ちょっと話はそれるのだけれど改元だ

当ブログのお越しの皆様。

こんばんは、管理人です。
ブログ更新が相変わらず滞っていて申し訳ありません。多分、8月が過ぎたら少しペースは回復するんじゃないかな…と思います。
やらねばならぬことが多すぎて、現状息抜きでやるのがこのブログの執筆…というような状況になってしまっており…。
まぁ、長い目で付き合ってくださいますと幸いです。
1週間に一回は最低でも更新していくと思いますので、はい…。


さて、それはそれとして。
改元ですね。それも譲位による、崩御でない改元。
さんざんニュースやテレビでも話題になっていることだと思うので詳細は省きますが、いやぁ、改元ですね。
こうして記事をしたためている30分後にはもう違う改元となっている、と思うと、年越しそば的にそばをゆで始めてしまう気持ちも分かるような気がします。

それにしても、生きているうちに数世紀ぶりの上皇誕生に立ち会う機会があるとは思ってみませんでした。
上皇といいますとついつい院政の時代が頭をよぎりますが、今は関係のない話ですね。
かつて改元のおりに和歌集が作られたように、平成の終わりには平成の歌をまとめた歌合戦が開催されているとは、と比較して語られているかたもいました。

そう思うと、人間変わっているようで、変わっていない部分があるのかもしれないなぁ、という気分になってきますね。
あれですね、ユングのいう普遍的無意識ってやつでしょうか。
最近頭にいれた知識を使いたくなってしまうのはなんでしょうね、子どもなんですかね。

まぁ、何が言いたいかといいますと。
死ぬまでにもう一度経験するか分からない「改元」という行事に、平成の最後の日に昨日や明日と変わらぬ勉強だけで終わる日にするのはもったいないなぁ、と思い、折角なのでネットの海に瓶レターを流すがごとく、思ったことをブログにこうして雑談としてしたためさせていただいている次第です。


え?それより本編更新しろ??
すみません、明日には更新します。

元号はいらないんじゃないか、という話もありますね。
まぁ、一理はあるのでしょう。別に何か役に立つのか何かに必須なのかといいますと判子ぐらい微妙なところですしね。
ただ、伝統と歴史というものは利便性だけで消してしまうのは惜しいものではあるのではないかなぁ、と個人的には思う次第です。
悪しき伝統は変えてしかるべきとも思いますけどもね。こう、合理性だけで決めちゃうのは寂しいよね、というか。

新元号は「令和」ですね。
そして元号にしては初の日本の古典文学からの出典。今までの中国の古典文学からの引用から進化した、ともいえるのでしょうか。
そういう意味では、元号も確かに変化を迎えているのかな、とも思えますね。

人間なにかと変化していくもの。
いかにその変化を受け止めて、ポジティブに捉えられるか、楽しめるか、それが大事なのかなぁ、なんて、思ったりもします。


では、雑談もこのあたりにして。
平成の間、本ブログをご愛読くださりありがとうございました。
令和になりましても、更新のある限り、緩く、のんびりと、お付き合いいただけますと幸いです。


それではみなさま、良い夜を。


平成31年4月30日
神田來