わたしとは違う、柔らかい熱
ふれるたび、どうしようもなく
戸惑ってしまうのだ。


「っは、……っ」

シーツの上で重なっている大きな手のひらにぐっと力が入る。
その手のひらの持ち主は長く息を吐いて、それから空気の抜けた風船のように
わたしにくたりともたれかかって来た。

「いっぱい出た?」

「……んなの聞くな」

めちゃくちゃに絡んだ指が解かれて、ベッドが軋む。
上体を起こしてもう一度息を吐く彼の姿を、ぼんやりと見つめていた。

「抜くぞォ」

「、っ」

繋がっていた部分がずるりと離れて、思わず声が出る。
不意に走った快感に身を捩らせていると、わたしの頬をするりと細長い指が滑って、宥めるように優しく包み込んだ。
汗ばんだ手のひらから微かに血液の流れを感じて、心地よくて頬擦りする。

「……実弥ちゃんの手のひら、あったかい」

「寒いか?」

「へーき。むしろ暑い」

季節は初夏を迎えると言うのに、今日はなんだか肌寒い。
それでも身体が発熱してるのは、ベッドの上でお互い激しく動いていたからで。
耳の奥で、まだ心臓が鳴り騒いでいた。

実弥ちゃん、と呼んだ目の前の男性は
同じ学校に勤務する同僚で、実は中学の同級生で、付き合ってないけどやることはやる、所謂身体だけの関係ってやつだ。
世間からはよく思われないし、大っぴらに言えないけれど
わたしはこの中途半端な関係が好きだったりする。

実弥ちゃんの手に自分の手を重ねる。
大きさが全然違うそれ、なんだかわたしの手は子どもみたいだ。
さっきまでこの手で、この指で、色々されていたのかと思うと、恥ずかしさもあるけれど。
骨の出っ張りや手の甲の輪郭をなぞっていると、上から優しい口付けがひとつ。
それから前髪をかきあげられて、額と額が触れ合った。実弥ちゃんの前髪が顔に落ちてきて、くすぐったい。
ほんと、最中と終わったあとでギャップが激しいな。さっきまであんだけ激しかったのに。

「足りないんですか?」

「うっせェ」

「まだいけるよ」

「明日もあるし、あんま無理させらんねぇだろ」

なんでそういうことサラリと言うかなぁ。
今まで付き合ってきた男の人達の誰よりも気を遣ってくれているのが分かるから、その度にこころがざわざわする。
言えない気持ちを飲み込んで、実弥ちゃんの背中に腕を回した。

「ありがと」

「……ん、」

違う体温が密着して、そのままシーツの波間に溶けていく。
なんで実弥ちゃんってこんなに温いんだろ。湯たんぽみたいな、冬の太陽みたいな、ぽっかりあいた陽だまりみたいな、安心するあたたかさ。抱きしめられることがこんなに落ち着くなんて、この人と関係を持たなかったら一生気付かなかったかも。

「ダメ。寝そう」

「おい、風邪引くぞォ」

言いながらばさりと肩まで毛布をかけてくれる。それから、隙間がないようにぴったり密着してくれたから。
わたしはもう、ここから逃げることが出来なくなるのだ。
囚われの身、なんてのも悪くない、かな。なんて、なんだかロマンチストみたい。
実弥ちゃんの乱れた前髪に手をかける。普段だったらしっかり整えられているのに、なんだか別の人みたいで。
うとうとしながら好き勝手に前髪をいじっていると、おもむろに手を握られた。
ぬるい体温にきゅっと力が入って、わたしの手のひらがくちゃくちゃに歪む。

「……実弥ちゃん」

意識を睡魔に預ける手前、こっちにおいでって口に出していた。
もうこれ以上縮まる距離なんかないのに、こんなにあなたと近いのに、まだ足りない気がする。
聞こえる心臓の音はどっちのだろう。
混ざりあって、絡み合って、まるでさっきのわたしたちのようだ。
規則正しいそれに耳を済ませているうちに、ことんと寝落ちていた。

---

「……ぅ、ん」

目が醒めた。
なんだか夢を見ていたようだけど、ハッキリと思い出せない。
隣で寝ている実弥ちゃんを起こさないように視線だけ窓に向ける。カーテンの向こうの色を見て、まだ夜が明けてないんだなと寝ぼけた頭で考えた。
夜寝る時は常夜灯をつけないので(実弥ちゃんの実家は小さい兄弟がいるからつけているらしいけど、本人は暗い方が好きなんだとか)(ほんと兄弟思いだな)実弥ちゃんの寝顔をじっくりと見たことがないかもしれない。だって、いつもわたしより早く起きてるんだもん。
今ならどうかな、もうちょい近付いたら見えるかな。ベッドの上で慎重に動く。するとわたしの頬に、実弥ちゃんの指先が触れた感触がした。

「!……」

仰向けに寝ているそれを、指先でそっとなぞってみる。
運命線と生命線と、あとなんだっけ。
考えながら手のひらに彫られている線を辿っていると隣からうんとかなんとか小さな声が聞こえて、そのままごろりと寝返りを打たれた。暗がりの中に映える白っぽい髪の毛からお揃いの匂いがする。
実弥ちゃんの背中に額をくっつけてみる。手のひら、くすぐったかったよね。声にならない声は、掠れて闇の空気に消えた。

二度寝しようと目を閉じて、眠りを待っていた時だった。実弥ちゃんがもぞもぞ動く気配と布擦れの音を耳が感じとる。
薄目を開けて確認すると、寝返りじゃなくてしっかり起きたみたいだった。枕元にあるスマホを手に取ってなんやかんややってるらしい。
おはよう。とか、起こした?なんて言えなかったのは
単純に眠かったって言うのもあるし、声をかけたらびっくりさせちゃうかなと思ったから。
スマホをいじり終わって、欠伸をする。それから頭をかいて、ふうと息をつくところまで見て、起きてることがバレないように寝たフリをした。
とは言ってもこの暗がりだし、わたしが起きてることなんて分からないと思うけど。

実弥ちゃんはわたしを起こさないように(起きてるけど)そっとベッドから抜け出す。毛布が乱れたので、かけ直してくれた。
そのタイミングでうーんと唸ってみる。実弥ちゃんの息が詰まったのが分かった。起こしてしまったと勘違いしたのだろう。
わざと閉じられた瞼の向こうでどんな顔をしているのか、気になる。けど寝たフリを続けた。

「……」

しばらくして、大きく、でも静かに息を吐いているのが聞こえた。ほんと、優しいな。
ごそごそ何かしているのは、きっと脱ぎ散らかした服を着ているのだろう。
ややあって、部屋の扉が閉まる音が聞こえた。誰もいなくなった部屋で、存分に欠伸をする。眠気が完全に醒めたわけではないけれど、かと言って今すぐ眠れそうにもない。
体勢を変える。さっき偶然頬に触れた実弥ちゃんの温もりを探してみるけれど、もうとっくになくなっていた。
少しだけ冷たかったな、実弥ちゃんの手。手というか、指先か。冷たかったのに、嫌じゃなかった。
昔友達と冷えた手のひらを頬に当てあって、きゃあきゃあはしゃいで冷たいやめてなんてふざけあっていたっけ。シチュエーションは全然違うけど。
在りし日を思い出しているうちに、いつの間にか寝てしまっていた。

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「……おい、起きろォ」

実弥ちゃんの声が脳に響く。
その声に導かれるように目を開けると、わたしを覗き込んでいる実弥ちゃんと目が合った。
恋人同士だったらおはようのキスくらいするんだろうけど、わたし達は目が合って、それで終わり。
目を擦りながら身体を起こす。そう言えば何も着てなかった。ただまあ、慌てて隠すようなこともない。(今更だし)

「確か今日、午後練だろ?そろそろ起きねぇと間に合わねぇぞ」

「んぇ、もうそんな時間?」

手元にあるスマホを点けて、時間を確認する。本来だったらまだ寝ててもいい時間だけど、ここは自分の家じゃないから仕方ない。
着替えがあればここから学校に行けるし楽なんだけど、そんな厚かましいこと言えるわけない。
まあ、寝るのに化粧を落とさなきゃいけないから、顔周りのものは置かせて貰ってるけど。

高体連に向けて気合いが入ってる部活ナンバーワンの女バス監督者であるわたしに、休みはほぼないに等しい。
学生時代青春を捧げてきたバスケットボール、まさか社会人になっても関わるなんて思わなかった。
教員試験の面接日に中学から大学までバスケットボールをやってましたとアピールしたから当然と言えば当然のことなんだけど。
今関わっている女バスはわたしの現役時代と同じくらいの熱量だった。だから、時折その熱が邪魔に感じることがある気持ちも分かるし、熱に全てを捧げたい気持ちも分かる。
学生は勢いで突き進みがちなので、その勢いを調整するのはわたしの役目だ。

「朝メシ食うか?」

「食べる」

「んじゃ服着ろ」

「はーい」

渡された衣類をもそもそ着る。居間から味噌汁のいい匂いがした。

「実弥ちゃんの今日の予定は?」

「実家に帰る」

「それ、夫婦関係に疲れた奥さんのセリフじゃん」

「事実なんだから仕方ねぇだろォ」

居間に向かうと、朝ご飯が並べられていた。わたしが食べないって言ったらどうするんだろうと思ったけど、午後から部活の監督があるし食べないことはない、そう判断したのだろう。
部活がなくても実弥ちゃんの家に泊まった次の日の朝ごはんを欠かしたことがないので、それもあるのかな。ほんと、わたしの母親よりわたしのことを分かってるかもしれない。

座って、箸を手に取り、食べ始める。おかずがいくつか用意されているのは、彼が自分の健康に気を遣っているからで。
彼とお付き合いした人は、男の一人暮らしなのにご飯がしっかり出てくることに驚いんだろうなあ。なんだったら冷蔵庫の中もきっちりしてるし。ビール多めだけど。

「ごちそうさま、ありがと。食器洗うね」

食べ終わった食器を重ねて持ち上げると、実弥ちゃんに制止された。

「俺がやるからシンクに置いとけェ」

「え、いいの?」

「早く出ねぇと、午後練に間に合わねぇぞ」

「わーい」

お言葉に甘えることにする。シンクに食器を置いた後、そのまま荷物を持って玄関に向かう。
見送りに立ってくれる実弥ちゃんに、また月曜日学校でねと言うと、実弥ちゃんは黙って手のひらをヒラヒラさせた。

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午後練を終え、月曜日の授業の準備をしに職員室に戻る。
土日、しかも夕方だから教員の数はまばらで、だから職員室にいる、白い髪の毛の──不死川先生がいることに少しだけ驚いた。
あれ?今日、実家に帰るんじゃなかったっけ。
お疲れ様ですと不死川先生の横を通ると、呼び止められた。渡されたのは一枚のテスト用紙で、わたしが先週の授業で行ったものだった。
名前欄を見ると、彼の弟の名前が書かれている。不死川玄弥。実弥ちゃんに似てるけど、お兄ちゃんより服をきっちり着ていて、顔つきに反して腰が低い素直な生徒だ。

「どうしたんですか?これ」

「目も当てられねぇ点数だったから解き直しさせたァ」

「解き直し」

実弥ちゃんって、不死川君(弟の不死川玄弥君のこと)のことになると急に厳しくなるんだよなあ。名前の横に書かれている点数は赤点を上回っているのに、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかっただろう。
答案が見つかってしまうとこうなるのか、月曜の授業で不死川君にフォローを入れてあげようと苦笑いしながらお礼を言う。

「あ、それと」

それから差し出されたのは、小分けされたチョコレート。
部活お疲れ様です、と労いの言葉をかけてくれた。

「わ、ありがとうございます」

受け取った時、手と手が触れた。びっくりするほど冷たくて、反射的に昨日のことを思い出す。実弥ちゃんの手、あれだけ熱かったのに、今は微塵も感じない。もしかして、あの熱っぽい体温を知ってるのはわたしだけ?
そう考えて、一気に恥ずかしくなった。
ぶわっと汗が吹き出して、目を逸らす。動揺がバレる前に、急いで立ち去った。

(なんで学校で思い出しちゃったかな!?)

頬を軽く叩きながら、顔に集まった熱を散らす。
ずっと握り締めていたチョコレートは、開けてみたらすっかり溶けていた。