なんかさー

うちの地元にはまだ部落も隣組も婦人会も消防団も残っててさ、勢力的に活動しててさ、みんな房州なまりでさ、それが当たり前でさ。

けど教科書の中じゃ何十年も前の話として扱われてさ。
企業とかでもそう。
だから教科書とか東京じゃもう何十年も昔の話になっちゃった話。
現実的じゃない話。なかったことになっちゃった話。排他されちゃった話。

時代も時代だしね、って言葉で話し合いでなくなったり、なんとなく時代にそぐわなくなって自然消滅しちゃったり。
誰かさんたちの気持ちが動かされなくなったからなくなった話。



そういうのがほんとさみしいんですよね。
今日寝不足なのもあったけどさ、そんなんきいて、ほんとに大声で泣きたくなるくらいさみしくていやになっちゃうんだよね。


時代に風化されるってこういうことなんですよね、たぶんね。
老朽化で壊された建物みたいなさ。
立派に咲いてた桜の寿命も80年なわけだけどさ。

ずっとそれが生き続けるっていうのはたぶん常温保存するってことなんだよね。
その時代の温度に合わせて変化するってことなんだよね。
けど、ほんとのほんとは、気温も湿度も変わらないとこで管理保管したい。
なんの変化もなく、いつ見ても同じスタイルでいてほしいのに。

ねっこの地面から下はかわらないで、上に積み重ねてくのがおおきくなることはできないのかな。
幹は一緒で、芽とか花だけが毎年あたらしくうまれることはできないのかな。



やだな。変わりゆく時間の変わりゆく時代の中で生きていくってことがこんなにも辛いことだと思わなかった。