スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

タイトルなし

自己満足というか、自分の心の整理のための日記なので、スルーしてオッケーです。



3日の深夜0時半頃に仕事が終わり帰ったら、家で母がパニックになっており父が意識朦朧で倒れてました。

急いで救急車を呼んで病院へ行ったら非常に重体で救急病棟で即入院。
ICUに入れられ、私と母以外は面会謝絶。
荷物も一切持ち込み禁止。

6日程前から呼吸が苦しかったようで、寝転ぶのさえ苦しく痛く辛かったようです。
そんな中、家族の為に直前の直前まで仕事に行き職場でも倒れて…。
家族の負担にならぬように救急車も拒否していた父を思うと本当に辛いです。

私は昔短期間ですが父から暴力を受けていました。
変な借金もして、消費者金融からも借りていて私が産まれた時から母は借金の為に働き夫婦仲は最悪。
暴力を受けていたので私も父が本当に大嫌いで死ねばいいと思っていました。
毎日死ね、いなくなればいいと願ってました。

そんな中気が付いたら父は睡眠障害で夜中に暴れ周り叫び怒鳴り夜も母と私は安心して眠れることはありませんでした。

母は随分前から父が寝てる間もずっと起きていて、症状のメモを取り、
紹介してもらった日本で一番という睡眠障害の医者や病院にメモを提出してました。

そんな異様な生活がずっと続いて、私と父の距離が近付く事はありませんでした。

ある時から暴力もなくなり、そしてまたある時から1年に1度会話するかしないかという父が「ただいま」と帰ってくる度に言うようになりました。
きっと勇気を振り絞ってたのでしょう。

それでもしばらくは返事もせず。
する気にもならず。
お金でも、生活でも、何もかも母に迷惑かけて生きていた父が許せませんでしたので。
(その後おかえりと返す様にはなりました)

それでも今考えると本当に父は反省して償ってくれていました。
仕事は一切休まず、身体が辛くても、足を怪我しても何があっても休むこと無く、むしろ労働時間を増やしてくれてました。

それに母と私は気が付かず(というかそれで当たり前だと思っていたし、確かに当たり前ではある)、変わらず父には冷たくしていました。

寝ていて睡眠障害が起きると凶暴ですが普段は温厚な父に私と母で今までの仕返しと言わんばかりにキツイ言葉使いをしたりしていました。

それでも負い目がある父は何も言い返さず。
きっとそれらがストレスになり、睡眠障害を引き起こしたんだと思います。


そんなある日、私の持病で長年通っていた病院の先生と一悶着ありました。
その日何故か先生は機嫌が悪く(恐らく付き添い人が居たのが気に食わなかった)

私は人生と人格を否定されるような酷いことを言われ、医者の言うこととは思えない罵倒を受け、更には今まで一切無かった多額の受診料を強要されました。

私は怒りと悲しみで終始泣いており、このクソ医者ぶち殺してやろうかという気持ちで泣きながら…本当に泣きながら家へ帰りました。

その際、真っ先に異変に気が付いた母は「あんたが何かしたんじゃないのか」と言ってきました。
親ですから、私を守る言葉をくれると思っていました。
ですが、私を疑う言葉をかけられ更に涙は止まらず。

その時、父が「何があっても患者を泣かす医者は駄目だ。まきは悪くない」と、本当に親に言って欲しかった言葉を言ってくれました。

徐々に親子の溝が無くなりつつあった時期でしたし、その言葉を言ってもらえて私はその時、父に対しての心の壁が全て取れました。

それでも長年の溝があったので、急に仲良くは出来ませんが父の日にささやかながらプレゼントを買ったり、どこかへ行ったらお土産を買ったり。
日常の些細な会話をなるべくする様にしたり。
父と子として、普通の関係になりたいと思い少しずつ溝を埋めていっていました。


そんな中、父が上記の体調不良を起こしました。
呼吸が出来ず、歩く事も出来ず、寝転ぶのすら無理で…。
そんな中でも私達の為に仕事へ行き…。
本当に本当に辛かったと思うのに、身体に鞭を打ち頑張って頑張って働こうとしてくれていました。

きっとそれが私達への懺悔というか、償いだと思っていた部分は少なからずあったと思います。

そんなに苦しいのに、辛いのに。
確かに父は母に迷惑を掛けていました。
でもそれを受け止め必死に家族の為、自分を犠牲にしてまでも頑張ってくれていたんです。

苦しかっただろうに、会社で倒れて帰ってきたのに迷惑かけられないからと我慢して救急車を呼ばなくていいと言って。

もう、母や私への償いは終わっているよ、とその瞬間思いました。
もう十分頑張ってくれたよね。
辛くて痛くて苦しくてどうしようもないのに、死にそうになりながら仕事へ行って…。

数年前から足も怪我をして、それでも働き続けて。
もう十分母や私への償いは終わっているよと心から思いました。

もう、普通の家族の様になってもいいんじゃないかと。
25年間、普通とは掛け離れていたので恥じらいはありますが、普通の父と子に今からでもなりたいと、そう思っています。


昔は結婚式のバージンロードは母と歩きたいと思っていました。
でも今は、父と歩きたいです。
何だかんだ言っても、父はクズの様な私を養ってくれていましたから。
私を娘として大切に思ってくれているのも、伝わってきてはいました。

ここ数年ですが。
それを薄々感じていました。


そんな中で父が倒れ、重体で搬送され…
まだまだ父と話したいこと、恩返ししたいこと、沢山あるのに今死んじゃったら私後悔しか残らないと、そんな想いで頭がいっぱいになりました。

苦しそうな父を見るのも辛かったです。
結果として、命に関わる病気ではないけれど重体という事で本当に安心しました。

生きていてくれるんだと本当に安心しました。
不幸中の幸いというか、父が危ない状態になって初めて「私はもっと父と一緒にいたい」と気付かせて貰えました。

とにかく本当に可哀想だった。
無理をさせていたのは私と母だった。
確かに酷い目に合わされたけど、その償いはもうとっくに終わっていたのに。

本当にごめんね、と。
もう頭の中がこういう内容でぐちゃぐちゃでどこかにまとめたかったけどLINEなんて無理だし、ほぼ動いてないここに載せました。
読む人を居ないでしょうから安心ですから。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2017年08月 >>
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最近のコメント
タイトルなし
うっかり開いて読んで
タイトルなし
仕事も大事ですが、健
タイトルなし
それ悠雨さんだからそ
タイトルなし
はじめまして。 い
タイトルなし
吸引型は早ければ早い
タイトルなし
カシスブルーベリー、
プロフィール
悠雨さんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 8月25日
地 域 神奈川県
血液型 A型