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その眼差しに射抜かれる(キ学:数学教師 シリーズもの)

何でそうなったのかハッキリとしたキッカケは思い出せないものの、自分の両親をバカにされた、それだけは妙にハッキリ覚えていて。いや別に父親のことはどう言われようとぶっちゃけどうでもいいのだが(そもそもあんまり家にいねぇし)母親のことについてとやかく言われるのだけは我慢が出来なかった。怒りが瞬間的にカッと沸いてきたこと、俺の両親を笑った同級生に殴りかかっていたこと、お互い殴り殴られの大喧嘩になったこと、は鮮明に覚えてる。その後の顛末や同級生との関係はどうなったのか、その辺についてはすっかり脱落している。
とにかく小学校高学年から中学卒業までの俺は血気盛んで、よく母親(と父親)に迷惑をかけていた。小さい頃の交通事故で出来た顔の傷のせいで目をつけられるわ怖がられるわで、揶揄われることや絡まれることも少なくなかった。
そんな中迎えた思春期、元々の目つきの悪さもあり、出処が分からない噂を聞きつけガラの悪い他校の連中に待ち伏せされたりすることもあった。勝敗数は定かではないが、怪我をして病院にお世話になった回数は片手では収まらないだろう。こんなヤンチャな俺が今や学校の先生だなんて、当時同じ学校に通ってた奴らは信じねぇだろうなァ。
まあ、俺の中学ん時の姿と今の姿、どっちも知ってる奴がいるんだけど。実は、この学校に。

---

「さねみんじゃあねー」

「先生、また明日」

パタパタと廊下を小走りで走る女子学生達に、「気をつけて帰れよォ」と声をかける。下校時刻、部活に行く生徒、帰る生徒、残る生徒に立ち話をする生徒と様々だ。
教科書と出席簿、チョークが入ってる箱、筆箱、その他諸々を肩に担いで職員室へ向かう。
すれ違う他学年の先生方にお疲れ様ですと挨拶を交わし、自分の席に着く。
ふーっと一息ついて、ノートパソコンのロックを外し、業務日報を書こうと文書アプリを立ち上げた。さて何を書こうかと椅子にもたれた時、俺の隣の席に座る先生が帰ってきた。

「お疲れェ」

「お疲れ様です」

先生は資料やら教科書やらを乱暴に机の上に置くと、さっさと席を離れてしまった。きっとそのまま着替えて部活の監督に行くのだろう。女子バスケット部顧問で、担当科目は中学高校の国語で、俺と中学ん時の同級生で、現在ちょっと訳ありの関係で。
訳ありっつーのは、付き合ってないけど身体の関係はある、所謂なんとかフレンドってやつだ。そんな爛れた関係になってからもう1年くらい経つのか?
週末、タイミングが合えば一緒に飲みに行って、そっから交合って、日曜日には解散して、という流れもお約束になってきてるし、週明けの月曜日には何もなかったかのようにおはようの挨拶を交わすのも慣れっこだ。学校では全然会話も交わさないため、俺達の関係を知ってる人なんていないだろう。多分。匡近にも喋ってねェし。

「あ、」

匡近で思い出した。そう言えば図書館の書庫整理だかなんだかとかで、アイツが受け持ってる部活の監督を頼まれてたこと、すっかり忘れてた。室内の部活なのでパソコンを持って行っても問題ないだろう。繋がっていた電源コードを抜き、パソコンを閉じる。業務日報のついでに明日の授業範囲を確認しておこうと、数Bの教科書と中学3年の教科書、関連する参考書やワークをパソコンの上に置き、まとめて小脇に抱える。時刻は15時半。俺の時間は、これからだ。

---

「あ、不死川先生」

「先生、こんにちは」

家庭科室。
滅多に来る機会がないそこの教室の扉を開けると、男女が隣合って座っていた。

「よォ、素山夫婦。元気かァ」

手を挙げて挨拶する。男子生徒が立ち上がり、俺に近付く。

「不死川先生、こんちには。そう言えば今日、粂野先生の代わりに不死川先生が監督してくださるんでしたっけ」

「おー。と言っても俺は手芸に関してはからっきしだからなァ、分かんねェことがあれば匡近に聞いてくれェ」

そう言うと、女子生徒が鈴を転がしたような声で笑った。

「不死川先生、粂野先生ったらおかしいんですよ。クロスステッチのこと、クロツケッチって言い間違えていて」

クロツケッチってなんだよ。思わず吹き出す。

「今素山が手に持ってるやつかァ?」

言った後に、あ、と思った。この二人、どっちも素山だった。だが、女子生徒が「そうです」と返事してくれた。

「狛治さんが作っているのはレース編みのコースターです」

「へぇ」

男子生徒に、それから、机の上に置かれている作品に目をやる。いかにも男子、みたいなゴツめの手のひらから、あんな繊細な幾何学模様を生み出せるのかと感心した。

素山狛治と素山恋雪。
学生同士で結婚してる、なんとも稀有な存在だ。なんでも実家が隣という縁から仲を深め、素山恋雪が結婚出来る年齢になったのを見計らって正式に籍を入れたんだとか。
二人の左薬指にはいつもシンプルな結婚指輪が光っている。

「他の生徒も来るんだろ?俺のことは気にせずいつものようにやってくれェ」

「分かりました」

素山狛治が座っていた席へと戻る。俺は二人が座っている席から少し離れたところに座り、荷物を置いてパソコンを開いた。

それからしばらくして、手芸部の生徒がぽつぽつと現れた。俺があれこれ言わなくても生徒達は棚から道具を出し、談笑しながら、時に休憩を挟みながら作業を進めていく。手がかからなくてありがてぇ限りだわァ。
業務日報をさくっと書き上げ、授業の予習に入る。ここまで進みそうだな、と言うところまで教科書の中身を確認をし、授業内で取り上げる問題の解き方の確認をし、宿題の量を確認し終わる頃には日がすっかり落ちていた。手芸部の生徒も大半が帰宅していて、素山夫婦と2人の生徒が残っているだけだった。荷物をまとめながら、尋ねる。

「お前ら、まだ帰んねェの?」

時計は18時を回ったところだった。素山狛治が口を開く。

「手芸部の活動時間が18時30分まで許可されているので、俺達はそこまで残ります」

「来月あそこの公園で開催される、バザーに出品するものを作っているんですよ」

女子生徒の一人が続いて発言する。そう言えばそんな行事あったなァ。俺はここら辺の住人じゃねェから細かいことは分からないけれど、飯屋も出るのでうちの生徒がよく遊びに行ってるのは知っているし、地域貢献と防犯のため先生方が見回りに出向くのも知っている。俺は去年見回り担当だったから、今年はその役目が回ってくることはないだろう。
飯屋の屋台の他、女子生徒が話したバザーも結構な規模で、ハンドメイド作家も数名参加していたような気がする。実家に何か買っていくのも悪くはないだろう。アルコールの提供もあったから、一杯引っ掛けていくのもいいかもしれない。
……そう言えばアイツの今週末の予定を聞いていなかったか。携帯電話をポケットから出そうとした時、素山恋雪に声をかけられた。

「不死川先生は、どの柄がいいですか?」

「あ?」

素山恋雪が手招きして俺を呼ぶ。近くに行くと、机上に2枚のランチマットが敷かれていた。柔らかな色合いの北欧風のパターン柄と、白黒の幾何学模様のランチマット。何を選ぶにせよ家族が基準になってしまうのは、俺の癖みたいなもので。

「こっちの方が可愛いんじゃね」

北欧風のランチマットを指さす。素山恋雪はニコッと笑いながら、ですよねと漏らした。
すると、素山狛治が目を丸くしながら俺を見つめる。

「……不死川先生、てっきり、逆の柄を選ぶのかと思いました」

「なんでだよ。こっちの柄のが可愛いだろうが」

「いや、可愛いって」

「あァ?……」

言われてから気付いた。他の生徒もニヤニヤと笑っている。可愛いって言っちゃダメかよ、と思ったが、流石にこの強面の筋肉質な男に不釣り合いの単語か。
照れくさいのを誤魔化すように、頭を掻く。

「……いいじゃねェかよ、可愛いって言ったって」

素山恋雪と、もう一人の女子生徒が声を上げて笑う。なんだか益々恥ずかしくなって、キレ気味に「あーもう、うるせぇな!」と一喝した。

「お前ら、もう18時過ぎてるからとっとと帰れ!」

「不死川先生、かわいーっ」

「可愛くなんかねェ!」

「狛治さん、今日は帰りましょうか。作業の区切りもいいし」

「そうですね」

生徒達が片付け始めたのを見て、俺も撤収の準備をする。素山恋雪の機転のきかせ方にこっそり感謝した。揶揄われるのは慣れてないので、あの空気が続いてたら地獄だっただろう。
教室の戸締りと消灯を確認し、素山狛治から家庭科室の鍵を受け取る。部員達が仲良く玄関に向かう後ろ姿が小さくなるまで見送って、一つ息を吐いた。

「(さてと……)」

職員室に戻ろうと歩を進めて、ふとアイツのことを思い出した。携帯電話を取り出しメッセージアプリを立ち上げたところで、ふと、体育館に行けばアイツがいるんじゃないかと考える。一本連絡すれば済む話なのだが、純粋に女子バスケ部や、体育館で汗を流している部活動がどんな練習をしているのか気になったのだ。観に行く機会もそうそうねぇし。
それに、うちの体育館は2階から体育館を見下ろせる作りになっているので、俺が現れることで部活動の妨げにはならないだろう。踵を返し、体育館の観覧席へと向かうことにした。
人気のない廊下を歩いて行き、スタンドへ続く扉を開ける。換気されていないだろう、こもった空気がぶわっと広がった。

「(……へえ、こんな感じになってんのかァ)」

年間行事でしか訪れないような、縁のない空間。観覧席には誰もおらず、青色のベンチがいくつも並んでいた。きっと、練習試合の時には自校の生徒や他校の生徒、親御さん達がここに集まるのだろう。
落下防止の柵からコート内を覗き込む。そこには女子バスケ部の姿も、他の体育会系の部活の姿もなかった。
ただ、一人、コートを駆ける後ろ姿だけがあった。居残り練習をしている生徒だろうか?バスケットボールを上手く操り、縦横無尽にコート内を駆け回り、まるで見えない相手と1on1をしているようだ。靴底とコートが擦れる鋭い音が体育館中に響いている。

「(すげーな)」

身体を低くしてのドリブル、素早いピボットターン、しなやかなシュート。
ボールはゴールポストに当たり、そのまま入るのかと思ったらリングに嫌われてしまい、ボールが弾かれてしまう。
空中を泳ぐボールに、懸命に手を伸ばす横顔──。

「あ、」

無意識に声が出ていた。
俺、この光景、どこかで見たことある。
突如現れた既視感に、心臓が早まる。どこだ?どこで見た?
夢じゃない。
知っている。
俺は、この光景を──。

「……不死川先生?」

どこからか呼ばれて、ハッとする。下から俺を呼んだのは、この学校の生徒──ではなく、女子バスケット部顧問で、担当科目は中学高校の国語で、俺と中学ん時の同級生で、現在ちょっと訳ありの関係の──先生だった。

「どうしたんですか、そんなところで」

先生はバスケットボールを腕に抱えながら言葉を続けた。

「あ、いや……」

俺の声は先生には届かなかったらしい。え、何ですか?と聞き返され、ここが体育館で、俺達の距離が思ったよりも遠いことを改めて気付かされた。
キョトンとしている先生に、改めて少し大きめの声量で話しかける。

「……部活、終わったのかよォ?」

「あ、はい。ついさっき。もしかして不死川先生、当直ですか?」

「いや、違ェ。今日は当直じゃなくて、ただ……」

「ただ?」

なんだかさっきから口の中に鉄の味を感じる。ほろ苦くて、痛くて、切なくて……。
胸の底から湧いてくる不快感。思い出せないもどかしさと、もう少しで思い出せそうな喉のつまり。
次の言葉を言いあぐねていると、そう言えばと下から先生が言葉を投げかけてきた。

「不死川先生、中学の時にもふらっと体育館に来たことありましたよね」

「……え?」

「残ってリバウンドの練習してた時、気が付いたら体育館の扉の近くにいて、じっと立ってたんですよ。実弥ちゃん!?ってびっくりして──」

それを聞いて、身体中に電撃のような衝撃が走る。

そうだ、あの日、同級生と殴り合いの喧嘩になった時。これ以上家に迷惑をかけまいと、ほとぼりが冷めるまで何処かに身を隠そうと思ったんだった。殴られた衝撃で口の中が切れて、ずっと血の味が広がっていて不愉快で、水道がある所を求めてウロウロしていたら、いつの間にか体育館にたどり着いていて。
そう言えば体育館の中に水飲み場があったなと、重い扉を開けた向こうで

コイツが高く、高く跳んでいるのを見た。

結局、親に連絡が行って、校内放送で呼び出しされて、校長室で取り調べを受けて。
どうして殴ったの?と言うくだらない質問に答えるよりも、俺は、もう一度コイツがボールに手を伸ばして跳ぶ姿を見たかった。
もしかしたらその時に一目惚れをしていたのかもしれない。
どうして今まで忘れていたんだろう。
それはきっと、あの時の苦い記憶と一緒に封印したからで。

「お前さ、」

「はい」

「もう一回今のやってくんねェ?」

「……なんで?」

疑問を「いいからいいから」と適当に流す。先生はよく分かっていない様子ながら持っていたボールを再び操り始めた。
ドリブル、ターン、シュート、そしてリバウンド。
地面を蹴って、高く、高く跳ぶ。
思い切り手を伸ばして、真っ直ぐな瞳が揺らめいて。


その眼差しに射抜かれる


「サンキュ」

「……そのお礼、よく分かんないけど」

「だよな、俺もよく分かんねェ」

「変なの」
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迷子のロジカルシンキング(キ学:数学教師 シリーズもの)

なんか、変だった。

いつものように待ち合わせして、いつものように空いてる居酒屋に入って
ここまではいつも通りだったのに
携帯に入った一本の通知を見てから、どうも様子がおかしい。
実弥ちゃん──中学の時の同級生で、今現在同僚として働いてる──は、落ち着かない様子で時計を見たり、メッセージを返している。
どうしたの?と尋ねると、なんでもねェと素っ気ない返事(これはいつものこと)
でも、あまりにもいつもと違う様子が気になりすぎて、わたしの方から切り出した。

「急ぎの用事とかなら、今日はお開きにしようか?」

わたしの一言に実弥ちゃんは一瞬、大きな目をパチクリさせたけど
お開きにしなくて大丈夫だ、と言い
そのまま喉を鳴らすいい飲みっぷりでグラスを空けた。

「……?」

実弥ちゃんの様子がおかしいまま、2人だけの飲み会は続き
いつもの終電、発車2分前に駆け込んで、そのまま彼の家へ。
で、いつものように、どろどろと交合う……はずだったのに、なんだか実弥ちゃん、上の空。
いや、気持ちいいのは気持ちいいんだけど、なんだか切羽詰まってると言うか、鬼気迫ると言うか、いつにも増して真剣と言うか、別人と言うかなんと言うか。
とにかくいつもより、変だった。

行為が終わって、荒れた呼吸を整える。
隣で実弥ちゃんが携帯を見ているらしく、暗がりの部屋にぼんやりと白い光が滲んでいる。
やっぱりおかしい、居酒屋で、携帯の通知を見てから様子が変だ。
何かあったのだろうか。
もう一回聞こうとして、口を開こうとした瞬間。
画面の光に照らされている、実弥ちゃんの顔が
なんとなく、ホッとしたような、安心したような顔つきに見えたから。
なんだか声をかけにくくて。

「……ん、どしたァ」

そんなわたしの視線に気が付いたのか、実弥ちゃんは携帯をヘッドボードに置いて
そのままベッドにどさりと横になった。

「……なんでもない」

実弥ちゃんに背を向けて、あ、これ、拗ねてるみたいと恥ずかしくなる。
そんなわたしの心を知ってか知らずか、実弥ちゃんの逞しい腕が柔らかくわたしを包んだ。
それから首筋に鼻先の体温を感じて、くすぐったさに身体をよじる。
わたしの首筋に顔を埋めるのが好きらしいと知ったのは、つい最近だ。

「寝づらくないの?」

わたしの問いに、別にィと簡潔な返事。
簡潔なんだけど、なんだか余裕があって、さっきと違う雰囲気。
聞きたいけど、水を差すような気がして
そのまま眠りに落ちてしまった。

***

部活があるからと朝方、俺の家を出るアイツを見送った後、やってしまったと後悔した。
俺ら別に付き合ってる訳じゃなくて、ただの都合のいい関係で、だからこそ、だ。

今回、割と雑になっちまった。いや、雑になる理由はあって、ただ、それをアイツに言うと「あ、じゃあわたし帰るね」って俺の返事も待たずに言われるのが目に見えていたから、それだけは避けたくて。

今でこそ週1から2週間に1回のペースでヤることヤってるものの、どっちかが忙しかったり、お互いの都合が合わなければ出来ないわけで。つーか1ヶ月以上出来ないとか、割とよくある。
し、彼氏彼女でもなんでもねぇから、捨てられる可能性だってあるわけで(俺から関係を切るってのは今のところないが)
いつでも満足させてやりたいと思っていたのに。

「やり直してェ……」

独りごちる。それから長く息を吐いて、顔を上げた。うだうだしてたって仕方ねェ。次だ次。
寝室に戻り、ケータイを開く。メッセージアプリを立ち上げ、上の方に表示されている男の名前をタップするとそいつとのトーク画面が表示された。
全部テメェのせいだぞ、宇髄。

---

同じ学校で働く美術教師の宇髄からメッセージが飛んできたのは、アイツと飲んでいる最中のことだった。
なんだかんだで腐れ縁(同じ大学だった)な俺達、宇髄から連絡が飛んでくるのは珍しくはないのだが。
その内容が、たった一文。

【今から煉󠄁獄と一緒にお前ん家行くからド派手に待ってろよ!】

目を疑った。そりゃそうだろ。
今から?煉󠄁獄と?何しに?
今日は金曜日、宇髄と煉󠄁獄(こいつも同じ学校で働く教師だ)だって飲んでいる可能性はあるとして、なんでいきなり俺ん家に来るって展開になってんだ?全くもって意味が分からねェ。

【今家にいねーし】

急いで返信したのは宇髄と煉󠄁獄ほど行動力に満ち溢れた奴を知らないからだ。なんだったら今既に俺ん家の前にいる可能性だってある。
コイツとの時間は頻繁にあるわけじゃねェんだし、こっちを優先したいんだよ、俺は。

じゃあ、宇髄になんて言う?

断るのは簡単だ。ただ、断ったところで簡単に引き下がる男でもないだろう。しかも宇髄は変に勘がいいので、「女か!?」なんてしつこく聞かれそうだ。それはそれで面倒くせぇし、コイツとの関係がバレたら厄介だ。
ややあって、宇髄から返事が返ってきた。

【お前も飲んでるの!?おもしれーじゃん、今から合流しようぜ】

ふざけんな!心の中で叫ぶ。合流なんかするわけねェだろうが。
目の前にいる女が、不思議そうに俺の顔を覗き込む。どうしたの?と聞かれたので、なんでもねェと答えておいた。

【今取り込み中だから連絡してくんな、そして俺の家にも来るんじゃねー】

手早く返信する。水を差された気がして、イライラしてきた。誤魔化すようにビールを流し込み、砂肝の串を乱暴に口に運ぶ。

「んで……何話してた……あーそうそう、伊黒な、」

女に話しかける。が、女は俺の問いに答えず、「急ぎの用事とかなら、今日はお開きにしようか?」と、心配そうな顔つきで言ってきた。
クソ。宇髄の野郎、月曜日覚えてろよ。
お開きにしなくて大丈夫だ、とは言いつつも、宇髄と煉󠄁獄のことが気になる。酒も入っているせいか、何を話しても聞いても気もそぞろ。

結局、コイツと飲んでる間に宇髄から連絡は来ず。まぁ俺が連絡してくんなと言ったからかもしれねぇが、まさかヤってる最中に家のチャイムが鳴ったりしねぇよな、いきなり押しかけてきたらどうしよう、なんて追い返そうか、つーか宇髄と煉󠄁獄は今どこにいるんだ、絶対来るなよと念押ししておけばよかった、とかあれこれ考えていたら、いつの間にか終わってた。マジで。

「……」

「……?」

衝撃だった。適当にやってるつもりは無かったのに、最中の記憶がすっぽりと抜け落ちてる。と言うか、居酒屋を出たところからの記憶がない。自分家にいるっつーことは終電で帰って来ているはずで、でも電車に乗った覚えがない。
どうやって帰って来たか、どんな話をしていたか思い出そうとしていると、組み敷いている女が訝しげに俺の名前を呼んできたのでハッとした。なんでこんなに余裕ねぇんだ、ダサすぎだろ、俺。
出し切って萎んだモノを抜く。適当に処理してゴミ箱に捨てた後、女の顔を垣間見た。前髪が汗で張り付いていたので、指先で払ってやる。

「ん……」

色めかしい吐息が漏れる。目を閉じて余韻に浸っているようだったので、急いで携帯を開く。
メッセージが来ている通知が画面上に表示されたが、送り主は宇髄ではなく煉󠄁獄だった。しかも複数送信しているらしい。
通知をタップして詳細を確認する。

【すまない!宇髄が俺と一緒に君の家に行くと言った内容のメッセージを送っていたみたいだが、その本人が酔い潰れてしまって今タクシーで帰らせた】

【君の家に行くだの、合流しようだの、君の都合も考えず宇髄が勝手に連絡してしまって申し訳ない】

【だる絡みするなと俺からも言っておくので、許してやってくれ。ではまた月曜日!】

最後に、おつかれさま!とよく分からないキャラクターのスタンプが添えられていた。
それを見た途端、安堵の気持ちがどっと溢れた。あー、良かった。
再び女に目をやると、上目遣いでこっちを見ていた。その目線に射抜かれた瞬間、なんだか気が抜けて、酔いもすっかり覚めて、急にコイツに甘えたくなった。
用が無くなった携帯をヘッドボードに置いて、女の身体を抱き寄せる。首筋に顔を寄せると、俺が使ってる洗髪剤の匂いがした。
多幸感に包まれて、目を閉じる。
コイツの気持ちを、置き去りにしたまま。

***

結局あの後、お互いの折り合いが合わなかったのもあって
次の飲み会が設定出来たのは、あの日から数週間後だった。
本当は「何があったの?」と聞きたかったのだけど
それを聞いてしまったら「面倒臭い女だな」と思われてしまいそうで、今の今まで聞けずじまい。

もしかして、好きな人が出来たのかも。
だからあんなにソワソワしてたのかも。
だったらこの関係も終わりなわけで。
それはそれで寂しいけれど、仕方ない。
仕方ない、けど

二次会を終えて、終電が近くなった頃。
店を出て駅に向かおうとした矢先、実弥ちゃんに耳打ちされた。

「なぁ、ホテル行かねェ?」

それは急な申し出だった。
だって、わたし達がホテルにお世話になるのは、終電を逃した時くらいで。

「えっ、な、なんで?」

「いいだろ別にィ。お前、明日の予定は?」

「え……と、確か午後練だから」

「じゃあ大丈夫だよな?」

「え、いや、別に、いいけど……」

わたしの反応を見て、実弥ちゃんが意地悪く笑う。いや誰でも動揺するでしょ、だっていつもと違う展開なんだもん。なんでいきなりそんな提案。
そんなわたしの胸中を見透かしているのかいないのか、追い打ちをかけるように実弥ちゃんが言葉を続けた。

「覚悟しろよォ」

あ、これ、ドロドロにさせられるやつだ。腰砕けになるやつ。
なんで?なにが引き金になったの?
今日の飲み会を思い出す。話の内容は学校のことばかりで、一体どの話題がスイッチになったのか、皆目見当もつかない。
どうして?どれ?なに?
そんなことばっかりぐるぐる考えていると、手を握られた。
それから二人、ネオン街の奥底に導かれるように歩き出す。
握られた手のひらはほんのり暖かくて、そういえば往来の場で手なんか握ったことなんかなくて、アルコールが回った頭が混乱する。なんでこんな展開になってるんだろう?
何も分からないまま、せめて知り合いが見ていませんようにと顔を伏せながら祈った。

---

やっぱり気になって、聞いてみることにした。

「ねぇ」

「あ?」

水を飲んでいる実弥ちゃんに声をかける。

「この間やった時さ」

「おう」

「なんか適当だったよね」

ぐふっ。
実弥ちゃんからくぐもった音。
げほごほとむせながら、わたしを見やる。

「おま、っ、気付いてたのかよ!?」

「気付いてたっていうか、なんかいつもと違うなーって思って」

彼女、出来たの?
すらっと言えたのは、お酒のせいだろう。
聞く気はなかったのに聞いてしまったのも、きっとお酒のせい。
実弥ちゃんは口の端に漏れた水を手の甲で拭いながら「違ぇよ」と言葉を続ける。

「じゃあなんであんな、心ここに在らずだったの?」

「いや……」

「?」

言葉を選んでいる実弥ちゃんに、やっぱり女だと冗談っぽく言うと、だから違ぇってとため息混じりに返ってくる。

「……あの日、宇髄の野郎が」

「宇髄先生?」

予想していなかった名前の登場に、思わず聞き返す。

「おー。宇髄と煉󠄁獄がその日一緒に飲んでたっぽくて、一緒に飲まねぇかって連絡が来てよォ」

「え、そうなの。一緒に飲みたかったな」

「やめとけ。宇髄の奴、俺らが中学の同級生だって知ったら明け透けに質問してくるぜ」

「あ、そっか」

そう言えば、わたし達が中学の同級生だって知ってる先生って
もしかしたらあまりいないかもしれない。
(言い散らすことでもないし)

「それに」

「それに?」

実弥ちゃんは飲んでいたペットボトルをスイッチだらけのヘッドボードに置いて
それからわたしににじり寄って来る。

「お前との時間を邪魔されたくねぇんだよ」

え。
喉から声が生まれる前に、唇が重なった。
甘く触れたと思ったら、噛み付くような口付けに変わる。
そのままベッドに押し倒されたので、抗議した。

「えっ、ちょっと待って!もう一回するの!?」

わたしの言葉に、当たり前だろォ、としれっと言いのける実弥ちゃん。

「この間のリベンジだァ」

「なにそれ、っ」

薄い唇が、わたしの肌をゆるゆると滑っていく。
身体が跳ねて、熱が湧き出る。
実弥ちゃんの頭を掴んで、押しのけようとした。
のに、ぐいぐいと攻めてくる。

「リベンジなんてしなくていい!」

「俺の気が済まねェ」

「えっ、や、ちょっと待って!?」


迷子のロジカルシンキング


(……いつもよりすごかった。頭ボーッとする)

(もう絶対、クソだせぇことなんかしねぇぞ)
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キミが悪いよ悪いけど(キ学:数学教師 シリーズもの)

どことどこが繋がってるか、なんて
解いてみないと分からないものだったりする。


「まいどー」

元気よく出迎えてくれた人。八百屋さんや魚屋さんの類ではなく。
この学園の、司書の先生だ。

「粂野先生、こんにちは」

「あ!いらっしゃい」

粂野先生──とても明るい、左頬に二本の傷がある男の先生──に元気よく挨拶され、軽く会釈をする。

「今日も国語の史料探しですか?」

「はい、昔の中国の風景が載っている雑誌とか、史料とか、この図書館にありますか?」

粂野先生はわたしの質問に対し、机上にあるタブレットを操作していく。ややあって、「それっぽいのなら、多分」と、本棚の位置を教えてくれた。
ありがとうございますと一礼し、教えてもらった本棚に向かう。

私立の学校ということもあり、資料(と史料)や蔵書が充実している学校の図書館。もしかしたら市が運営している図書館よりも蔵書数が多いかもしれない。
放課後と言うこともあり、この空間には生徒の姿がちらほら見受けられる。
真面目に勉強している生徒もいれば、待ち合わせなのか音楽を聴いている生徒、参考書を開きながら船を漕いでいる生徒と様々だ。
自分の背の高さ以上ある本棚を見上げる。異文化の香り。確かに、探していたものはここにありそうだ。
華やかな背表紙をなぞりながらお目当ての本を探していると、粂野先生の声が聞こえた。

「あっ、実弥」

その、覚えのある名前に図らずも身体が反応する。本棚の陰から声のした方を覗き見ると、これまた覚えのある後ろ姿。でしょうね、と、心の中でツッコミを入れた。実弥なんて名前、この学校に彼しかいない。
そんな馴染みある彼の姿を確認したところで、再び探し物に戻る。求めていた写真が載っている本を何冊か手に取り、貸出カウンターに向かった。

「おかえりなさいませー。お目当ての本はありましたか?」

実弥ちゃん、じゃなくて、不死川先生と仲良く話していた粂野先生がこちらを向く。

「はい、ありがとうございます。これ、お借りしても大丈夫ですか?」

「もちろん。あ、でも、持ち出し禁止なんで、早めに戻していただけると」

「あ、じゃあ今日中に」

「りょーかいです」

と、わたしと粂野先生の間を不死川先生が割って入ってきた。

「……なんだそれ、読むのかよォ?」

「そんな訳ないじゃん。授業で使うの」

「へえ」

「不死川先生はなんでここにいるんですか?」

「あ?匡近に貸したゲーム、どこまで進んだのかと思ってよォ。進捗確認に来た」

「ふーん」

この二人、ゲームを貸し借りする仲なのだろうか?不死川先生の口から粂野先生の話題なんて一言も出たことがないので、驚き。

「で?どうなんだよ、匡近」

「……」

話を振られた粂野先生は、わたしと不死川先生の顔を交互に見て、分かりやすく疑問符を頭に浮かべた。

「……二人って、結構仲良し?」

一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
誰が誰と仲良し?わたしと、不死川先生のこと、だよね?
なんとなく答えあぐねていると、不死川先生が口を開いた。

「中学ん時の同級生だァ」

それから言ってなかったっけか、と、粂野先生に追加で言ってのける。
確かに、わたしと不死川先生は中学の時の同級生だけど、二人の間には今それ以外の関係でも繋がっていたりして。
……そんなこと、口が裂けても言えない。(しかもここ学校だし)
粂野先生は「聞いてないよ」と口をとがらせた。

「あ、じゃあ俺の知らない実弥も知ってるって訳だ」

「テメェが知らねぇ俺なんていねぇだろーが」

「そんなの分かんないじゃーん」

すると、何か妙案を思いついたのか、粂野先生の顔がパッと明るくなる。

「あ!いいこと思いついた!今日金曜日だし、飲みに行きませんか?こいつ抜きで」

「へっ!?」

予想外の展開に、思わず変な声が出た。
慌てて口元を掌で覆い、すみませんと謝罪する。

「え、あ、不死川先生は?」

わたしの一言に「ダメダメ」と首を振る粂野先生。

「実弥のあんな話やこんな話を聞きたいのに、本人がいたら確実に怒られちゃうじゃないですかぁ」

「……俺は今既にキレそうだけどなァ」

「実弥が高校の時にやらかした衝撃の話を教えますからっ」

「え、」

ホントですか、それ気になります。
口にする前に、不死川先生が図書館中に響く割と大きな声で「匡近ァ!」と粂野先生の下の名前を呼んだ。
一斉に視線が集まり、ばつが悪くなる。
一方当の大声を出した人と大声を出された人は、そんな視線気にも留めていない。
殺気立ってる視線の先には、ヘラりと笑う粂野先生。

「えーと……」

今日は週末で、いつもなら隣にいる不死川先生と飲みに行く日、なのだけど。毎度毎度彼とちゃんとした約束をしている訳ではないし、なんなら今日だって約束があるわけではない。ただ、もしかしたら不死川先生は今日、わたしと飲みに行くつもりでいたかもしれないし、そのために予定を空けていたかもしれない。

どうしよう、どうすべきか。とりあえず一旦保留にした方が、と考えたところで、不死川先生が分かりやすく舌打ちをした。

「俺の話は絶対すんなよなァ」

「それはどうかな」

ニヤニヤしながら煽る粂野先生に、不死川先生が青筋を立てて笑う。

「匡近、テメェなァ、いい加減にしねぇと……」

「あっ!お客様、ここは図書館なので大声は禁止です」

「誰のせいだァ!」

粂野先生に掴みかかろうとする不死川先生。そんな彼を軽くいなしながら、粂野先生はスマホを取り出し「そんな訳で連絡先交換しましょう!後で連絡しますから」と、QRコードを差し出す。
そんなドタバタの中で交換した連絡先から、「今日はここにしましょう!」とお店のURLが送られてきたのは、その数十分後だった。

***

……なんてやり取りの後に行われた二人飲み、まさかこんな状況になろうとは。
目の前にはうつ伏せですやすや寝てる粂野先生と空になったグラス。粂野先生が起きるのを待っているわたし。
まだ一次会なのに、と思ったけど、いつもお酒が強い人と飲んでいることを失念していた。
無理させてしまったかなと反省、無理矢理起こすのもしのびないので、かれこれ数十分はこのままの状態、なのだけど。

「すみません、お席の時間なのでご退席お願いします」

時間が来たことを伝えに来た店員さんが、粂野先生の姿を見て吃驚する。

「あの、お連れ様……大丈夫ですか?」

「あ!はい、すみません、今起こします」

慌てて粂野先生の肩を揺すり、名前を呼ぶ。顔を上げた粂野先生の表情は寝起きのそれだ。

「んぁ……」

「粂野先生、すみません。時間みたいで。立てます?歩けます?」

粂野先生は大きく欠伸をして、「大丈夫ー」と力のない返事で応える。こんな状態じゃ財布を取り出してもらうのは無理だなと、とりあえずここはわたしが払うことにした。
伝票を持ってレジに向かい、会計を済ます。席に戻ると粂野先生はまた突っ伏して寝ていた。

「ちょっと、粂野先生!」

再び呼び起こす。こんな状態で家に帰れるのだろうか?店出ますよと伝えると、またまたふにゃけた返事。
覚束無い足取りで壁を伝って歩いてきた粂野先生はお店から出た瞬間「いやあ飲んだねぇ」と上機嫌な笑顔をわたしに向けた。
楽しそうでなによりです。

「粂野先生、お家、どっち方面ですか?」

「んー、あっち」

倒れそうになる粂野先生をなんとか支える。あ、これダメだ。一人で帰らせてはいけないやつ。道端で寝こけて朝まで起きないやつ。最悪の状況を想像して、血の気が引いた。
そこら辺にいたタクシーを捕まえて、強引に押し込む。
詰めてくれない粂野先生を力ずくで押しのけ、わたしもタクシーに乗り込んだ。

「粂野先生、タクシーで送りますから、家の住所教えてもらってもいいですか?」

再び眠りにつきそうな粂野先生に、懸命に話しかける。
すると粂野先生は出し抜けに懐から携帯電話を取り出して、どこかに電話をかけ始めた。

「……あー、うん、俺俺ー。……え?酔ってない酔ってない。んふふ。そんな訳でぇ、今からタクって帰るから!よろしくー」

呂律の回らない状態のまま電話を切り、そのままの勢いでタクシーの運転手さんに住所を告げる。とりあえず、一安心。
運転手さんに「お客さんの行先も一緒でいいですか?」と尋ねられたので、頷く。カードの余裕はまだあったはずだ。
タクシーが動き出すと同時に、どっと疲れが襲ってきた。普段こんな風に誰かを介抱することなんてないから、気疲れしたと言うか。
隣ではすやすや眠ってる粂野先生。よく眠っていらっしゃる。

窓の外を流れていく光を、ぼんやりと見つめる。そう言えばタクシーを使うのなんて、いつぶりだろう。
いつも実弥ちゃんと飲んだ日はそのままホテルに転がり込むか、終電に駆け込むかのどちらかなので、そういう点では今この状況が新鮮だったり、する。
実弥ちゃん、今何してるのかな。回らない頭で、彼のことを思った。

***

「お客さん、着きましたけど、ここら辺で大丈夫ですか?」

そう、タクシーの運転手さんに言われたけれど、自分が今どこにいるのか、ここがどこなのか、さっぱり分からない。
あたふたしていると、連れの野郎に聞いた方がいいんじゃないですか?と言葉が続いた。

「あっはい、すいません」

タクシーの運転手さんは、うんざりした顔でこちらを見つめている。
そりゃそうだよね、こんな面倒臭い状況に居あわせるのなんて嫌だ。
粂野先生が吐いてないだけまだマシか。

「粂野先生、着いたんですけど、ここで合ってますか?」

身体を結構な力で揺さぶる。が、起きる気配は無い。
え、どうしよう。って言うかこれ、どうすればいいんだろ。
粂野先生!大声を出してみるけれど、未だ反応なし。寝息は聞こえるから生きてはいるんだろうけど。
どうしよう。すっかり困り果てた、その時だった。
タクシーの窓が数回ノックされる。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは実弥ちゃんだった。

「実弥ちゃん!?」

タクシーの運転手さんが「知り合いですか?」と尋ねてくる。その質問には答えず、「すいません開けてください!」とお願いした。
扉が開く。そこにいる男の人が間違いなく実弥ちゃんだったので、よかったと無意識に呟いていた。
手を差し伸べられたので、掴む。立ち上がって、実弥ちゃんの身長って粂野先生よりちょっと大きいんだなと場違いなことを考えた。

「匡近から電話があって、もうそろ着くかと思って迎えに来た」

「そうなんだ……」

「まさかお前がいるとは思わなかったけどなァ」

「……こんな状態で、一人になんかさせられないよ……」

タクシーの中を覗き見、状況を把握して大きなため息をつく実弥ちゃん。
粂野先生のカバンから財布を取り出して、タクシーの運転手さんに謝りながら乗車料金を払う。
それから粂野先生をタクシーから無理矢理引きずり下ろして、粂野先生に肩を貸してあげた。

「コイツのカバンと上着持てるかァ?」

「あっうん、任せて」

引き摺るように粂野先生を運ぶ実弥ちゃん。辺りを見渡して、そう言えばここ、見覚えある場所だなと改めて思った。タクシーの窓越しじゃ分からないものなんだなあ。
実弥ちゃんの家までは、数分もかからなかった。玄関で器用に粂野先生の靴を脱がすと、そのまま粂野先生をソファーに言葉通り放り投げる。驚くことに、乱暴な扱いを受けてもなお、粂野先生は安らかに眠っていた(意味違うけど)

「悪ィ、匡近が迷惑かけて」

「あっ、いや、わたしも粂野先生に無理させちゃったかなって」

実弥ちゃんは頭を乱暴に掻きながら「酒弱ェくせにアホほど飲みやがるんだ、こいつ」と、この状況に慣れてるような口振りで話した。

「そうなんだ」

「会計もお前が立て替えてくれたんだろ?いくらかかった?」

言いながら実弥ちゃんは粂野先生の財布からお札を何枚か取り出す。 わたしが出した会計額よりも多かったので、慌てて突っ返した。

「いいから、貰っとけ」

「いやでも、このお金、実弥ちゃんのじゃないでしょ」

「迷惑料込みだァ。匡近には俺からキツく言っとくから」

「……でも、」

躊躇っていると、手のひらにお金を捩じ込まれた。そこまでされて断るのも失礼だなと思い、懐に仕舞う。

「……」

「……」

微妙な空気が流れた。
いかん、そんな空気に反応してないでお暇しなきゃと、別れの挨拶を早口で言って踵を返す。
すると、後ろから手首を掴まれた。

「おい待て、失礼すんじゃねェ」

「いやっだって!帰らなきゃ!」

「帰らなきゃって、どうやって帰るんだよ」

言われて思った。確かに。
今ここから急いで駅に向かったとして、終電には間に合わなさそうな時間帯だ。それに今日は金曜日だし、タクシーも捕まらなさそうな雰囲気。

「泊まってけばいいだろォ」

しれっと、なんでもないように、そう提案してくるから。
なんだか、急に恥ずかしくなって、言葉が詰まる。いや、それが最善策なんだろうけど。(幸運にも明日、部活はオフだった)

「お前、明日部活は?」

「……」

「おい」

「……」

聞いてんのかよ。掴まれた手首をグイッと持ち上げられ、視線が音もなくカチリと合う。直後、「お前、なんつー顔してんだ」とデコピンをくらった。
痛みに驚く間もなく、唇が耳元に寄せられる。微かに違う熱が触れた気がして、心臓が跳ねた。

「んな顔してっと、ここで襲うぞォ」

「なっ、」

その言葉に、咄嗟に掴まれてる方とは逆の手で実弥ちゃんの胸板を殴っていた。
こんな時に、冗談が過ぎるでしょ。

「粂野先生がいるんだよ?馬鹿なこと言わないで」

「アイツなら明日の昼まで起きねェよ。試してみるかァ?」

「ちょっと、聞こえたらどうするの」

まるで学校の図書館にいる時のように、声を潜める。そんなわたしの気持ちなんかおかまいなしに、実弥ちゃんはニヤリと、意地悪な笑みを浮かべていた。
まずい、この笑みはいたずらっ子のそれだ。良くない気がする。逃げなければ。そう判断する前に、実弥ちゃんの長い睫毛が静かに揺れて、お互いの身体が近付いて、唇が重なる。

「──っ!」

そのまま舌が侵入してきたので、胸板に置かれたままの手に思い切り力を入れて突き放して、目の前の不謹慎な男を睨みつける。何考えてるのこの人。
わたしの凄みに怯むことはなく、楽しそうに笑う実弥ちゃん。そんな彼に、「ホントにやめて」と、強めの口調で牽制を入れた。

「チッ。仕方ねぇ、今度なァ」

「今度もへったくれもありません。永遠にしないでください」


キミが悪いよ悪いけど


そんな、安っぽいビデオじゃあるまいし
誰が喜ぶんだっつーの、こんなシチュエーション!
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夜の片隅で新発見(キ学:数学教師 シリーズもの)

人生、良くも悪くもタイミングで色々決まることだってあったりして
その分岐点から新しく何かを見つけることだってある、らしい。


「……」

一人暮らしの同僚の家、のとある閉鎖空間。
わたしはひとり、顔を覆って項垂れていた。
最悪。無意識に出た言葉。まさかこのタイミングで。
ただ、ここにいても状況が打破出来ないのも知っている。どうにもならないことを嘆いていてもどうにもならない、のだ。
とりあえず今ここで出来ることをして、一息つく。やることは決まっている。

扉を開けて、真っ直ぐ居間に向かう。革張りのソファーに、同僚で同級生の実弥ちゃん(ちゃん付けしているけど男性)がビールを飲みながら寛いでいたけれど、出てきたわたしの姿を見て目を丸くする。

「……は?」

何してんのお前、と声をかけられた。
実弥ちゃんが何を言うかは分かってる。分かってるけど、今は細かに語ってる余裕は無い。

「ちょっとコンビニ行ってくる」

「は?え?何しに」

「買い物」

自分のカバンの中から財布を取り出す。顔を上げると同時に実弥ちゃんに手首を握られ、静止を求められた。

「買い物ってお前、何買いに行くんだよ」

「買い物は買い物」

「答えになってねェ」

そりゃそうだと心の中で思いつつ、彼に買いに行きたい物を口にするのを躊躇う理由だってあるわけで。
何をどう言おうかと迷っていると、実弥ちゃんが先に口を開いた。

「……欲しい物なら俺が買いに行くから、風呂入ってろ」

「いや……それは、嬉しいんだけど」

別にやましいことではないし、仕方のないことなのだけれど、どうしても言い難い。
恥ずかしいとか、後ろめたいとか、そういうものでもないのだけれど、やっぱり憚られてしまう。それはきっと、実弥ちゃんじゃなくてもそうだ。
言えなくて、しどろもどろに言葉を紡ぐ。

「……多分、実弥ちゃんに迷惑かけちゃうから」

「はァ?お前、何言って、……」

言葉が途切れる。実弥ちゃんに目線を向けると、気付いてしまって困ったような、そんな顔をしていた。空気を変えようと明るく「すぐ帰ってくるから!」と声をかけるけど、実弥ちゃんの表情は変わらなかった。何やってんだと俯く。

「……気遣わせちゃって、ごめん」

「いや、んなの気にすんなァ。それより大丈夫か?」

その大丈夫、には様々な意味が含まれているのだろう。大丈夫と一言伝え、小走りで玄関に向かった。

---

予想外の出費にショックを受けている場合じゃない。まさか、このタイミングで来るとは思わなかった。きちんとアプリで管理しているのと、周期が乱れたことがなかったので、完全に油断してた。
コンビニの帰り道、曇り空を見上げながら考える。多分遅寝早起きが続いたり、補習と部活の引率でろくに土日休めなかったり、と生活リズムが乱れていたのが原因だろう。
下腹部が重い。いつものことで、もう何年も付き合っているはずなのに、きっとこれからも慣れないんだろうなあ。自然とため息が出た。
実弥ちゃんの家に着く。中に入ると、実弥ちゃんが歯磨きしながらお湯を沸かしていた。

「悪ィ、紅茶しかねェわ」

「あ、ありがとう」

「風呂入るか?」

「ううん、シャワーだけ借りてもいい?」

おう。家主の許可が降りたので、遠慮なくお風呂場に向かう。用意してもらったお湯の湯気を肌に感じて、申し訳なくなった。
簡単に湯浴みする。お風呂から上がると、裏起毛のスウェットが上下用意されていた。遠慮なく身に纏う。
身支度を済ませて居間に戻る。実弥ちゃんにお礼の言葉を言うと、本日2回目の「大丈夫か?」が返ってきた。過ぎた思いやりに、つい、 吹き出してしまう。

「そんなに心配しなくても大丈夫」

「いやまあ、そう……だよな」

そうなんだけどよ、と口ごもる実弥ちゃん。

「うちの女連中、結構重い方らしいから。どうしても気にするんだよ。気にするっつーか、気になる」

「え、そうなの?」

「そうらしい。俺はよく分かんねェけど」

それはそう。
ソファーに座り、用意されていた紅茶を一口啜る。林檎のほのかな香りが鼻をくすぐった。慣れない心配りに自然と笑みがこぼれる。と同時に、生まれる罪悪感。

「ホントごめん」

「何が?」

「今日出来ないじゃん。なのに泊めてもらっちゃって」

「……そんなの、気にすんな」

気にすんな。と言われても、気にしないことなんて出来るわけない。わたし達は友達以上恋人未満で、週末だけ身体で繋がるだけ。そういう関係なので、何もない夜を知らない。そんな夜があっていいのだろうか。せめて手か口で、と提案したけどすぐに却下された。

「しなくていい」

「でも、」

「いいから、もう寝るぞ」

ぐいっと手を引っ張られ、そのまま寝室に誘導され、あれよあれよといううちにベッドに寝かされ、布団を掛けられた。

「いやいやいや、展開が早くない!?」

「別に早くねェだろォ。日跨いでるし」

居間の電気を消してきた実弥ちゃんが、するりとベッドに潜り込んでくる。

「ほんとにいいの?」

「いいって言ってんだろうが」

「……ほんとに?」

「嘘ついてどうすんだ」

同じ質問の繰り返しに呆れたように言うと実弥ちゃんはわたしの身体を強引に逆方向に向かせる。何事かと思った時、わたしの横腹を実弥ちゃんの大きな手がすり抜けていって、そのまま下腹部に優しくあてがわれた。

「暖めた方が楽になるんだっけか」

耳元でわたしの身体を労る低い声。服越しに伝わる体温がじわじわと広がって心地よい。鈍い痛みが不思議と和らいでいく気がする。

「そう言うよね。夏場だけどカイロ持ってる子とかいたなあ」

「大変だな」

「わたしは軽い方だと思うけど。実弥ちゃんの家族は重いんだっけ」

「あー。おふくろも妹も、1日目?は仕事休んだり学校遅刻して行ったりしてるな。ずっと横になってるわァ」

「そうなんだ……」

柔らかな温もりが身体中に巡り、眠気を誘う。 スイッチが切れる前に、もう一度謝った。

「なんで謝るんだよ」

「だって、したかったでしょ」

「そりゃしたかったけどよ、仕方ねェだろ。いつ来るかなんて分かんねェもん」

「体調管理も出来ないなんて未熟……」

「だーから、気にすんなって」

辟易した言葉とは裏腹に肩まで布団を掛けられ、冷えないようにとくっつかれる。そこに強引さはなく、壊れ物を扱うような丁寧さを感じて、なんだかくすぐったい。

「……実弥ちゃんの手、あったかい」

「そりゃよかった」

「なんか、眠たくなってきた」

「ん、もう寝ろ」

「ぅん……」

意識を手放すまで早かった。実弥ちゃんの体温は相変わらず優しくて、一人で過ごす夜とは違って。
頑張って、ありがとうと呟いた。

***

女が寝静まったのを確認して、トイレに駆け込む。それから適当に半勃ちのモノを扱いて、溜まっていた欲を吐き出した。
長い溜息をつきながら、振り返る。しなくていい。そう言ったのは事実で、でもしたかった。そんな逃れられない男の性もあって。あの場でよく強引に押し倒して事を進めなかったとまずは自分を褒めるべきか。
アイツとは中学の時の同級生で、今同じ職場で働いていて、お互い固定の相手がいないから週末だけ酒飲んでする、それだけの関係で。それだけだから、何も無い夜があるなんて考えたこともなかった。

「……」

水を流す。ため息が一緒に吸い込まれて消えた。クソ、せめて手か口で抜いてもらえればよかったと一瞬思って、違うそうじゃないと脳内で前言撤回した。相手が大変な時に何考えてんだ、俺。なんとも浅ましい思考に嫌気がさす。きっと、不埒な関係でもそんな夜があってもいいだろう。今回は不可抗力で、どうにもならなかったことなんだから。
そっと寝室に戻り、ベッドを揺らさないように元いた位置に身体を収める。再び下腹部に手を添え密着すると、女の髪から俺が使っているものじゃない洗髪剤の香りがして、息が詰まった。

「(ぅ、ま、マジか)」

少しだけ顔を背け、容赦なく襲ってくる情欲になんとか耐える。このままじゃまた暴走しそうなので、目を閉じて自分が担当してる科目のことを考えることにした。来週から理系クラスの授業でちょっとややこしい単元に入ることを思い出す。どう授業を進めていこうか、そんなことを粛々と考えてるうちに、いつの間にか自分の高校時代を振り返っていた。
理数科目が得意で、高3のクラス選択でも理系クラス一択だった。そこで教えを受けた数学の先生が(いい意味で)頭がおかしくて、それでもすごく分かりやすい授業をしてくれた。数学の世界はいつだってシンプルで美しい、がその先生の口癖で、そのくせテストは全然シンプルでも美しくもなく、生徒からの評判は最悪だった。
その先生から「不死川。お前、学校の先生になれ」って言われたのが、今の俺に繋がってる。当時は先公なんて誰がなるかと返したけど、教育の世界に身を投じて、肌に合ってるなとしみじみ感じる毎日だ。充実してる、と言ってもいいかもしれない。
……そう言えば中学の時、コイツの友達から数学教えてと言われたことがあるような。詳細は忘れたけど。コイツの友達より、俺はコイツのことが好きだった。好きで好きで堪らなかった。その気持ちを打ち明けることはなかったけど。まさか同じ職場になるなんて。そう言う意味で高校の先生に感謝だ。
ただ、交わってる時に膨れ上がってくるこの気持ちが好き、かどうかは分からなかった。付き合う?今更?仮に付き合って、今の適当な距離が壊れるのは嫌だった。家族との時間が減るかもしれない。
お互いに都合がいいじゃんと利用され利用して始まった俺達。いつかこの関係が終わる時が来るとして、その時俺とコイツはどんな選択をするのだろう。

「……」

目を開ける。夜の空気に、無防備に晒されているうなじが視界に入ったので、そっと唇を当ててみる。当たり前だが、反応はない。
寝てしまおう。すぱっと割り切ることにした。つーかコイツが起きたとしてどうせ何も出来ねぇし。
もう一度目を閉じた、その時。女ががばりと起き上がる気配がして、反射的に目を開けた。

「……どうした?」

起こしてしまったか?と焦ったが、女は一言「トイレ」とだけ言い、ベッドを降りる。ペタペタと歩く音を聞きながら、ほっと胸をなでおろした。
ややあって女が帰ってくる。ベッドに手を付き、四つん這いになりながら元の位置につくと、乱暴にベッドに倒れ込んだ。

「大丈夫か?」

うーん、と唸り声にも似た返事。女の下でくちゃくちゃになっている布団を引っ張り出しながら女に掛けてやる。

「腹痛ェか?」

「いたい……」

「……薬飲んだ方がいいんじゃねェの」

「今日来ると思わなくて持ってきてないんだよね……」

体を丸めて痛みに耐える女。生理痛に効くかどうかは分からねェが、頭痛薬ならあった気がする。テーブルランプを点けて、ベッドから滑り降りた。

「実弥ちゃん?」

怪訝そうに俺を見つめる女に、頭痛薬があるからちょっと見てくると伝える。女の返事を待たずに居間へ向かい、薬が入ってる棚を開け、頭痛薬の箱を寝室に持って来て明かりで効能を確認する。頭痛、解熱の隣に月経痛と書いてあったので、薬を箱から取り出した。

「この薬生理痛にも効くらしいぞ」

「えっ、ホント?」

女は怠そうに上体を起こし、薬を受け取ると開封し、そのまま口に放り投げた。
……え?

「おい、水!」

「あっ」

何やってんだバカ。慌てて台所から水を汲んでくる。水と一緒に薬を飲んだ女は、ごめんと苦笑いした。

「今日、実弥ちゃんに迷惑かけてばっかり」

「気にすんな」

このやり取りも、もう何回目だろう。目を伏せる女を見て、そう言えばこんな風に萎れるコイツを見るのは初めてかもしれない。よっぽど負い目を感じているのか。だったら気にすんな、より、冗談交じりの言葉の方が気が紛れるかもしれないと思って、口を開く。

「……今度、思いっきりご奉仕してもらおうかねェ」

その言葉に、女はハッとした表情になる。それから「じゃあ実弥ちゃんのためにメイド服買って来なきゃね」と、口元に笑みを浮かべて言った。


夜の片隅で新発見


「ご奉仕でメイド服って安直過ぎねェ?」

「そう?ナース服がいいとか、リクエストがあれば合わせるけど」

「……考えとくわァ」
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流行り廃りを見逃し三振(キ学:数学教師 シリーズもの)

そういう服がある、ということはなんとなく知っていて。なんで知ってるのかと言われたら、大学時代の時に付き合ってた女がSNSの画面をを俺に見せながら「これ可愛くない?」なんて言ってきたからだったような覚えがある。
ただ女が着るようなそれ、興味が沸くはずもなくその時は軽くスルーしたんだったか。その後クリスマス近くに「あの服が欲しい」とねだられて、一緒に店に行って買った覚えもある。見た目は可愛い癖に値段はちっとも可愛くなかったのも覚えてる。
何がいいんだかこんなもん、もっと安くて似てるような服なんざ沢山あるだろと彼女に言ったら急に不機嫌になって、不死川君分かってないよね、みたいなことを言われた、ような。ここら辺は曖昧だ。多分めんどくせぇなとか思ったんだろう。その後がっつりやることやったのは覚えてるのに。

それから数年経って社会人になった今も、なんであの服が女連中にウケるのか、分からなかった。


次の授業の教室に向かっている時だった。
スマホを輪の中心にきゃあきゃあと騒ぐ女子生徒達へ声掛けをする。

「おい、そろそろチャイム鳴るぞォ」

「あっ、さねみん」

「ちょっとコレ見てー!」

イヤだという前に、グイッと手を引っ張られて強引に輪の中に入れられる。
引っ張るなァ!とキレ気味に生徒を戒めた。これでセクハラで訴えられても困る。そんな俺の心配を他所に、生徒達はお構いなしにスマホの画面を俺に見せてきた。
画面に写ってるのは、見覚えのある、モコモコとしたパジャマを着ている女。

「コレ可愛くない!?秋の新作なんだよね」

「この子、彼氏にクリプレで買ってもらう予定なんだってー」

……すごくどうでもいい情報が俺を襲う。秋の新作だろうが、クリスマスプレゼントにもらう予定だろうが、マジでどうでもいい。
もう一度画面を見る。パステルカラー?アースカラーって言うんだったか、今。二つの違いがよく分からねぇが、とにかく灰色のソファーの上で、女が気だるそうなポーズをとっている。
女を包むモコモコのパジャマにプリントされているのは、とあるゲームのキャラクターだった。コラボしてんのか?女が好むパジャマのブランドと、男が遊ぶゲームとの謎コラボ。なんでこの二つを掛け合わせたんだ?

「お前、このゲーム遊んだことあるのかよ」

スマホを持ってる女子生徒に尋ねる。

「え?知らない。これゲームのキャラクターなの?」

予想外の返事だった。このゲームのキャラクターを知ってるから買うんじゃねぇのか。
遊んだことがあるゲームのキャラクターだから俺は当然知ってるし、そのゲーム会社を代表するマスコットキャラクターと言ってもいいような存在なのに、知らねぇのかよ。

と思ったが、ゲームをしない奴にとっては知らなくても無理ねぇか、と思考が一旦落ち着いた。

「このキャラ知らねぇなら、別にこのパジャマじゃなくてもいいだろォ」

俺の言葉に、女子生徒が一斉に沸いた。さねみん分かってない、だの、だからモテないんだよ、だの、女心を学んだ方がいいよ、だの、好き勝手まくし立てられる。

「うるせぇな!ギャーギャー騒ぐんじゃねェ!」

さねみんのほうがうるさいしデリカシーないよ、と言われ、ブチ切れそうになる。
余計なお世話だ。沸騰しそうな脳みそを落ち着けるために、大きく息を吸う。
すると、輪にいた別の女子生徒が俺に「さねみん」と、話しかけてきた。

「これって期間限定のデザインなのー。秋冬限定販売なんだよね。期間限定って言われたら欲しくならない?」

「……期間限定?」

そんなことも知らないの。からかわれるように言われて、口角が引き攣る。
知るわけねぇだろ、そんなもん。

「期間限定のものって思い出になるよねー。あ、この時に買ってもらったんだ、みたいな」

「それな!懐かしーってなるよね」

「あたし中学の時に付き合ってた人と買った指輪、お祭りの安い指輪だったわー」

「500円だけど特別なやつー!」

分かる分かると盛り上がり始める女子生徒達。
祭りが夏の期間限定イベントだとして、そこで買ったものが思い出、と言われると、『特別』になるのかもしれない。

「……まァ、確かに」

俺の言葉に、わっと群がる女子生徒達。寄るんじゃねェ!と一喝した。

「さねみん覚えときな。彼女が出来たら『期間限定のもの』だよ」

チャイムが廊下に鳴り響く。期間限定は分かったから早く教室戻れと生徒達を促したあとで、自分でも吃驚するくらい大きなため息が出た。歳があまり変わらないはずなのに、生徒と話す時はすごく疲れる。熱量が段違いと言うか。
それはそれとして、あのパジャマには全然興味はねぇが(そもそも基本半裸で過ごすし、冬は寒けりゃスウェットを着るし)パジャマにプリントされていたゲームのキャラクターがどうも気になる。別にアホほど遊んだゲーム、とか、キャラクターに思い入れがある、とかではないのだが。
小さい頃、弟の玄弥と一緒に遊んだ記憶が蘇って、懐かしさに胸が震えて、なんだか泣きそうになる。最近勉強を頑張ってる弟にご褒美として買ってやるのも、悪くはないかもしれない。

スマホを開いて、インターネットで検索しようとする。が、いかんせんあのパジャマのブランド名が分からなくて狼狽える。あの、ふわふわモコモコのパジャマで、ゲームのキャラクターとコラボしてる、女子ウケがいい、プレゼントで贈られることが多い……そんなことを考えながら、インターネットの検索窓にそれっぽい単語を打ち込んで、検索ボタンを押す。よくもまあ、「パジャマ ふわふわ」で出てくるよなァ。とりあえずサイトはあとで見ることにして、今は授業に集中だ。

***

「……」

その日の仕事帰りに、例のパジャマが売ってる店舗へと足を運んでみたが、店舗前で立ち尽くしてしまった。
いや、こんな可愛らしい店構えだったか?数年前の記憶を掘り返すが、やっぱり思い出せない。
淡い色のトリコロールで彩られた店の看板、店前に飾られたマネキン、が着ているふわふわモコモコのパジャマ。隣に立ってる小さいマネキンもふわふわモコモコのパジャマを着ているが、果たして需要があるのか?少なくとも俺の兄弟は着ねぇだろう。女連中も上の寿美は着るかもしれねぇが、貞子は女の子向けのシリーズ物の方が良いって言うのが想像出来る。近付いてみると、洒落たプライスカードが視界に入った。相変わらず可愛くねぇ値段だな。
店内に目をやると、店員っぽい人と目が合った。いらっしゃいませと声をかけられ、反射的に頭を下げた。ええいままよと店内に入る。なんかいい香りしねぇか?と思ったら入口付近にいくつかのアロマキャンドルが置いてあった。こんなのも売ってるのかと関心しながら値段を見て、そっと戻す。金がないわけではないのだが、キャンドルやバスボムなど消えてなくなってしまうものに対して金をかけることがどうしても無意味に思えてしまうのだ。ただ、このブランドが好きで、いい香りに包まれる生活を送りたいと思っている人にとっては惜しまず買われていく商品なんだろう。
開けた場所に、キャンディーの屋台みたいな外国風のワゴンが花やらフラッグガーランドで飾り付けられている。ワゴン上にはハンドクリーム、練り香水、ふわふわモコモコのレッグウォーマー、バニティポーチやら母子手帳ケースなんかが置かれていて、どれも可愛いらしい。

「何かお探しですか?」

話しかけられて、ドキリとする。声がした方に顔を向けると、さっき目が合った店員が俺を見上げてニコニコとしていた。

「あー。えっと、最近なんか、SNSで見たんですけど……」

無下にするのも申し訳なく思ったので、ゲームとコラボしてるパジャマを探しに来たんですけどと伝える。店員は「あー!あれですね!」と嬉しそうに声を弾ませ、人気なんですよー、とか、今日もお兄さんみたいな男性の方が買われて、とか、色々話してくれた。どうやら意外と野郎も来るらしい。よく見たら店内には男の買い物客もちらほらいて、俺だけじゃなかったのかと安堵した。
その店員に、パジャマがあるところに案内される。どうやらコラボと言うこともあり、店の一角にコーナーが展開されているらしい。ふわふわモコモコのパジャマの他にも、ブランケットや腹巻があって、どれもゲームのキャラクターがプリントされていた。
お目当てのパジャマを手に取る。触れて、驚いた。手触りが物凄くふわふわで、滑らかなモコモコが優しく掌を包む。小学生みてぇな感想だが、あの時あの女に買ってやったやつもこんな感じだったか?と記憶の海を潜ってみる。当然、思い出せるはずもなかった。
タグを見る。フリーと書いてあって、手が止まる。フリーサイズって困るんだよな。ハンガーラックから取り出し、自分に当ててみる。小さくはねぇが、ゆとりがあるわけでもない。ただ、玄弥だったら着れそうだ。アイツ、俺より細身だし。大丈夫だろ。
隣にいた店員に「これ買います」と告げると、ご自宅用ですか?と聞かれた。プレゼントではないので頷く。そのままレジに案内された。

***

買い物を終えたその足で、実家に向かう。
ただいまと玄関の扉を開けると、お袋とお袋に抱っこされてる貞子が出迎えてくれた。

「あれ!?実弥、連絡もなしにどうしたの」

驚いた表情で駆けてくるお袋。靴を揃えて立ち上がると、貞子が俺に抱っこをねだってきた。お姫様のご希望通りに抱っこしてやる。

「いや、買い物してきたから」

「なんの買い物?」

「衣替えの季節だろ。チビ達の新しいパジャマ買ってきた」

お袋に買い物袋を手渡す。中身を見たお袋は「全員分?」と申し訳なさそうに尋ねる。流石に1人にだけ、となると、他の奴らが可哀想なので、あの後急いでショッピングセンターに行って買ってきたのだった。

「寿美のはねぇけど。アイツ最近ワガママだからなァ。実兄センスねぇとか文句たれるし」

俺の一言に、お袋がそうねと笑う。一番上の長女は、反抗期の沼に片足を突っ込み始めていた。

「さねに、てこのは?」

どこで覚えてきたのか、上目遣いで俺を見つめる貞子。ちゃんとあるぞと言うと、嬉しそうに頬を胸に寄せてきた。

「ご飯食べてく?」

「いや、着替え持ってきてねぇし、今日は帰るわ。玄弥は?」

「自分の部屋におるよ」

了解。貞子を抱えたまま、二階の階段を上がる。下から就也とことのはしゃぐ声が聞こえてきて、思わず顔がほころんだ。野郎は単純でいいよな。
玄弥の部屋の扉を叩く。誰?と中から声がしたので、兄ちゃんだと返すと、バタバタと慌ただしい音がして、ガチャと扉が開いた。

「兄貴!?今日帰ってくるなんて一言も、」

「チビ達の新しいパジャマ買ってきただけだ。今日は帰る」

部屋を覗き見る。どうやら音楽を聴きながら勉強していたらしい。テーブルの上に英語の教科書と、電子辞書と、ノートが散らばっていた。

「テメェ、数学の宿題きちんとやってんだろうなァ」

俺より若干身長が高い弟に目線をやる。俺はこいつの科目担当ではないので、こいつが今どんな風に数学を取り組んでるのか、全部把握しているわけではなかった。

「やってるよ。あ、でも、今やってるところがちょっと怪しいかも……」

「今やってるところっつーと、二次関数か?」

「うん。グラフの最大値最小値の場合分けなんだけど。たまに範囲を入れ忘れちゃうんだよね。ただ、全然分からないって訳じゃないから、今度帰ってきた時に教えてよ」

「おう」

俺と玄弥の話してる内容が完全に理解できず、置いてけぼりの貞子が「なんのはなし!」と、頬を膨らませて抗議する。それを見た玄弥が苦笑いしながら「貞子も大きくなったら分かるよ」なんて優しく貞子を宥めた。

「げんにいきらいっ」

ただ、その回答が納得出来なかったのか、貞子は玄弥にあっかんべーをして、俺に力一杯しがみついてきた。自分の分からない話をされると急に不機嫌になるのは通常運転だ。玄弥は困ったように笑いながら肩を竦める。

「妹に嫌われちまった可哀想な玄弥君に兄ちゃんからのプレゼントだァ」

「えっ」

ショッパーを差し出す。まさか俺がこのブランドのパジャマを買ってくるとは思ってなかったらしく、口をぱくぱくさせている。

「え?えっ?なんで?」

疑問符ばかりの弟に、いいから見てみろと袋の中身を見るように指示する。言われた通り袋からパジャマを取り出し、広げた玄弥の瞳がキラキラ輝いていくのが分かった。

「うわ!このキャラクター懐かしっ!あのゲームのでしょ?」

「覚えてたんかよォ、てっきり忘れてるもんだと」

「そりゃ覚えてるよ。朝早く、親父とお袋が起きる前にこっそりやってたよね」

「あったな、そんなこと」

それは、俺と玄弥だけの秘密だった。
ゲームの続きが気になって、二人が起きる前に目覚ましをセットして
電気もつけずに暗がりの中、二人でゲームを楽しんだっけ。

「……って、あれ?」

そんな懐かしんでる俺の耳に、疑問符ひとつ。玄弥はショッパーをひっくり返して、「これだけ?」と不思議そうに俺を見つめる。これだけってなんだ、これだけって。
ワガママ言うなと告げると、玄弥は慌てて口を開いた。

「いやそうじゃなくて。兄貴、上だけしか買ってきてないって」

「……あ?」

玄弥の持ってるパジャマを見て、次に玄弥の顔を見て、ようやくコイツが何を言ってるか分かった。
上だけ、しか買ってきていないのだ。
パジャマなのになんで上だけしか買ってきてないんだ、俺。普通下も買うだろ。なんで上だけ買ったんだ?
自分のポンコツさに思わず頭を抱える。そんな俺への笑い声が降ってきた。

「流石にこれ一枚じゃ下半身丸出しじゃん」

そんなの、言われなくても分かる。恥ずかしさで顔に熱が集まった。
明日下も買ってくると鼻息荒く言った兄に、弟は眉を下げていやいいよと笑う。

「だったら新しいスウェット買って欲しいな。今着てるやつ、穴空いちゃって」

言いながら玄弥はパジャマをささっと畳み、俺に渡してきた。

「兄貴、いつも寝る時薄着だからこれ着たら?これから寒くなるし」

「いやでも、これはお前に」

買ってきたやつだと言おうとした口を、これまで大人しくしていた貞子のワガママで遮られた。

「さねにい、だっこ!」

……今まさにしてるんだけどな。とは言わず、妹を担ぎ直す。貞子の下にことと弘が生まれてから、すごく俺に甘えるようになってきたような気がする。お袋が幼い二人にかかりっきりだから仕方がないのだが、甘やかしすぎも良くないよなァ。そっとため息をついた。どうしたもんかね。なんて、今考えてもどうにもならねぇんだけど。

「悪ィ、今度埋め合わせする」

玄弥への挨拶もそこそこに、部屋を後にする。シワになりそうなくらい俺の服を掴んで離さない貞子。今日はこのまま帰る予定だったが、この状態だと貞子が寝るまで帰してくれなさそうだ。時計を確認する。終電には間に合いそうなので、リビングへ向かった。

***

そんな訳で弟にあげるはずだったパジャマを家に持って帰ってきてしまったのだが、あんなふわふわモコモコのパジャマを二十歳超えた厳つい男が着る訳もなく、しばらくタンスで眠っていた。
それから数ヶ月後、アイツが週末泊まりに来た時に、何のきっかけもなく、ふと思い出して。

「おい」

「ん?」

風呂上がり、バスタオルを巻いた女が俺の元へやってくる。週末飲んだくれた後俺の家に来るのが恒例となっていて、今日も例に漏れず終電がなくなるギリギリまで飲んできたところだった。
タンスから例のモコモコパジャマを渡すと、女は目を見開いて俺を見つめてきた。

「……こんな趣味あったんだ」

そんなことを言ってきたので、んな訳あるかと突っ込む。寝る時、俺のスウェットだったり、干してるTシャツを勝手に着たりしている女。まさかこんなファンシーな物が手渡されると思っていなかったのだろう。

「玄弥へのプレゼントだったんだけどよォ、いらねぇって言われて持って帰ってきた」

「年頃の男の子に着せるには可愛すぎるでしょ」

センスなさすぎ、とかなんとか言いながら女は楽しそうにパジャマに腕を通し、頭を通す。フリーサイズのそれ、俺よりひと回りもふた回りも小さい女が着ると、ワンピースみたいな形になった。

……いや、マジか。そう来るか。

「ね、どう?似合う?かわいい?」

「……」

その場で一回転し、謎のポーズを取る女。
一方で見えそうで見えない絶対領域と、絶妙な萌え袖に釘付けになる俺。
クソ、反則だろ、この服。すげぇ可愛い。そう思うのは、昔好きだった女だからだろうか。それともこの服のせいなのか。
意思に反してぐぐっと沸き上がる、安っぽい性衝動。早まる心臓の鼓動が耳に響く。
あー、可愛い。唇から転び出そうになるのをグッと堪えた。

「あ!これ、あのゲームのキャラクターじゃん。懐かしーっ。お兄ちゃんがよくやってたなぁ。実弥ちゃんもやってたの?」

「……」

「……ね、実弥ちゃ、」


流行り廃りを見逃し三振


俺の顔を覗き込む女の手首を無言で掴んで、慌てる女をそのままベッドに連れていった。
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