神域第三大戦 カオス・ジェネシス35

「…確かにタラニスは、当時の私が殺すことができた神だ。殺すことのできる存在である、それは1つの評価だ。だけど、人間が私のように勝てる相手でもないのも確かだよ。2000年付き合ったから断言するけど、どれだけ優秀な魔術師であれ人間であれ英雄であれ、タラニスより殺すのが難しい人間はいなかった」
「…ッ」
「亀の甲より年の功ってね。こればっかりは先達の言うことを信用してもらいたいんだけど、君は自分の目で見たことしか信用できないタイプかな」
ずい、と顔を覗き込み、凪子はいたずらっぽく笑みを浮かべる。だが、「でも」はもう言わせない、といわんとする圧力に、藤丸も観念したらしい。少し迷ったのちに、こくりと頷いた。
「…………分かった、貴女に任せる。でも、危機に陥ったら、すぐに行くから」
「はいはい、なら君が来ないで済むように努力しますかネ全く。ランサーの、君はそれでいいのか?」
「何、足手まといにはならないさ。カミサマなんてのの付き合いには多少覚えもある」
サーヴァントであっても、危険であることに違いはない。ヘクトールにそれでもいいのかと問えば、ヘクトールはにへらと、笑って了承を返してきた。
「それは何より。じゃ、キャスターの、その二人のお守りくれぐれも頼むよ。どうする、すぐ行くか?」
『ここから近いのか?』
「徒歩なら1時間くらい」
「…じゃあ、行こう」
藤丸の迷いのない言葉に、凪子はようやく楽しげに笑みを浮かべた。


―――――


 「ここから先が、タラニスの領域だ」
その後、すぐに泉から出立した一行は、黒々とした森の手前でその歩みを止めていた。凪子が指したタラニスの支配下だという森は、日が高くさしているにも関わらず全く中の様子が伺えないほど鬱蒼と生い茂っていた。相当大きい森であるようで、リンドウのいた森と比べ物にならない広さを有することが外からでも簡単に伺えた。
ごくり、と藤丸が唾を飲み込む音が聞こえた。魔力干渉も強いようで、少し前からカルデアとの通信は途絶していた。
凪子は藤丸とマシュを振り返った。
「森に一歩でも踏み入れればタラニスの監視下に入る。だから、3人はあっちの岩場の方で待機しててくれ」
「随分大きい森のようですが……我々の距離が1キロを超えてしまうのではないでしょうか」
「一歩入ったら、と言っただろ。あいつは来訪者を好まない、すぐに来る」
「…っ」
尋ねたマシュの顔に緊張が走る。いよいよ実感に真実味が帯びてきた、というところなのだろう。
「だから当時の私が戦ってるのも入り口近くのはずだ。入らないことは中の様子が分からないから、今いるのかいないのか、ちょっと分からんけどね」
「…」
「ほらほら、さっさと動いた動いた!!入ってなくても近くにいるんだから気配悟られる可能性あるんだから」
「…犬の視界がどれだけ正常に働くかは分からんから、こっちで何もなければ一時間で戻ってそっちに向かう。逆に、犬の視界がなくなっても一時間はこっちを待ってくれ。やばくなったら宝具で森を吹っ飛ばす。それを目安にしようぜ、マスター」
「…分かった!気を付けて!」
藤丸はヘクトールの言葉にうなずくと、マシュ、クー・フーリンを伴って二人から離れていった。
三人が視界から消えたところで、凪子はヘクトールを手招き、すっ、と背中に指を這わせた。
「なんだあ?」
「気配隠しのルーン。アイツ相手に通用するかは分からないけど、ないよりましだと思って」
「そりゃどうも。じゃ、行くかい?」
「行こうか」
ヘクトールと自分の体に気配遮断効果のあるルーンを刻み、互いに目配せをかわしたのち、二人は森の中へと足を踏み入れた。
「…ッ」
その森は、入っただけで神性を感じさせるほどに魔力濃度がひどく高かった。一歩踏み入れただけでヘクトールは顔をしかめたほどだ。凪子は自分が先導を取ることをヘクトールにジェスチャーで伝えると、犬が後ろをついてきていることを確認してから歩を進めた。
こんな森でも動物はいるのか、あるいは巡礼者のためのものか、獣道のように開けているところは避け、雑木林の間をなるべく音をたてないように進む。少し進むと、やや開けた場所に出た。
「(ここか?)」
後ろにいたヘクトールが小声で尋ねてきた。凪子は振り返り、それに頷いて返す。
その広場は、確かにかつて訪れたことのある場所だった。
「(本来ならここで戦闘してるはずだ。まぁ、森から追い出されたりとかあったから、空白の時間もあるはずだけど……。でも、なんの痕跡もないな)」
「(静かなもんだ。全く来てないとか?)」
「(…うーん………)」
本来ならば、ここでタラニスと凪子が戦っているはずだった。だが、広場はまるで綺麗なもので、例え凪子が一時的に追い出されていた時間だったと仮定したにしても、数日前まで戦闘があったとは思えないたおやかさだった。
「(…まさかそれが、)」
――それが特異点たる異常なのではないか。
そうヘクトールが言いかけた時、二人の間にいた犬を、どこからか降ってきた巨大な車輪が押し潰した。
「―――っ!!」
―車輪に気を付けろ。
リンドウの言葉が二人の頭をすばやく駆け抜け、二人は同時に後方へととびずさった。
「人ではないな。いやァ、生物でもないな。これはまた、変なものが入り込んだものだなァ」
ケタケタと笑う声が耳に届く。犬を一撃で押し潰した巨大な車輪の上に、重力を感じさせないゆったりとした動きで誰かが降り立った。

ケルトの戦士のように身体にぴったりとした黒い装束。露出した肩と腹は少しばかり浅黒くも見えるが白く、腹部に刻まれたトリケトラの赤が痛いほどに映えていた。落下に合わせて浮かび上がっていた青灰色の腰布と緑色のマントがはらりと身体のラインに沿って落ち、赤い車輪の耳飾りが愉快そうに跳ねる。
森の闇に溶ける紫色の髪が揺れ、毒々しいほどの紅が二人を視、貫く。

「タラニス…!」
凪子はいまいましげにその名を呟いた。