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これじゃまるで(キ学:数学教師 シリーズもの)

なんだか、俺達の普通が歪な形で成り立っているから。
普通の(普通ってなんだか良く分かんねぇけど)時間を過ごすことが、なんだかどうしようもなく
くすぐったかったりする、のだ。


「ラーメン食べに行きませんか」

そう、同僚の女から誘いを受けたのは、週の半ばの水曜日。
ん?もしかして今日金曜日だったっけか?ポケットに入れてるスマホで確認する。水曜日で間違いないらしい。
つーか職場で、しかも人の往来がある廊下で話しかけてくるのも珍しくて、なんだか動揺。

「……今日、金曜日じゃねぇけど」

念のための確認込みで聞く。女はうんうんと頷き、分かってると一言、それから悩ましげな表情で悶えた。

「さっきさあ、授業中になーんか知らないけどラーメンの話になっちゃって。なんでだっけ?でもそこからもうダメ、ラーメンが食べたくて食べたくてもう無理。分かってくれるよねこの気持ち」

で、どう?今日暇?
ずいっと迫られて、一瞬たじろいだ。
授業中にラーメンの話なんかするからだろ、と言うツッコミはひとまず置いておくことにして、ケータイのカレンダーを開き予定がないか確認する。
別にいいけど、と言う返答を口から出す前に、すれ違った生徒に声をかけられた。

「さねみーん、やっほ」

「誰がさねみんだコラ、つーかスカート短ぇしネクタイだらしねぇぞ」

「えーっ、夏だしこれくらいいじゃん」

「テメェらは年中そんな格好だろうがァ」

「女子高生の青春を奪う気ですかーっ」

「そうそう、今しか出来ないんだから許してよね」

「何馬鹿なこと言ってんだ、いいから大人しく直せェ!」

きゃいきゃいと目の前でスカートを翻してはしゃぐ生徒達。
いくらスカートが短かろうがパンツが見えようが残念ながら欲情しねぇんだな、これが。
手に持っていた教科書で虫を払うように生徒を退ける。

「とっとと教室戻れェ、鐘鳴るぞ」

俺の一言に焦りもせず、まだ大丈夫だもんさねみんかわいいとかぬかしやがるから。
ならばと思い、しれっと言ってやった。

「あっ冨岡」

ゲッ!
生徒達の顔が一気に青ざめた。
そりゃそうだ、風紀違反で追いかけられたらめんどくせぇもんな。
猛スピードで俺の元から走り去る生徒達。生意気言わなかったら可愛げもあるんだけどな。

……そんなやり取りをしているうちに、同僚の姿はなくなっていた。

アレ?俺、今、アイツと喋ってたよな?
もう一度スマホを取り出して日付を確認して、そこで既視感を覚える。
夢でも幻でも、なんでもねェ。今日は水曜日で、明日は木曜日。
何当たり前のこと言ってんだ。でも、当たり前じゃないことが、今さっき起こっていたのだ。

「……ったく」

誰にともなく呟いて、頭を乱暴に掻く。
直後、女からメッセージが届いた。週末にしかやり取りしないから、また違和感。
女のメッセージをタップして開くと、ご丁寧にこれから行くであろうラーメン屋のURLが貼られていた。
場所を確認する。繁華街の外れにあるらしいラーメン屋で、メニューを見ると野菜がらたっぷり乗っているラーメンの画像が目に飛び込んできた。

そう言えばアイツ、部活の顧問で遅くなるんじゃ?何度も言うが、俺達は週末だけの関係なので平日のアイツの動きがちっとも分からない。部活があるのかないのか、そもそも生徒指導などの業務があるのかないのか、授業が7限まであるのかないのかすらも分からない。
さっきの話だけどよ、とこれからの予定について聞こうとした瞬間、画面に映っている会話が進んだ。

「今日は部活なし、放課後業務もなし、つまり定時上がり。実弥ちゃんは?」

……心を読んでる訳じゃねぇよな?
辺りを見渡し、女の姿がないことを確認する。
とりあえず、了解の意味でOKのスタンプを送っておいた。

***

そう言えば、平日にアイツと飯に行ったことなんてなかったな、と
いつもより人が少ない駅前でぼんやり考える。
いつもならこの時間でも人がごった返していて、人波の中からお互いの姿を探すのだけでも大変で、前に進むのも一苦労で。
でも今日は平日で、しかも週半ばで、明日も仕事があるわけで。
やっぱりなんだか落ち着かない。いや、別に飯を食いに行くのが嫌とかではなく。
これじゃまるで、

「……」

そこまで考えて、やめた。ガキじゃあるまいし、女と飯に行くことくらい、なんでもねぇだろ。しかも雰囲気のいいバーとかじゃなくて、野郎が好んで行くようなラーメン屋だし。
今更何を思う必要があろうか。気を遣うこともなければ、緊張することもない。
視界の端でふわりと影が揺れる。顔を上げると、女が立っていた。目を見開いて。

「……そう言えば今日、水曜日じゃん」

どうやらコイツも、さっき俺が考えていたようなことを考えていたらしい。
何言ってんだバカ、と、自分のことは棚に上げておくことにした。

***

それぞれ注文し終わると黙って商品の到着を待つ。
話したいことがあったら話すし、なければ話さない。くだらねぇ話題を提供し合うこともないし、変に愛想笑いをする必要もない。だから、コイツといる時間は大分楽だった。
「次いつ家に帰ってくるの?」弟からのメッセージになんて返そうか悩んでいると、注文したラーメンが届いた。明日も仕事だから、と言うのと、今日の昼食べすぎちまったから、野菜もトッピングも麺の量も全部控えめ。
一緒に女の注文したラーメンも届く。見て吃驚した。俺のラーメンと真逆じゃねぇか、コレ。つい、尋ねる。

「お前、マジでそれ食うのかよ」

「え?食べるよ?」

事も無げに言ってのける。いやまあ、人の好みはそれぞれだからいいんだけどよ。

「明日も仕事だろうが、トッピング全増しって、しかも豚骨」

「……逆にそんな少ない量で満足出来るわけ?」

女は俺の届いたラーメンを見て、俺と同じように吃驚していた。店員も作ってる時、逆じゃねぇのか?なんて思っていたんじゃなかろうか。強面の男がトッピング控えめで、細い女がトッピング全増しって、俺が店員だったら念のため「注文間違ってませんよね?」って聞くかもしれねェ。
でも、これが俺の「普通」だし、コイツの「普通」なんだろう。なんだか今日は普通に戸惑う日だな。普通に。

「いただきまーす」

女は意気揚々と野菜をかっこみ、麺を啜り、スープを飲む。野菜の山はあっという間に崩され、中から勢いよく湯気が飛び出してきた。それを顔面に浴びながらも食べる手を止めない様はある種の清々しさも感じる。
いただきますと感謝の言葉を口にして、俺もラーメンを食べ始める。量を控えめにして正解だった。
お互い無言で食べ進めていく。途中、声にならない声を出したり舌鼓を打ったりするけれど、会話らしい会話なんてそこにはない。いつもなら酒が入ってるせいもあるけど二人でベラベラ喋って、取り留めのない話なんかもしたりして、会話が尽きることなんてないのに。

不思議だった。何がって、この空気が。俺達、金曜日に飲みに行って、馬鹿みたいに喋って、終電間近の電車に駆け込み乗車して、俺ん家でドロドロとヤって、月曜日素知らぬ顔でおはようございます、なんて挨拶して。
それが俺達の普通だと思っていた、のに。

「なァ、」

頬杖をつきながら、女を見やる。食べ進めていた手を止め、女は俺に視線を送った。

「この後俺ん家来るか?」

はぁ?素っ頓狂な声が返ってくる。

「何言ってんの?明日も仕事じゃん」

「……だよな」

「そうだよ」

女はそれ以上何も言わずに、再びラーメンを食べ始める。俺も何も言わずに、ぼーっとラーメンをひたすら作る店主を眺めていた。

***

「あーっ、美味しかったぁ」

店を出て開口一番、満足そうに目を細める女。

「中太麺じゃなくて太麺でもよかったかも」

「太るぞォ」

「明日朝練あるし動くから問題なし」

そのまま真っ直ぐ駅へと向かう。夜も深まっているはずなのに、人はまばらだ。心なしか居酒屋の看板も寂しそうに見える。
それでも駅は帰宅ラッシュの波が続いているらしく、そこそこ混雑していた。
改札を一緒に通る。別れる前に、女が口を開いた。

「またラーメン食べたくなったら実弥ちゃん誘おっと」

「はぁ?なんで俺なんだよ」

「だって誘いやすいんだもん、同じ職場だし」

一理ある。学生時代の友人達の勤務時間はてんでばらばらで、朝早く出社する奴もいれば夜遅くに勤務開始の奴もいて、勿論休みも合わなくて。だから、コイツの言うことは分からなくもない。

「じゃあ俺がラーメン食いに行きたいって言ったら着いてくんのかよ」

「え?いいよ」

「いいのかよ」

女は当たり前じゃん、と言い、次いでこう言った。

「お互い独り身で都合がいいからね」

その言葉に引っ掛かりを感じる。確かに、彼氏彼女と呼べる存在がいない俺達にとって、都合がいいのは間違いではない。ただ、じゃあ、もしどちらかに彼氏彼女が出来たとして、この関係はなかったことになるのか?いや、なかったことにはならないか。
都合がいい。そうだよな。俺達はそういう関係だ。当たり前過ぎて、今まで深く考えたことがなかった。利用して、利用されての間柄。
……だったら今まで一人で行けなかったようなところも行けるのではないか?例えば女しかいないような小洒落た喫茶店、とか、女がよく行くプチプラのアクセサリーショップ、とか。そろそろ思春期を迎える長女とオシャレに目覚め始めた次女。最近俺のプレゼントにもケチをつけるようになってきて、どうしようかと悩んでいたところだった。
気になるけど一人で行くのは躊躇われるような場所に着いてきてもらうという依頼をコイツにしても、よっぽどなことがない限り断られない、はず。

「じゃあ付き合えよ」

「えっ?」

雑踏の中で、女が疑問符を掲げる。

「……付き合う、って」

その一言に、しまった、と喉が詰まる。この会話の流れで「付き合えよ」だなんて、まるきり違う意味じゃねぇか。何言ってんだ俺。そういう意味じゃねェと慌てて付け加える。

「お互い独り身で都合がいいなら、俺が行きてぇ場所にお前も来いってことだわァ」

どぎまぎする心臓と動揺をなんとか抑えようと、とりあえず頭を掻く。

「べ、別にいいけど」

乱れ飛ぶ会話の音量にあっさりとかき消されそうなくらい、女の声は小さかった。

「……」

「……」

「じゃあ、とりあえず……今月のどっかで。あーいや、今月ももう終わりかァ。今月から来月のどっか?になるのか」

全くのノープランだった。今月はいいとして、どこに何をしに行くんだよ。どんどん墓穴を掘ってる気がして、俯いた。ややあって、俺を呼ぶ声。

「……実弥ちゃん」

「……あ?」

顔を上げると、プルプルと肩と唇を震わせながら笑いを堪えている女がいた。
なんだよ。ちょっと語気強めに言うと、なんでもないと返ってくる。いや絶対なんかあるだろ。

「何笑ってんだよ」

「笑ってない」

「笑ってんだろうがァ」

「いやごめん、なんか実弥ちゃん、中学生みたいだなって」

「は!?」

予想外の言葉に、思ったよりも大きな声が出た。
隣を歩いていたサラリーマンが俺の声に驚いたのか、振り返って俺達をチラリと見る。もしかして揉めてると思われてるのだろうか。勘違いされても嫌なので、言葉を続ける。

「お前なァ、俺のどこが中学生なんだよ!ちゃんと成人もしてるし、真っ当に働いてるわァ!」

「そんな大きな声出さなくても聞こえてるし!ってか、なんていきなり自己主張し始めたの!?」

俺のすることなすこと全てかツボに入るターンなのか、女は片手で俺を制しひいひいと笑い続ける。
クソ、ドツボにハマっちまった。これ以上何かしても無駄な気がする。ふうと長めのため息をつき、咳払いをして、まだ笑い続ける女にあえて凛とした態度で話しかけた。

「おい」

「あー、おっかし……ごめん、何?」

今日は水曜日で、明日は木曜日。
傍から見たら、俺達は普通のカップルなんだろう。
でも、俺達は付き合ってる訳じゃないし、平日に遊ぶような仲でもねェ。

だからなんだか、この状況が
夢のような気がして。

「お前、今日の分絶対どこかで付き合えよ」


これじゃまるで
(本当に恋してるみたいじゃないか)


了解です、と目を細めて笑うその顔。
学校でも、飲み屋でも、ベッドの上でも見たことがなくて
心臓の奥でなにか、小さな火がついた感覚がした。
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