日付はとうとう3.11に。毎日毎日震災のことばかり書いてるから、読んでくださってるあなたもうんざりかな。コメントも誰もしてくれなくなったし(苦笑)。淋しいよう。
しかし、敢えて書こう。記録のために、自分のために書こう。
今年は閏年だから実際のところ10日で丸一年になるのだろうか。あの駆け足で過ぎていった日々を今、振り返るといろいろなことがありすぎて頭が整理できないでいる。とても、とても、一言では言い尽くせないほど沢山の気持ちが揺れて、精神的にも肉体的にも酷く疲れた。
あの、14時46分。居間で一人でご飯を食べていた。テレビと携帯で緊急地震速報が鳴るとすぐにあの揺れ。後ろの神棚から木彫りの七福神がバタバタ落ちてくるものの、立とうとするも立てない。わずか数センチずれていたら頭を打っていたと思うと、今でも鳥肌が立つ。倒れた仏壇・食器棚・落ちた電化製品…家中が足の踏み場もなくなった。電気がプツリと止まったからテレビが観られないし、何が何だかわからなくて呆然と庭に出たら、ご近所の人たちがみんな外に出ていた。そとの焦げ臭いにおいは今も鼻のどこかに残っている。
我が家は家の基礎や壁にヒビが入った程度だったが、ご近所も身内も全壊・半壊のお宅がたくさんあり、今も不便な生活を強いられている。我が家は国産車が二台買えるくらい出費が多かった一年だった。まだ完全に元通りにはなっていないから、これからも余震と闘いつつ直したり買い直したりしていくのだろう。
この一年でいろいろ気づいたり学んだことも多かったな。物がいつも豊富にあることの有難さ、命の儚さ、人との絆…。
震災直後の数か月間は、物流がストップして物がなかったりして不便な毎日だった。そんなとき、遠くから私のために、薬や食べ物や煙草を送ってくれた友人たちに心から感謝している。未だにいろいろ送ってくれたりして本当にありがとう。とても助かっています。
昨日、昔お世話になった人が震災で亡くなっていることを知った。すごくショックで物凄く泣いた。思えばたくさん悲しいことが続いた。買った野菜を付着した放射能を取るために、重曹に浸けてから調理し始めたのはいつからだったろうか。福島県が嫌われ者になったのはいつから?
福島県に住む者にとって、悲しい仕打ちが今も現在進行形で続いている。だけど、辛抱したらいつかきっと胸を張って堂々といれる日がくると信じている。ああ、福島県の人は立派だと思われるように、人としての資質を称賛されるようにね。
私は足が悪いから大きな余震がくるたびに、逃げられなくて死ぬかもしれないと過る。だから後悔しないよう、やりたいことをやり、今出来ることを最善を尽くすように決めた。でも時々無力感が募るけど(笑)。でも長生きは出来そうにないことを自分でわかるから、これからも精一杯一日一日を大切に生きようと思っている。
最後に、被災地へご支援していただいた皆様に心より感謝申し上げます。仕事を休んで被災地へボランティア活動に来てくださったり、募金をしてくださったり。
しかしながら、被災地は未だに復興の兆しが見えない状況です。引き続き、ご支援をお願いいたします。今も困難な状況にいる方が数えきれないほどいらっしゃいます。この頃はボランティアが激減して、人手が足りないところも多くなりました。今までの災害とは全く規模が違うので、長いご支援なしではいられません。どうかこれからも宜しくご支援ください。
改めて震災で亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。
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