いつものように夕食が終わった後、決まった時間に紅茶を入れるようになったのはいつのことだっただろう。
マラリヤは滅多に変化しない表情を緩めながら茶葉がゆっくりと沈んでいく様子を眺めていた。始まりはたったひとつの言葉から。

『ねえマラリヤ。勉強教えてほしいんだけどダメかな?』

そう、きっかけはこの一言だけだった。あの時、マラリヤは素直に声の主―ルキアを招き入れて勉強を教えていった。
普段から付き合いの浅いマラリヤならそこで終わったはずだった。勉強が終わった後に差し出した紅茶にルキアが『美味しい!』と言わなければ。
それから毎日のようにルキアはやって来た。勉強を教えてもらいにきたり、ただお話しがしたいと手土産にお菓子を持ってきたりと。
ルキアが訪ねてくるのは嫌じゃなかった。だからこそ、こうしてルキアがやって来るであろう時間に合わせて、マラリヤは紅茶を淹れていた。
普段は時間にルーズなルキアではあったが、マラリヤに会いに来る時は寸分違わずに時間を合わせてくる。
この待っている時間がマラリヤにとって至福な時間であった。今日もやって来るであろうとマラリヤは茶葉が沈んでいく様を眺めていく。

「…遅いわね」

しかし、時間を過ぎてもルキアは一向に姿を現さない。待てども待てども姿を見せないことに不安は募るばかりだ。
今までルキアはどんなことがあっても姿を現さなかったことはなかった。マラリヤの中で考えが悪い方へ傾いていく。
ルキアは大丈夫なのか、ルキアに嫌われてしまったのか、考え挙げればキリがない。
不安が渦巻いていく中で、マラリヤは冷めていく紅茶をじっと見つめていた。





それから数時間、なんとも言えないどす黒い感情の元、マラリヤはただひたすらに待ち続けた。
ルキアがやって来ない。それだけのことなのにマラリヤの身体は恐怖で震えていた。もはやマラリヤの感情の奥底は言葉では表現出来ないほど、深く混沌としている。
そして、ただ一人の人間にここまで揺さぶられていることに戸惑っていた。こんな感情は初めてのことで、マラリヤはどうすればいいのか分からない。
時計を見ればもうすぐ眠りにつく時間を指し示している。マラリヤは残念そうに一息吐いてベッドに潜り込もうと立ち上がった。

「ごめん!マラリヤ、待った?」

ちょうどその時、勢いよく開けられたドアと共にルキアが姿を現した。ルキアはところどころで息切れをしてきて、全力でこちらに向かってきたことを伺わせる。
マラリヤは思わず振り返り、ルキアの下へ歩み寄っていく。ルキアの声が聞こえた。それだけのことなのに不思議とさっきまでのどす黒い感情が和らいでいく。

「…遅かったわね」
「ごめん。これを作るのに手間取っちゃった」

そう言って差し出してきたものに、マラリヤはぱちくりと瞳を瞬かせる。赤と紫のリボンで可愛らしくラッピングされた包みがひとつ、精一杯の笑顔でルキアは差し出してきた。

「…これは?」
「ほら、今日はバレンタインでしょ?マラリヤに感謝の気持ちを伝えたくて作ってみたんだ」

…嫌われてなかった。

ただそれだけの事実であったが、マラリヤの凍った心を溶かすには十分であった。
張りつめた緊張の糸が弛んだのか、そのままマラリヤは座り込んでしまう。気付けば目に涙を浮かべ、小さな嗚咽と共に泣き出していた。

「マ、マラリヤ!?どうしたの!?ごめん、チョコレート嫌いだった?」

慌ててその場を取り繕うとするルキアの袖を握り締めて、マラリヤはふるふると首を横に振る。

「…いいえ。ルキアに嫌われてなくて嬉しかったの」

俯いたまま、聞こえるか聞こえないか小さな声でマラリヤは呟いている。見たことのないマラリヤの弱々しさにルキアは思わず息を飲み込んでしまう。
あのマラリヤが自分のためにここまでなってしまうとは思いもよらなかった。おそらく、待っていた時間は恐怖以外の何者でもなかっただろう。
未だに震えているマラリヤにルキアはそっと腰を下ろすと、ふわっと優しく抱き締めていた。

「そんなことないよ。わたしはマラリヤのことが大好きなんだから。ごめんね、マラリヤに寂しい想いをさせちゃって」

ルキアの声を間近で聞いて、マラリヤはついに声を上げて泣き出してしまった。ルキアはマラリヤをしっかりと受け止めて、落ち着かせるようによしよしと頭を撫でていく。

「落ち着いた?」
「…ええ、ごめんなさい。もう大丈夫よ」

ようやく嗚咽も止まり、マラリヤはルキアからゆっくりと離れていく。ルキアの顔を見れば、眩しいくらいの笑顔を向けられて、マラリヤは顔を赤らめていた。
そんなマラリヤに満足して、ルキアはもう一度マラリヤを抱き締める。マラリヤの感触はとても心地よくて、いつまでもこうしていたかった。
しかし、時計はすでに消灯を迎える時間を指していて、ルキアは仕方なく立ち上がる。

「ごめん、マラリヤ。もう消灯の時間だし行かなきゃ」

そう言って部屋を出ようとしたがマラリヤはしっかりと服の袖を握り締めたまま放してくれない。マラリヤを見れば、また泣き出してしまいそうなくらい表情を歪めていた。

「マラリヤ…?」
「…嫌。ルキアと離れたくない」

まるで小さな子供が駄々をこねるようにマラリヤは手を放さない。今まで見せたことのない新たな一面にルキアはマラリヤを愛しく感じてしまう。
…このままマラリヤを残せない。
そう考えたら、ふっとルキアの力が抜けていくのを感じていた。

「わかったよ。今日はマラリヤの部屋に泊まるから。マラリヤを泣かせちゃった責任は取るからね」

ルキアはからからと笑うと、マラリヤをギュッと抱き締めていく。ルキアの「責任を取る」という台詞にマラリヤはかあっと頬を紅潮させてしまった。

「…ばか」
「いいよ。マラリヤになら『ばか』って言われても」

耳元で囁くルキアの鮮やかな切り返しに、マラリヤはますます表情を赤らめてしまう。
こうなっては勝てないと諦めたようにため息を吐いて、マラリヤは顔を背けてしまった。

「…わかったわ。責任取らせるから今日は一緒に眠って」

マラリヤからの申し出に、ルキアは身体をふるふると震わせていく。思わず歓喜の声を上げそうになってしまい、気がついたところで気恥ずかしさが襲いかかってきた。

「もちろん!マラリヤがいいならなんだってするよ!
今夜はいっぱいおしゃべりしようね!」

ごまかすように口早にまくし立てて、マラリヤの小さな手を握り締める。そのことに気付かないマラリヤではあったが、ルキアから伝わる手の温もりが心地よくて黙ることにした。

「それじゃ、そろそろ寝よっか?」
「…ええ」

二人はお互いに笑い合うと、指を絡めるように手を繋ぎ、ベッドへと向かっていく。どことなく緊張した面持ちはどこか初々しく、微笑ましいものであった。
時計はもう少しで次の日を迎える時間を指しており、二人は残されたバレンタインを精一杯楽しむためベッドに潜り込んだ。

「マラリヤ、どんなおしゃべりをする?」
「…ルキアの好きなことを教えてほしいわね」

ベッドの中でも絡めた指は離さずに、二人だけの世界でルキアとマラリヤは幸せな時間を過ごしていた。
刻が過ぎるのを忘れるほど、二人は気の済むまで語り続け、恋人のように寄り添っていく。夜も深く、まどろみを覚えるまで二人は永遠を迎えるような感覚に陥っていた。









QMA8の稼働マダー?

またまたバレンタインのお話でこっそり力を溜めさせていただきました

マラ様の新たな一面を考えるのはとても楽しかったです