなるんだ。不意討ちのときめき。そしてちょっとだけ優越感。床で寝転がってる煙草にザマアミロ って心臓が呟いて笑った。


「…ったく、喋ったら口寂しくなっちまった」


トシはちゃんと屑籠の中に煙草の箱を捨て、それからにじりにじりとあたしの傍に寄ってきた。畳の擦れる音がやけに響くから何だか可笑しかった。
触れることが出来る距離まで近付くと、にんまりと笑う。なぜかせつないふたりぼっちの中、トシの意地悪い瞳の奥に眠る作戦公開まで、後3秒。あ あの煙草の臭い。




「キス、してもいいか?」




真っ白になった世界に再び色がついたのは、くちびるから零れた煙草の味だった。




【…煙草の味、おいしくない。】