また夜中に目が覚めたかと焦ったが、『西郷どん』に間に合って良かった。今朝から関節の痛みで熟睡できなかったのだが、やっと眠れたと思ったら…。低気圧かな。雪は2、3センチぐらい積もったぐらいで済んだが、地震が増えてきたのが気になる。

 私の毎日は他人(ひと)より遅い夜食のような夕食のあと、一休みしてから再び動きだし、洗濯物を片付けたり、お仏壇のご飯やお水などを下げ明日のご飯を仕掛けたり、お風呂の支度などいろいろせっかちに急いでやって息切れを起こしたりする。全て終えて、また暖かい茶の間に戻ってコーヒーを入れ直してまったりしているといつの間にか眠ってしまう。短いときはだいたい十分程度、長いときは一時間半以上眠ってしまい、気がつくと外は白み出してきてびっくりする。でもちょっと眠ると体が軽くなり、頭がスッキリして清々しくなる。
 動くのがこんなに負担になるとは思わず、翌日も、また次の翌日も同じことを繰り返しで一日が終わる。でも私がやらなきゃ誰がやるんだという思いだけで今日までやってきた。一日というのは本当に儚く尊い。何とか今日も生きたんだから明日も頑張るだけだ。そんなふうに思うのは私だけだろうか?

 大昔のわが家は姉たちが家事をして、夕食のあとは長姉が果物を食べやすく切った大皿が出てきて、『ザ・ベストテン』や『欽ちゃん』なんかテレビを観ながらみんなで食べた。もう長姉が出してくる季節のフルーツがその時分にぴったり合い、今はこの果物のシーズンなんだなと思いながら食べたものだ。食後のデザートは別腹とはいえ、私もお腹いっぱいで動けなくなり、気がつくとお布団にパジャマ姿で寝ている。しかも寝る時だけ足にはめてた装具もしっかり履いているのだ。誰がお布団まで連れていってくれたのか毎回謎だったが、幸せな子ども時代の思い出である。

 その当時はたまに、兄姉たちのお給料日だったと思われる日に、夕食のあとに早々と寝た両親を残して次兄のグレーがかったカローラで、長姉が号令をかけて中・高校生のチイ姉も加わり買い物へ行くことがあった。向かうのは大抵23時までやっている白河市に一軒あったスーパーマーケットか、これまた白河で一軒しかないセブンイレブンに決まっていた。同じ町内の天神町か一番町に二軒が向かい合うようにあった記憶がある。他はどこもやってなくて、暗い商店街にぽつりとある店の明かりが妙に眩しかった。セブンイレブンは朝の7時から23時にやっていた時代であるからして(笑)もう相当古い話ですな。私はスーパーで焼き鳥を買ってもらったり、セブンイレブンでアイドルのシングルレコードや『明星』や『平凡』などアイドル雑誌を買ってもらうのが密かな楽しみだった。お菓子なんか買ってもらうよりもずっとずっと嬉しかった。この年の離れたきょうだいは他人から見たら親子にしか見えなかっただろうが、夜中に子どもを連れ回しているのは今だったら問題になったことだろう。
 今より不便な時代だったはずなのに、思い出すのはあの頃の家族の風景だ。兄たちはお給料やボーナスで新しい電化製品や車を買うのが楽しみで、姉たちは友だちや恋人と連れ立って郡山市のうすいデパートや映画館に行ったりと楽しげだった。特段贅沢はしなかったが、世の中は夢で溢れてただろうし、当時を生きていた人たちは未来は明るく見えたはずだ。それがバブルが弾けてから一気に暗く、夢のない時代に突入して未だに抜け出せないでいる。豊かさとは何か、幸せとは何かわからない現代。この無機質な時代はこれからも続くのだろうと思うと、私の子ども時代が眩しく見えてきてしまう。今と比べて物質的に恵まれてなくても、リアルな情報手段が限られていたとしても、あんなに楽しく暮らせたのだから時代の波に乗らなくてもいいという選択肢や、敢えてそういう価値観の新しい主義もそのうち出てきたりして。

 もう誰も私をお布団まで運んでくれないから、この後の私もまたコタツでいつの間に寝てしまいハッとするのだろう。風邪がぶり返す前に早いとこ部屋に移動して寝る準備をせねば!








たくさんの拍手ありがとうございました!
「早くオリンピックが終わってほしい!」と思ってる方がたくさんいて驚いています。
オリンピックも大事だけど、ニュースもきちんとやってほしいですよね。大雪の地方は命がかかっていますから最新の情報は大事ですよね。