2017-7-29 15:31
――Episode Z <???>――
┃ 7/5 ??:??:?? ┃
「…ふぅ………」
商談を終え、部下の運転する車に戻ったラーマは、ネクタイを緩めながら一息ついていた。腕時計に目を落とせば、いつの間にか日が変わっていたらしい。就業時間もなにもあったものではない。
「アンプルには困らされたものだな…」
今回の交渉が長引いたのは、赤いアンプルに対する恐怖心、そしてそれに伴うUGFクリードへの不審感が原因であった。中小組織は赤いアンプルの広がりに対して、それへ目に見えた対応をしないUGFクリードに不満を抱いているのだ。
UGFクリードがなにもしていないわけではない。むしろ警鐘は鳴らしたにも関わらず、購入者が後をたたないのはむしろ自身の組織教育の問題なのではないのか。それを同盟相手ないし上位組織であるUGFクリードに責任を転嫁していることを恥ずべきであろう。
ここ最近のラーマはそうした意図の言葉を、噛み砕いて、オブラートに包み包み、相手に不快感を抱かせないように伝えることが仕事になっていた。
相手を懐柔するのは得意とするところではあったが、一度丁寧に築いた信頼関係を崩されるような行為をされるのは不快ではあった。
「次はどこだったか」
「は、今日はこれで終わりです」
「そうか、少しは休む暇があるといいのだがな…共同セーフハウスにつけてくれ」
「はっ」
運転手に行き先の指示をし、柔らかいシートに身を沈める。
「はー………」
ラーマは疲れたようにため息をついた。アンプルの出所を探る他のメンバーの動きは耳には入っていた。そしてどうやら、あのボスも腰をあげたらしいという話も聞いた。こうなっては、どんな組織が黒幕であれ、相手には同情を禁じ得ない。ボスが動いたということは、つまり相手は殲滅されるということを意味するからだ。
ラーマはそうした血生臭い仕事には、今回は関わらないことになっていた。ヘクトールの指示で、関係の修復と保全を第一に、と言われているからだ。
「(…殺しよりかはマシかとも思ったが、これはこれで…ここまで簡単に崩れるとはな)」
こつん、と拳を額に当てる。
「…人の信頼というのは、かくも脆いものか……」
そうしてぽつり、と思わず思ったことが口に出た。
はっ、と我に返ったラーマはプルプルと頭を振った。仲間が命を懸けて敵を探っているというのに、一番安全地帯で仕事をしている自分が泣き言を言うわけにはいかない。
「明日からまた頑張らねばならんな!」
ラーマは、ぱしん、と、顔をはたくと、気合いを入れ直した。自分には、自分のなすべきことがある。つまり自分の戦場があるのだ。
「…彼女を見つけるまで……膝をおるわけにはいかん」
そして何より、自分には目的がある。裏組織に身を沈めてでも、叶えたい、叶えねばならない目的。
その為には、この程度のことで泣き言を口にするわけにはいかなかった。
「…ん?工事?すみません、ラーマさん。工事中のようで車が通れません」
キッ、と小さな音をたてて、車が止まった。どうやら工事で通行止めになっているらしい。
「む、そうか。ならいい、ここから歩く。大した距離ではないからな」
「ではご同行します。護衛が自分の仕事ですので」
「これくらいの距離なら気にせずとも……」
「なにかあると自分の首が飛んでしまいますので、ご容赦を」
「…そうだな、すまない。では付き合ってくれ」
ラーマは一人降りてセーフハウスに向かおうとしたが、配下の言葉にボスの顔を思いだし、苦笑を浮かべながら同行を許した。彼の仕事であるのならば、それは尊重せねばなるまい。
二人は車から降りると、セーフハウスに向けて暗い道へ踏み出した。暗いといえ勝手知ったる道だ、大したことはない。
「明日の運転手もおまえか?」
「いえ、自分は別の仕事がありまして」
「そうか、夜遅くまですまなかったな」
「そのようなことは…これが仕事ですから」
他愛のない会話を交わしながら、二人の歩みはセーフハウスの裏手に差し掛かった。
その時だ。
「うっ!! 」
「?!どうした!!」
不意に、少し後ろを歩いていた部下が呻き声をあげた。ラーマは反射的に振り返った。振り返り様に引っ付かんだ懐の銃を真っ直ぐに前に向けたが、部下が倒れているばかりで人影はない。
ばっ、と簡単に部下の様子を伺うと、首筋にアンプルが突き立てられているのが見えた。
「…!そこか!」
僅かに聞こえた物音に、素早くラーマはそちらへ銃を向けた。
「!そなたは、ぐっ?!」
そうして視界に入った思わぬターゲットの正体に、ラーマは一瞬、怯んでしまった。
そしてその隙をつかれて、もう一人いたらしい、ラーマの首筋に激痛が走った。
「しまっ………ぐ………」
せめて音をたてて、と思ったが、その前に手の銃は蹴り飛ばされ、手から溢れ落ちてしまった。
「………不覚……っ」
ラーマは小さく、自分の油断を毒づきながら、石畳の道へ倒れ伏した。