自分が好きなもの、楽しかったもの、良かったもの、ときめいたもの、感動したもの
全部、とは言わないけれど
あなたにもおすそ分けしたい、んだもん。

「ということで」

「どういうことだァ」

「こないだ誕生日プレゼントにって、友達がマッサージ屋さんに連れてってくれたの」

「へぇ」

「そこのマッサージ屋さんが超気持ちよくて思わず寝ちゃってさ」

「……」

「マッサージ屋さんってなんであんな眠たくなる曲がかかってたり、いい匂いのアロマが焚いてあるんだろうね?うちの近くの整体なんか、湿布のにおいしかしないのに」

「んなの、ちょっと考えりゃ分かるだろォ。力抜いてリラックスしてもらう以外に何があるってんだ」

「あっ!そっか」

「お前なァ……」

「じゃあお香とか、そういうのも必要じゃん!待ってて、すぐ買ってくる」

「はぁ!?おい!」

***

ややあって戻ってきた女の手には、いくつかのお香の箱。こんなに種類があるのかと驚いた。

「適当に持ってきたけど、好きな匂いとかある?」

「あ?なんで俺に聞くんだよ」

「いいからいいから」

「なんなんだよ、ったく……」

「はい」

「一気に近付けんなァ!香りが混ざるだろ!」

「あ、真面目に選んでくれるんだ」

「チッ。どうせ俺ん家で焚くんだろォ。だったら真面目に選ばねぇと。気に入らねぇ匂いの中で生活すんのは俺なんだぞ」

「たしかに」

「他人事みたいに言ってんじゃねェ。つーかお前が気に入ったやつでいい」

「え?いいの?」

「好きにしろォ」

「えーっ、じゃこれは?」

「……サンダルウッド?……あー、悪くねぇな」

「名前で選ぶならこれなんだけど」

「なんだよプレシャスモグラって」

「土の匂いとかするのかな?」

「んな訳ねぇだろ、貸せ」

「……どんなかんじ?」

「……花の匂い」

「土じゃないんだ」

「当たり前だろうが」

「ね、実弥ちゃんはどっちがいい?」

「……サンダルウッド」

「はーい、じゃこれもお買い上げ」

***

香り立つ煙に包まれて、わたしは今
ベッドにうつ伏せになっている、体躯のいい男を見下ろしていた。

「いやちょっと待て意味がわかんねェ」

「だから言ったじゃん、マッサージしてあげるって」

「言ってねぇわァ!」

「あーっ!お客様、大人しくうつ伏せになっててください」

「……めんどくせぇな、おい」

「ではオペを始めます」

「マッサージすんじゃなかったのかよォ」

「力加減のご希望あったら遠慮なくどうぞ」

「腕はどうすりゃいい」

「適当でいいんじゃないですか」

「お前、マジでそんなこと言われたんかァ」

「そこまで覚えてないもん」

「大丈夫かよ。骨折られたりしねぇよな」

「ご安心ください。痛かったら左手を上げてもらえれば」

「歯医者じゃねぇんだぞ」

「ではいきますよ」

「……」

「かゆいところないですか?」

「最早マッサージ屋の言うことじゃねェ」

「冗談はさておき、どう?」

「んー……もう少し力入れてもいい」

「はーい」

「……」

「……」

「……」

「あっ!」

「うわ!なんだよ、急に!」

「眠たくなる曲かけるの忘れた」

「……チッ」

「舌打ちしないでくださいね、お客様」

***

聞こえてくるのはオルゴールの音色。絶妙な力加減と静かな曲のせいで、だんだんと夢見心地になってくる。

「全身ばっきばきですよ」

「……立ち仕事もデスクワークもしてるんだから当たり前だろォ」

「よく生きてますね」

「そんなこと言うマッサージ屋がいてたまるか」

「意外と腰回りが凝ってるみたいです」

「そりゃやってる時に一生懸命腰振ってるからな」

「セクハラ発言は出禁対象になりますよ」

「もっと欲しいとか煽ってくる奴に言われたくねぇな、いてっ」

「ばか!変態、ほんと有り得ない、デリカシーゼロ」

「ホントのこと言っただけだろ」

「お客様、いい加減に静かにしてくれませんか」

「へいへい、黙りますよォ」

***

大きくて広い背中に、ぐっと力を込めて手のひらを滑らせる。
あの時どんな風にされてたっけ、思い出しながらマッサージを続けていると、規則的な呼吸音が聞こえることに気が付いた。

「……実弥ちゃん?」

「……」

「……」

「……」

「……もしかして、寝た?」

「……」

「……あらま、どうしよ」

「……」

「起こすのも可哀想だしなあ、かと言ってうつ伏せで寝るのって息苦しそうだし」

「……」

「ねえ、実弥ちゃん、起きて」

「……ふぁ、」

「うつ伏せで寝ないでください」

「ん……だったら仰向けで寝りゃいいだろォ」

「そういうことじゃなくて。肩とか脚裏とかこれからやろうと思ってたのに」

「んなの、いつでもできる」

「あーもう、勝手に仰向けにならないでよ」

「ねみぃんだよ。案外気持ちよくて」

「えっ、よかったの?ホント?」

「おー。なんか、大分解れた気がするわァ」

「ふーん」

「おら、こっち来い。もう寝るぞ」

「すみませんお客様、当店はそのようなサービスは行っておりません」

「……その設定、まだ続いてんのかよ」

「いいじゃん、なかなか楽しいし……ぅ、わっ!ちょっと、いきなり引っ張らないでよ」

「もういいだろ、今日は閉店で」

「あーあ、まだ途中だったのに」

「また今度なァ」

***

目が覚める。珍しく服を着ていて、そう言えば昨日コイツのごっこ遊びに付き合ってやったんだっけ、と、ぼんやり思い出した。

「(……そういう関係なのにやらない日もあるなんて、変だよなァ)」

「……」

「(まァ、いいか。なければないで俺は……でも、コイツはどう思ってるんだろう。やっぱやりてぇのか?)」

「……ぅ、ん?もぉ、起きたの?」

「お前よォ、これからするぞって言ったらどうする?」

「えぇ?馬鹿じゃないの、寝起きだし無理」

「……だよな」

「そうだよ」

「……」

「なに、朝から元気だから付き合えってこと?」

「や、そういうわけじゃねェ」

「……じゃあどういうこと?」

「……なんもねぇよ」

「変なの」

「マッサージの最中にぐーすか寝腐るお前よりは変じゃねェ」

「はぁ!?ぐーすかってなに!?ってか、実弥ちゃんだって寝てたくせに!」

「俺は起こされてすぐ起きたわァ。どうせ起きてくださいって言われても起きなかったんだろ、お前」

「……起きたもん」

「嘘つけ」

「スタッフへの暴言はやめてください」

「ほら見ろ、寝てんじゃねぇか」

「寝てませーんっ」

「じゃあ今度は俺がマッサージしてやるよ。寝たらお前の負けなァ」

「えっ、マッサージ出来るの!?」

「そんな大層なモンじゃねぇけど。要は筋トレの後にやるストレッチみたいなカンジでやりゃあいいんだろ、多分」

「……すごい力で引っ張られたりしないよね?」

「いいからうつ伏せになれェ」

「強引なのがまた怖いんですけど」

「……上に跨ってもいいか?」

「やりやすいようにどうぞ」

「力加減が分かんねぇから、痛かったらすぐ言えよ」

「はーい」

***

すごく、いい。
暖かく摩られて、血管がじわりと拡がる感覚。
筋トレをするから、身体の使い方とか頭に入っているのだろうか。それにしても、手つきとか、揉み方とか、力加減とか、全部がすごくちょうどよかった。

「……」

「……意外と痛くない」

「もっと強くするかァ?」

「ううん、今のままでいい」

「了解」

「……」

「……」

「あ、これ、寝るかも」

「寝たらお前の負けだぞ」

「分かってる……けど、上手なんだもん、実弥ちゃん」

「そりゃどうも」

「……んー、やばい気持ちいい」

「おい、ふくらはぎ、パンパンに張ってるじゃねぇか」

「それ、マッサージの時も同じこと言われた。多分、学校用の靴が合わなかったんだと思う」

「教師は一日中立ちっぱなしだからなァ」

「いいナースシューズ買ったんだけどね」

「力、ちょっと弱めるか?上半身と同じ力でやったら、揉み返しが来るかもしれねぇぞ」

「脚の張りが楽になるなら強めでもいい」

「いや止めといた方がいいんじゃね。一気にやるより、回数重ねて解した方がいいような気がする」

「そうかも」

「……」

「……思ったんだけど、男の人って女の人をマッサージする時、色んなところに触るじゃん?変な気持ちにならないのかな」

「さぁなァ。ただ、少なくとも俺は変な気持ちにはなってねぇぞ」

「なんで?」

「なんでって……どうやったら筋肉柔らかくなるかな、とか、どうやって解そうかな、とか、そっちに思考が向いてるからじゃねぇかな」

「なるほど」

「お前だって俺にしてくれてた時、ムラムラしてたかって言われたらどうよ」

「……たしかに、それどころじゃなかった気がする」

「性感マッサージなら話は別かもしれねぇけど」

「性感マッサージか……ねえ、今度やってみます?」

「俺は別に、お前がやってみたいって言うなら」

「じゃあえっちなDVD借りてこなきゃ。後学のために」

「見てどうするんだよォ」

「真似する!」

「……トンデモプレイの真似だけは勘弁なァ」


それからふたりは、


「(あ、この服から実弥ちゃん家で焚いたお香の匂いがする。いい匂い)」

「(10分でできる脚の揉みほぐし、か。今度アイツにやってやろう)」