我が征く道は200(終)


【Epilogue】



――――――――――セイバーのサーヴァントの宝具により小聖杯が破壊されたことで聖杯戦争が終結し、一年と少しが過ぎた。


 イギリス、ロンドンの町並みに、肩に引っかけられた、赤いコートが翻る。
腰に巻かれた鞄は歩みに合わせてカチャカチャと音をたて、太ももまであるブーツに包まれた足は、ひとつのアパートメントの前で歩みを止めた。
タンタンと軽やかに階段を登り、目的の部屋の前で部屋番号を確認したその人物は、コンコン、とノッカーを使って扉を叩いた。

「やぁやぁこんにちは、宝石商の凪子さんだよ…ってあら凛ちゃんじゃん!?少年まで」
「何よ、白々しいわね」
「はぁん?凪子さんは宝石買うっていうから来たわけでして?買わないでただ呼び出しただけなら帰るわーいやー帰るわー」
「買うわよ!ちゃんと買うわよ!士郎はついで!!」
「こんなに力強くついで扱いされたのは初めてだな…」
「存在からしてついでみたいな雰囲気出してるから平気平気」
「……………喧嘩なら買うぞ」
「ジョーダンだよ、ちゃんと怒れるんなら成長したってもんだな少年」

春風凪子はそう言って、にや、とした笑みを浮かべた。



 ―聖杯戦争終結後、凪子は少しの間日本に留まった後、凛や士郎などの聖杯戦争関係者と接触をもつことなく日本を立ち去っていた。
「貴女に聞きたいことは山のようにあったっていうのに、すぐいなくなるんだもの。お父様みたいにコネはないし…。どうしてすぐいなくなったの?魔術協会に睨まれているそうだし、そのせい?」
「あーまぁそんな感じそんな感じ。凪子さん、懸賞首なのよこれでも。半世紀に一度あるかないか程度だけどもさ、あんな目立つとこには長居しない方がいいでしょ」
テーブルの向かいに座った凛の言葉に、凪子は適当に言葉を返す。
凪子も一応、関わった以上、最後まで見届けるかと思わないでもなかったのだが、鬼ごっこでわりと疲れてしまい、バトルが見れるわけでもないしなんかもういいや、と飽きてしまって早々に立ち去った、というのが実際のところである。
士郎は盆にのせたティーカップを凪子の前と凛の前に置くと、離れたところで椅子に座った。凪子は凛と、士郎とにそれぞれ視線を向ける。
「ロンドンにいるってことは、二人とも時計塔の学生ってところかな。どう?楽しい?人生、何事も楽しまないとね」
「まぁ、それなりにやってるわ。それより、話、聞いてもいいかしら」
「覚えてる範囲ならね」
凪子はティーカップに手を伸ばし、紅茶を口にした。なんだか過去にも似たようなものを味わった気がする。
凛はテーブルの上にあった手を組んだ。
「そう。…じゃあまず、なんで最後の戦いの時、手を貸してくれたの?士郎から聞いたわ」
「何、ただ別件でギルガメッシュに喧嘩売られたからその仕返し。まぁ野郎はちゃんと倒したんでしょ?お見事お見事」
「…相変わらず軽いわね。本当にそれだけなの?」
「それだけ、でいいんだよ。私はあの戦争では余分な因子だ。あんまり細かいことは気にしなさんな」
「………」
「聖杯戦争といえばさぁ、立ち去る前にアインツベルンの城寄ってランサーの最期見てきたんだけど、あの男のさっぱり具合やばくね??凪子さん人間だったら惚れてたわ」
「な、……もう、本当に軽いわね!色々考えた私がバカみたいじゃない」
凛は凪子の様子に、はぁ、とため息をついて椅子の背もたれに寄りかかった。凪子はそんな凛の様子にカラカラと笑う。
アインツベルン城に立ち寄って記録を回収して見たことも、その最期に感心したのも嘘ではない。嘘は言っていないことは分かるだけに、それが凛には軽く聞こえるのだろう。
それが年季の違いであると分かるには凛はまだまだ若い。少し離れたところであきれた顔をしている士郎もまたしかりだ。

聖杯戦争は二人の勝利で終結した。
それでいいのだ。聖杯戦争は人の戦争だ。


凪子はそのなかに、いなくていい。


凪子は足を組んで、ことり、と首をかしげた。
「まぁそういうわけで、聖杯戦争の思い出話をしたいのなら付き合うけど、そこで私が為したことの意味だとか、そういう面倒な話には付き合う気ないぞ。だってそんなもの、ないからさ、私には。そういう意義だのなんだのいちいち考えて生きるやり方は、1000年くらい前にやめた」
「1000ッ………。……そう。なら、やめるわ。生憎と思い出話も特に結構。そういう口ぶりからすると、貴女の生涯にもあんまりあれこれ言わない方がよさそうね。じゃ、商談にしましょうか」
「よろしい。聞き分けのいい子は大好きだ。いいもん入ってますよん」
凪子は、どん、と机の上に鞄を置いた。



 「少年。自己犠牲主義は少しはましになったか?」
「…なんだよ、それ」
商談は無事に終わり、凛が宝石を片しに別室に行っている間に、凪子は机の上を片付けていた士郎にそう話しかけていた。士郎はむ、としたような表情を浮かべて、凪子の方を振り返った。
凪子は、パチン、と鞄の留め具を止めた。
「いや何。せっかく凛ちゃんが近くにいてくれるんだ、精々自分を大事にすることだ。そういう人間を得られることはまずないぞう?君はただの人なんだから、君がやれることだけをやればいい」
「余計なお世話だ」
「そうだね、余計なお世話だ。でも、君はそうして人の為に生き続けて、結果的に磨耗して、その贖罪として過去の自分を殺そうとした男がいることも忘れちゃいけないよ。君はその男を否定したんだから、同じ道は辿っちゃいけない」
「………、…………」
「でも様子を見ている限りじゃ平気そうだ。まっ、万が一同じ道をたどって死にたくなったら、私を探しにおいで」
「アンタを?」
凪子はばさり、とコートを肩にかけた。
「これでも私は神を殺したことがある。世界の防衛機構に縛られた人間くらい、たぶん殺せるよ?」
「な……。……、それをアイツには言ってやらなかったのか?」
「何、答えは得たって顔してたからね。まぁまたひどい顔してるの見かけた時には、せっかくの縁だ、殺してやるのも吝かではないけど」
「なんだそれ…。……アンタ、一体なんなんだ」
「さぁね?私がなんなのか、その正確な答えは私も持ってない。私はただの凪子さんだよ」
「…なんというか……敵わないな、あんたには」
「おや、敗けを認めるのが早いな」
「負けてるわけじゃない。ただ、俺にはあんたはわからない。それだけだ」
「そうそうその調子」
「なっ、〜〜〜…………」
のらりくらりとかわされて、士郎は悔しそうに凪子をじと目で睨んだが、口では敵わないと察したか、それ以上は何も言わなかった。凪子はちょうどそのタイミングで、がちゃりと扉を開けて戻ってきた凛に、バチン、とウィンクをした。そして、士郎に向かって、ピッ、と指を振る。
「まぁ人生楽しんで生きたまえ!100年生きれば十分さ。その100年でやれることをやれるだけ楽しむのが一番いい。くれぐれも人間はやめちゃだめだよ」
「…ああ、分かってる」
「?急に何よ。まぁ…人間やめる気はさすがにないわ」
「よしよし。さて、凛ちゃん毎度あり!またのご利用をお待ちしてるよ。君は面白いから、その石はまだ持たせたままにしてあげる。そんじゃまた!」
「ええ、またね」
「俺はごめんだ」
「ふはは言うじゃないか。またね」
凪子は二人の返答に満足げに頷くと、別れの口上を述べ、振り返ることなく二人の部屋を後にした。

二人の人生のなかで、もう二、三度は会う機会があるかもしれない。
ないかもしれない。
それはそれで、寂しくはあるが常のことだ、それでいい。

 凪子は特に名残を惜しむこともなくアパートメントを後にした。たまたま見かけたマーケットでピザやら菓子やらを買い、少し離れたところの川岸で凪子は簡単な昼食にありついた。
今日はロンドンにしては天気がいい。
「…………ん?」
ピザを食べ終え、飴を口のなかで転がしていた凪子は、ふ、といつのまにか近くに来ていた犬に気がついた。パッと見、ビーグルに似ている気がするが、犬種が思い付かない。雑種だろうか。
ちょいちょい、と指で手まねくと、簡単にその犬は寄ってきた。見たところ野良犬ようだが、妙に人懐こい。
「なんだ、お前一人か。私も一人だ。どうせ独り身なら、どうだ、一緒に来るか?」
ふ、と凪子は軽い気持ちでそう言ってみた。いつだったか、次に飼うなら犬がいい、と、友人に話したことを思い出したのだ。
本当に軽い提案だったのだが、犬はそんな凪子の言葉に答えるように、わん、と吠えた。凪子は驚いたように目を丸くしたあと、ふは、と小さく吹き出した。
「そうかそうか、なら一緒にいくか!名前はどうしようか…お前名前は?ないか。じゃあ私がつけてやろう。……そうそう、凛ちゃんに会って思い出したけど、日本で食べたスナックが美味しくてな。なんとかムーチョって名前だったんだ。だからお前の名前はむーちょでどうだ。可愛いだろ、むーちょ。いやスペイン語だともっと、って意味だけど、まぁ細かいことは気にするな。…不満なさそうな顔だねお前。よし、じゃあ行こうかむーちょ」
凪子はそう言うと、ごそごそと鞄をあさり、アクセサリー用に買っておいた革紐を取り出した。適当な長さで切って、ちょいちょいと魔術で加工し、首輪を作るとむーちょと名付けた犬の首につけてやった。
その犬は嬉しそうにぶるぶる、と体を震わせると、ぐりぐりと頭を凪子の手のひらに押し付けた。凪子はよしよしとそれを撫でると、よいせ、と立ち上がる。犬は何も言わずとも、尻尾を振りながら、歩き始めた凪子のあとについていった。



赤いコートが町を横切る。

長いブーツが土を踏む。

鞄が静かな音を奏でる。

当たり前の日常、当たり前の風景。
ひっそり紛れ込んだ異端は、一目には異端とは分からない。
だがその者が世界の記録に残ることはこれまでも、これからも、永遠にない。
魔術協会に残った懸賞首も、きっといつかは都市伝説的なまやかしとなって消え去るだろう。

それでも彼女は消え去らない。
どれだけ世界が変わっても、変わらず世界にあり続ける。

――我が征く道は、虚無の道。

そう思ったのは、はるか昔の、未熟な頃。
「――あの詠唱、そろそろ私に合わなくなってきたから変えんとな。何がいいかな」
花束を抱え、墓地とも言いがたい荒れ果てた土地を歩いていた凪子はぽつりと呟いた。記憶に残っている墓の場所に、ぽすん、と花を手向ける。

「…我が、征く道は――――」

凪子はそう呟いて、特に思い付かなかったので、苦笑いを浮かべてフードを深く被った。背後でおとなしく控えていたむーちょを促し、その場所を後にする。


彼女はそうして、歩き続ける。
止まることない時間、終わることない生と向き合いながら、ただひたすらに、歩き続ける。

たまに面白いものを見つけては楽しみ。
痛い目にあってもそれもまた楽しみ。

それこそが彼女の道。
それこそが、彼女の在り方。


一匹の犬をつれ、赤いコートを羽織った影は、そうして今日もまた、人々の影の中へと消えていった。
今日はどんな面白いことを見つけられるかな、と、少女のように胸を踊らせながら、彼女は人々の海へと、潜っていくのだった。






END