なんか、変だった。

いつものように待ち合わせして、いつものように空いてる居酒屋に入って
ここまではいつも通りだったのに
携帯に入った一本の通知を見てから、どうも様子がおかしい。
実弥ちゃん──中学の時の同級生で、今現在同僚として働いてる──は、落ち着かない様子で時計を見たり、メッセージを返している。
どうしたの?と尋ねると、なんでもねェと素っ気ない返事(これはいつものこと)
でも、あまりにもいつもと違う様子が気になりすぎて、わたしの方から切り出した。

「急ぎの用事とかなら、今日はお開きにしようか?」

わたしの一言に実弥ちゃんは一瞬、大きな目をパチクリさせたけど
お開きにしなくて大丈夫だ、と言い
そのまま喉を鳴らすいい飲みっぷりでグラスを空けた。

「……?」

実弥ちゃんの様子がおかしいまま、2人だけの飲み会は続き
いつもの終電、発車2分前に駆け込んで、そのまま彼の家へ。
で、いつものように、どろどろと交合う……はずだったのに、なんだか実弥ちゃん、上の空。
いや、気持ちいいのは気持ちいいんだけど、なんだか切羽詰まってると言うか、鬼気迫ると言うか、いつにも増して真剣と言うか、別人と言うかなんと言うか。
とにかくいつもより、変だった。

行為が終わって、荒れた呼吸を整える。
隣で実弥ちゃんが携帯を見ているらしく、暗がりの部屋にぼんやりと白い光が滲んでいる。
やっぱりおかしい、居酒屋で、携帯の通知を見てから様子が変だ。
何かあったのだろうか。
もう一回聞こうとして、口を開こうとした瞬間。
画面の光に照らされている、実弥ちゃんの顔が
なんとなく、ホッとしたような、安心したような顔つきに見えたから。
なんだか声をかけにくくて。

「……ん、どしたァ」

そんなわたしの視線に気が付いたのか、実弥ちゃんは携帯をヘッドボードに置いて
そのままベッドにどさりと横になった。

「……なんでもない」

実弥ちゃんに背を向けて、あ、これ、拗ねてるみたいと恥ずかしくなる。
そんなわたしの心を知ってか知らずか、実弥ちゃんの逞しい腕が柔らかくわたしを包んだ。
それから首筋に鼻先の体温を感じて、くすぐったさに身体をよじる。
わたしの首筋に顔を埋めるのが好きらしいと知ったのは、つい最近だ。

「寝づらくないの?」

わたしの問いに、別にィと簡潔な返事。
簡潔なんだけど、なんだか余裕があって、さっきと違う雰囲気。
聞きたいけど、水を差すような気がして
そのまま眠りに落ちてしまった。

***

部活があるからと朝方、俺の家を出るアイツを見送った後、やってしまったと後悔した。
俺ら別に付き合ってる訳じゃなくて、ただの都合のいい関係で、だからこそ、だ。

今回、割と雑になっちまった。いや、雑になる理由はあって、ただ、それをアイツに言うと「あ、じゃあわたし帰るね」って俺の返事も待たずに言われるのが目に見えていたから、それだけは避けたくて。

今でこそ週1から2週間に1回のペースでヤることヤってるものの、どっちかが忙しかったり、お互いの都合が合わなければ出来ないわけで。つーか1ヶ月以上出来ないとか、割とよくある。
し、彼氏彼女でもなんでもねぇから、捨てられる可能性だってあるわけで(俺から関係を切るってのは今のところないが)
いつでも満足させてやりたいと思っていたのに。

「やり直してェ……」

独りごちる。それから長く息を吐いて、顔を上げた。うだうだしてたって仕方ねェ。次だ次。
寝室に戻り、ケータイを開く。メッセージアプリを立ち上げ、上の方に表示されている男の名前をタップするとそいつとのトーク画面が表示された。
全部テメェのせいだぞ、宇髄。

---

同じ学校で働く美術教師の宇髄からメッセージが飛んできたのは、アイツと飲んでいる最中のことだった。
なんだかんだで腐れ縁(同じ大学だった)な俺達、宇髄から連絡が飛んでくるのは珍しくはないのだが。
その内容が、たった一文。

【今から煉󠄁獄と一緒にお前ん家行くからド派手に待ってろよ!】

目を疑った。そりゃそうだろ。
今から?煉󠄁獄と?何しに?
今日は金曜日、宇髄と煉󠄁獄(こいつも同じ学校で働く教師だ)だって飲んでいる可能性はあるとして、なんでいきなり俺ん家に来るって展開になってんだ?全くもって意味が分からねェ。

【今家にいねーし】

急いで返信したのは宇髄と煉󠄁獄ほど行動力に満ち溢れた奴を知らないからだ。なんだったら今既に俺ん家の前にいる可能性だってある。
コイツとの時間は頻繁にあるわけじゃねェんだし、こっちを優先したいんだよ、俺は。

じゃあ、宇髄になんて言う?

断るのは簡単だ。ただ、断ったところで簡単に引き下がる男でもないだろう。しかも宇髄は変に勘がいいので、「女か!?」なんてしつこく聞かれそうだ。それはそれで面倒くせぇし、コイツとの関係がバレたら厄介だ。
ややあって、宇髄から返事が返ってきた。

【お前も飲んでるの!?おもしれーじゃん、今から合流しようぜ】

ふざけんな!心の中で叫ぶ。合流なんかするわけねェだろうが。
目の前にいる女が、不思議そうに俺の顔を覗き込む。どうしたの?と聞かれたので、なんでもねェと答えておいた。

【今取り込み中だから連絡してくんな、そして俺の家にも来るんじゃねー】

手早く返信する。水を差された気がして、イライラしてきた。誤魔化すようにビールを流し込み、砂肝の串を乱暴に口に運ぶ。

「んで……何話してた……あーそうそう、伊黒な、」

女に話しかける。が、女は俺の問いに答えず、「急ぎの用事とかなら、今日はお開きにしようか?」と、心配そうな顔つきで言ってきた。
クソ。宇髄の野郎、月曜日覚えてろよ。
お開きにしなくて大丈夫だ、とは言いつつも、宇髄と煉󠄁獄のことが気になる。酒も入っているせいか、何を話しても聞いても気もそぞろ。

結局、コイツと飲んでる間に宇髄から連絡は来ず。まぁ俺が連絡してくんなと言ったからかもしれねぇが、まさかヤってる最中に家のチャイムが鳴ったりしねぇよな、いきなり押しかけてきたらどうしよう、なんて追い返そうか、つーか宇髄と煉󠄁獄は今どこにいるんだ、絶対来るなよと念押ししておけばよかった、とかあれこれ考えていたら、いつの間にか終わってた。マジで。

「……」

「……?」

衝撃だった。適当にやってるつもりは無かったのに、最中の記憶がすっぽりと抜け落ちてる。と言うか、居酒屋を出たところからの記憶がない。自分家にいるっつーことは終電で帰って来ているはずで、でも電車に乗った覚えがない。
どうやって帰って来たか、どんな話をしていたか思い出そうとしていると、組み敷いている女が訝しげに俺の名前を呼んできたのでハッとした。なんでこんなに余裕ねぇんだ、ダサすぎだろ、俺。
出し切って萎んだモノを抜く。適当に処理してゴミ箱に捨てた後、女の顔を垣間見た。前髪が汗で張り付いていたので、指先で払ってやる。

「ん……」

色めかしい吐息が漏れる。目を閉じて余韻に浸っているようだったので、急いで携帯を開く。
メッセージが来ている通知が画面上に表示されたが、送り主は宇髄ではなく煉󠄁獄だった。しかも複数送信しているらしい。
通知をタップして詳細を確認する。

【すまない!宇髄が俺と一緒に君の家に行くと言った内容のメッセージを送っていたみたいだが、その本人が酔い潰れてしまって今タクシーで帰らせた】

【君の家に行くだの、合流しようだの、君の都合も考えず宇髄が勝手に連絡してしまって申し訳ない】

【だる絡みするなと俺からも言っておくので、許してやってくれ。ではまた月曜日!】

最後に、おつかれさま!とよく分からないキャラクターのスタンプが添えられていた。
それを見た途端、安堵の気持ちがどっと溢れた。あー、良かった。
再び女に目をやると、上目遣いでこっちを見ていた。その目線に射抜かれた瞬間、なんだか気が抜けて、酔いもすっかり覚めて、急にコイツに甘えたくなった。
用が無くなった携帯をヘッドボードに置いて、女の身体を抱き寄せる。首筋に顔を寄せると、俺が使ってる洗髪剤の匂いがした。
多幸感に包まれて、目を閉じる。
コイツの気持ちを、置き去りにしたまま。

***

結局あの後、お互いの折り合いが合わなかったのもあって
次の飲み会が設定出来たのは、あの日から数週間後だった。
本当は「何があったの?」と聞きたかったのだけど
それを聞いてしまったら「面倒臭い女だな」と思われてしまいそうで、今の今まで聞けずじまい。

もしかして、好きな人が出来たのかも。
だからあんなにソワソワしてたのかも。
だったらこの関係も終わりなわけで。
それはそれで寂しいけれど、仕方ない。
仕方ない、けど

二次会を終えて、終電が近くなった頃。
店を出て駅に向かおうとした矢先、実弥ちゃんに耳打ちされた。

「なぁ、ホテル行かねェ?」

それは急な申し出だった。
だって、わたし達がホテルにお世話になるのは、終電を逃した時くらいで。

「えっ、な、なんで?」

「いいだろ別にィ。お前、明日の予定は?」

「え……と、確か午後練だから」

「じゃあ大丈夫だよな?」

「え、いや、別に、いいけど……」

わたしの反応を見て、実弥ちゃんが意地悪く笑う。いや誰でも動揺するでしょ、だっていつもと違う展開なんだもん。なんでいきなりそんな提案。
そんなわたしの胸中を見透かしているのかいないのか、追い打ちをかけるように実弥ちゃんが言葉を続けた。

「覚悟しろよォ」

あ、これ、ドロドロにさせられるやつだ。腰砕けになるやつ。
なんで?なにが引き金になったの?
今日の飲み会を思い出す。話の内容は学校のことばかりで、一体どの話題がスイッチになったのか、皆目見当もつかない。
どうして?どれ?なに?
そんなことばっかりぐるぐる考えていると、手を握られた。
それから二人、ネオン街の奥底に導かれるように歩き出す。
握られた手のひらはほんのり暖かくて、そういえば往来の場で手なんか握ったことなんかなくて、アルコールが回った頭が混乱する。なんでこんな展開になってるんだろう?
何も分からないまま、せめて知り合いが見ていませんようにと顔を伏せながら祈った。

---

やっぱり気になって、聞いてみることにした。

「ねぇ」

「あ?」

水を飲んでいる実弥ちゃんに声をかける。

「この間やった時さ」

「おう」

「なんか適当だったよね」

ぐふっ。
実弥ちゃんからくぐもった音。
げほごほとむせながら、わたしを見やる。

「おま、っ、気付いてたのかよ!?」

「気付いてたっていうか、なんかいつもと違うなーって思って」

彼女、出来たの?
すらっと言えたのは、お酒のせいだろう。
聞く気はなかったのに聞いてしまったのも、きっとお酒のせい。
実弥ちゃんは口の端に漏れた水を手の甲で拭いながら「違ぇよ」と言葉を続ける。

「じゃあなんであんな、心ここに在らずだったの?」

「いや……」

「?」

言葉を選んでいる実弥ちゃんに、やっぱり女だと冗談っぽく言うと、だから違ぇってとため息混じりに返ってくる。

「……あの日、宇髄の野郎が」

「宇髄先生?」

予想していなかった名前の登場に、思わず聞き返す。

「おー。宇髄と煉󠄁獄がその日一緒に飲んでたっぽくて、一緒に飲まねぇかって連絡が来てよォ」

「え、そうなの。一緒に飲みたかったな」

「やめとけ。宇髄の奴、俺らが中学の同級生だって知ったら明け透けに質問してくるぜ」

「あ、そっか」

そう言えば、わたし達が中学の同級生だって知ってる先生って
もしかしたらあまりいないかもしれない。
(言い散らすことでもないし)

「それに」

「それに?」

実弥ちゃんは飲んでいたペットボトルをスイッチだらけのヘッドボードに置いて
それからわたしににじり寄って来る。

「お前との時間を邪魔されたくねぇんだよ」

え。
喉から声が生まれる前に、唇が重なった。
甘く触れたと思ったら、噛み付くような口付けに変わる。
そのままベッドに押し倒されたので、抗議した。

「えっ、ちょっと待って!もう一回するの!?」

わたしの言葉に、当たり前だろォ、としれっと言いのける実弥ちゃん。

「この間のリベンジだァ」

「なにそれ、っ」

薄い唇が、わたしの肌をゆるゆると滑っていく。
身体が跳ねて、熱が湧き出る。
実弥ちゃんの頭を掴んで、押しのけようとした。
のに、ぐいぐいと攻めてくる。

「リベンジなんてしなくていい!」

「俺の気が済まねェ」

「えっ、や、ちょっと待って!?」


迷子のロジカルシンキング


(……いつもよりすごかった。頭ボーッとする)

(もう絶対、クソだせぇことなんかしねぇぞ)