天井から滴る雫の音に、思わず寛ぎの一息。
白く濁ったお湯からは、入浴剤のいい香り。
肩までお湯に浸かると、ぼんやりと暖かい。

目を閉じて、一日の疲れを癒す。
ちょうどいいお湯加減にうとうとしかけたその時だった。
ガラリと、扉が開く音。

「入るぞォ」

ビックリして、お湯が跳ねる。
目の前にいたのは、この家の主である実弥ちゃん、で。

「わっわっ、なっ、何!急に!?」

慌てるのも無理はない。
だってわたし達、どこかの恋人家族みたく
一緒にお風呂に入ることなんか、滅多にないから。
そりゃこんなに狼狽もしますよ、ええ。

そんな状況を招いた張本人
わたしの気持ちも露知らず
「追い炊きにも金がかかるんだよこの時代」なんて、きぱっと言う、から。
あくまでもわたしはお客様、なので
主の言うことには逆らえない。

椅子に座って、湯桶にお湯を溜めて
蛇口を捻って、お湯を気持ちよさそうに被る。
まるで、わたしのことなんか見えないように振る舞うから。
うるさい心臓も、段々と落ち着いてきた。

「……」

今がチャンス。
ここぞとばかりに、実弥ちゃんの身体を上から下までまじまじと見つめる。
あんまりないもんね、こんな機会。

鍛え上げられた腹筋と胸筋と太腿は
横から見ても形がはっきり分かって
光に透けてきらきらひかる白い毛は
香り立つ泡にもくもく包まれていて

目を閉じながら黙って手を動かす実弥ちゃんが
湯気のせいかな。なんだか幼い子どものように見えた。

シャワーを手に取り、生まれた泡を洗い流していく。
わたしの目線に気付いた実弥ちゃんは「ジロジロ見んな、変態」そう言って、意地悪く笑った。

「女の子が入ってるお風呂に乱入してくる方が変態だと思いますけど」

「俺が入ろうとしたらお前がいたんだろ」

「先に入っていいって言ったくせに」

「そうだっけかァ?」

言いながらスポンジを泡立てて、身体を滑らせていく。
わたしとの違いに、すぐに気付いた。

「左足から洗うんだ、実弥ちゃんって」

「は?」

大きな手が止まって、大きな瞳がわたしを見つめる。

「いや、しっかり見たことないから、そうなんだーって思って」

「……お前はどこから洗うんだよ?」

「わたし?首から」

「首?」

「うん」

「脚から洗った方が血行にいいんだぞ」

「えっそうなの?上から汚れを落とすように洗えって教えられたなあ」

まァ綺麗になりゃなんでもいいんじゃね。
会話を強引に終わらせて、続きからスタートする。
違いを見るのが楽しくて、もっと見たくて。
浴槽の縁に身体を寄せる。

「なんか、面白い」

「物好きなやつ」

鼻をくすぐるボディソープの匂いが、わたしの身体を包んでるものと一緒で。
当たり前なんだけど、なんだかドキドキする。

たっぷりの泡で、ついでに顔を洗う実弥ちゃん。
ボディソープで顔も洗っちゃうの。
そんなことしたら、わたしの顔面ちゃんは悲鳴を上げるだろう、多分。(敏感肌なんだよね)
羨ましいなあ。

若干逆上せ気味なのかもしれない。
ポーっとした頭でいると、いつの間にか実弥ちゃんはお風呂に入る前の儀式を全て終えていた。

「おい、詰めろォ」

「はぁい」

体育座りをして、きゅっと身体を縮める。
ざぶんと遠慮なく入ってきた実弥ちゃんの体積分、お湯がざばあと散らばっていく。
はあぁ。長い息が、お風呂場中に響いた。

「おつかれ」

考えるより先に、口から労りの言葉が出ていた。
体育祭に学校祭に定期テスト、部活の引き継ぎに二者三者面談に進路相談。
ここのところわたし達はイベントまみれでてんてこ舞いでやっさいもっさいで。
こんな風に、ゆったりと時間を使えるのって、ホント何ヶ月ぶりだろ。

「ホントなァ、マジ疲れた」

「今年ビックリするくらい忙しかったよね。去年そんなんでもなかったのに」

「去年は定期テストが学校祭の1ヶ月後だっただろォ、それに体育祭も違う月だった」

「あっそっか。体育祭、夏休み明けすぐだったもんね」

炎天下の体育祭開催はいかがなものかと、今年から体育祭は秋口に開催される運びとなったんだった。
その結果、とんでもなく忙しい毎日を送ることになったのは言うまでもない。

「足伸ばしてぇんだけど」

急な申し出に、怒涛の日々をつらつら思い出していた脳が現実に引き戻される。
さすがにこの大きさだと、二人で入るにはちょっと窮屈だ。

「あ、ごめん。上がるね」

「いや、……」

上がろうとしたわたしを、煮え切らない言葉で繋ぎ止める実弥ちゃん。
意図が分かって、笑みがこぼれた。

「……じゃ、そっち行っていい?」

「……ん」

両手を広げながら、ぶっきらぼうに答える。
可愛いんだか、可愛くないんだか。
(そう言えば、疲れてくると急に甘えてくるんだよね)(でもプライドがあるのか、いつも素直じゃないの)

もぞもぞと動いて、実弥ちゃんの胸にわたしの背中をくっつける。
むぎゅっと抱きつかれて、わたしの肩に実弥ちゃんの額が触れた。

「……あったけェ」

お湯のことか、体温のことか。
分からないけど、多分どっちもだろう。

「そうだね」

肩に柔らかな、実弥ちゃんの唇が当たる感触がした。
こそばゆくて、でも悪くない刺激。
ちゅっと、軽く吸い付く音が反響して
なぜか不思議と、心地良さを感じていた。

「……」

静寂の中に、ぴちゃんとひとつの水音。
まるで世界にわたし達しかいなくなったみたいだ。
そんな、錯覚。

わたしを包み込む手のひらに
そっと自分のを重ねる。
首筋に熱が触れて、甘く痺れた。

「ん、実弥ちゃん。お風呂上がる?」

「……まだ、こうしてたい」

「そっか」

普段からこんな感じだったら可愛げがあるのに。
思ったけど、口にしたらすぐに拗ねるのが目に見えたから
黙って心に留めておく。

「……なァ、キス……してェ」

しどろもどろにおねだりしてくる実弥ちゃん。
さっきまで瞳孔開きまくりの「不死川先生」だったのに
落差が激しすぎて、思わず口元が緩む。
いいよ。肯定の言葉、ちょっと笑みが滲んだかも。

お湯の中で実弥ちゃんと向かい合う。
浮力のお陰で、実弥ちゃんの上に跨っても平気そうだ。
わたしが近付こうとするより先に、実弥ちゃんが動く。
伏せられたまつ毛の行方を追う前に、お湯が身体にぶつかって
ふたつの唇が重なった。
なんてことない、啄むようなキス。

実弥ちゃんの肩に手を置く。
それに反応して、大きな手のひらが
離すまいとわたしの腰に回された。

接して、離れて、また触れて。
同じタイミングでお互いの顔が遠ざかるまで
何度も何度も繰り返した。

「えっちなチューはしないの?」

ここはお風呂場で、向き合う二人は丸裸で。
そんな雰囲気になってもよいのでは。
素朴な疑問をぶつけると、「えっちなチューはダメだ」と、目を逸らしながら言う。

「挿れたくなるだろ」

「なるほど」

腑に落ちた。
ちゃんと考えてるんだなあ。

休憩がてら実弥ちゃんに寄りかかると
腰に回されていた手のひらに力が入って、引き寄せられる。
お湯が入り込む隙間がないくらいに密着して、実弥ちゃんの濡れた髪の毛がわたしに頬ずりしてきた。

「実弥ちゃんの髪の毛、くすぐったい」

「あ?」

「顔にくっつくの」

「……」

休憩終わり。
ちょっとだけ離れて、実弥ちゃんの髪の毛を耳にかけてあげる。
空いたスペースに頬を寄せると
実弥ちゃんのほっぺたがドキドキと脈打っていた。

「ん、」

耳元で、低い吐息が漏れた。
厚い胸板に手をかける。
ざらりとした触感。
指で胸元にある大きな傷口の後をなぞると、実弥ちゃんの身体が大きく震えた。
合わせてわたしの身体も跳ね上がる。

「わっ」

体勢を崩したわたしを、実弥ちゃんの手のひらがしっかり支えてくれた。

「お前っ、いきなりなにすんだ」

「ごめん、痛かった?」

「そうじゃねぇけど。……ったく」

尖った唇が「もう上がるぞ、逆上せちまう」と宣言する。
逸らされた顔。表情は分からないけれど
この反応を見るに、照れてるんだろうな。


かわいいひと。


いつまでも入ってんじゃねェ!
理不尽な言葉、だけどわたしの顔は
緩みっぱなしで、また怒られた。