クマ「というワケで…今回は『信乃』の説明からだね」

肉叢「もはや、キャラを当てはめるっちうより、八犬伝説明になってきましたな。別にええですけど」

ロリ「それで『信乃』とは、どんな人なんですかです?」

肉叢「それが…影が薄いっちうか、薄幸過ぎっちうか、じめっとしとるっちうか……、………。
   wiki先生、お願いしますーーー!」


【犬塚信乃】
犬塚 信乃 戍孝(いぬづか しの もりたか)
孝の珠を持つ。左腕に牡丹の痣。

長禄4年(1460年)7月戊戌の日、武蔵大塚で生まれる。父は犬塚番作、母は手束(たつか)。使用する太刀は足利家の宝刀・村雨丸、脇差は桐一文字。

番作夫婦には3人の子があったが、いずれも育たずに夭折している。手束が子を願って滝野川の弁才天に参拝した帰り道で神犬に騎乗した神女(伏姫神)に遭遇し珠を授けられるが、この時は取りこぼしてしまい、代わりに傍らにいた仔犬(与四郎)を連れて帰る。その後出産したのが信乃である。元服まで性別を入れ替えて育てると丈夫に育つという言い伝えに母が願いを託したため、女名をつけられ、女装されながら育てられた。作中の番作の説明によれば、「しの」は「長いもの」を意味する古語であり、また番作夫婦が出会った信濃国に通じる。

信乃が幼いときに母と死に別れる。文明2年(1470年)、信乃が11歳のときに父が「御教書破却事件」で自害する。信乃は父の後を追おうとし、瀕死の与四郎犬を介錯した際、その首から飛び出した珠が腕に当たり、痣が生じた。番作の遺言に従い、大塚蟇六・亀篠夫婦に引き取られ、その養女・浜路を許婚とした。また、大塚家に下男として使役されていた額蔵(犬川荘助)と同じ縁にあることを知る。

村雨は父の自害の際に渡された。いつの日か足利家に返すことを願っているが、伯母夫妻はこれを奪取しようと図っている。文明10年(1478年)、19歳になった信乃は、浜路の懇請(浜路口説き)を振り切って許我に旅立つものの、村雨はすりかえられていた。このため許我では間者と思われ、芳流閣で犬飼現八と組討を演じる。以後、行徳の古那屋で破傷風を患い、山林房八夫妻の犠牲により蘇生した。荒芽山で犬山道節から村雨を返却されて以降は再びこれを佩刀とする。甲斐では浜路姫と出会い、その身体を借りた亡き許婚の浜路の魂から想いを伝えられる。鈴茂林の仇討ちに便乗した扇谷定正との戦いでは、五十子城を攻め落とし、民衆のために倉を開放して墨書を残した。

管領戦では犬飼現八とともに国府台に出陣し、山内顕定・足利成氏と対戦。大穴に落ちた犬江親兵衛の危機を救って、房八夫妻による蘇生の恩に報いた。また「火猪の計」を用いて勝利を収め、成氏を捕虜とした。戦後、帰還する成氏に村雨を献上して父子三代の宿願を果たす。朝廷から信濃介に叙せられた。里見家の五女・浜路姫(1468年 - ?)を妻とし、東条城主となった。浜路姫との間に二男二女を儲ける。

読者の前に最初に姿を現す犬士であり、生い立ちが詳述されていることからも、八犬伝前半の主役と言える。また、父方・母方ともども結城合戦において関東公方家に殉じた忠義の士である事から、八犬士の中でも別格扱いにされる事が多く、二次創作では主役を務める傾向にある。


ロリ「前半の主役、と書いてありますですね。でも『一応』なんですかです?」

肉叢「なんちうかなァ…。物語はオムニバス形式、ちうか…八犬士それぞれが主人公で進むんやけどね。前半は、ほぼほぼ信乃を中心にしてしか話が進まへんから…ほんでも、薄幸過ぎて暗いっちうか、じめっとしとる、っちうか…」

ロリ「あ! さっきの『山林房八夫妻』の話もちょっとだけ載っていますですね! ………『破傷風』?」

肉叢「当時、破傷風は『男女の血を大量に浴びれば治る』と言われとったらしくて。ここらへん、ほんまに言われとったのか、八犬伝の中だけの話なのかは、解らんのですけど…まァ、それで房八と沼藺の血が、破傷風で伏せってた信乃の上に飛び散って治った…ちうことです」

クマ「『信乃』を他PCさんで当てはめるとしたら……、………、ランドールくん?」

肉叢「Σその言い方やとランドールはんが、まるで薄幸で根暗で騙されやすく許嫁に先立たれて未来もクソもないと言うとるようなもんですよ!?」

クマ「…え!?俺、そんな風に…言った!?言ったっけ!!??」

ロリ「でも、狼ちゃん(ランドールの意)は確かに、主人公力(しゅじんこうりょく)はありますですし、それっぽいのではないのですかです?」

肉叢「うーーーん…まァ、……(間)……、…せやね。ランドールはんは『信乃』っちうことで」

クマ「……、ランドールくん…ごめん」

ロリ「そういえば、そういうシシムラおにーちゃんは誰なんですかです?」

肉叢「それがなァ。現八っつぁんか、荘助かで迷った結果…『荘助』になりました」

クマ「……、背後が…日和ったね」

肉叢「…現八はんは、ほんまにファンが多いから。いや、荘助もかなりファンが多いですけど…」

クマ「…うん。現八ファンに…、殺されるよね…。わかる。『小文吾』は…そこまでじゃないけど」

肉叢「そもそも、ボクは現八っちうより、荘助寄りですよ。中身主夫ですやん…荘助ちうたら」

クマ「まあ……、うん。主夫だね。下男だから、当然と言えば…当然だけども、……うん」

ロリ「むーー! 二人だけで話が解ってても、面白くないですです! wiki先生ーーー!」

肉叢「……ユングはん。もう、全部をwiki先生に任せることにしましたな」


【犬川荘助】
犬川 荘助 義任(いぬかわ そうすけ よしとう)
義の珠を持つ。背中に牡丹の痣。

長禄3年(1459年)12月1日、伊豆生まれ。幼名は荘之助。父親は北条の荘官・犬川衛二則任。「荘介」の表記もある。

寛正6年(1465年)、父が主君足利政知(→史実:足利政知)の勘気に触れて切腹。里見家に仕官している母の従兄、蜑崎輝武を頼って母とともに安房国に向かうが、その途中の大塚で母親が行き倒れる。以来、大塚家の下男として酷使され、忍従の日々を送っていた。下男としての名は額蔵(がくぞう)。

文明2年(1470年)、12歳のときに大塚家に引き取られた信乃に世話役兼監視役としてつけられる。信乃ははじめ荘助に心を許さなかったが、信乃が自分と同じ痣と珠を持っていることを知った荘助は、出自を明かして義兄弟の契りを結ぶ。蟇六夫婦の手前、表向きはよそよそしく振る舞ったが、密かに信乃と武芸を競い、その書籍で学んだ。文明10年(1478年)6月、許我に旅立つ信乃を見送った帰り、円塚山で犬山道節と遭遇。大塚に戻ると主人蟇六夫婦が陣代簸上宮六らに殺されており、額蔵は主人の仇を討つこととなった。捕らえられた額蔵は主人殺しの罪を着せられて処刑されかけるが、信乃・小文吾・現八に救出される。十条兄弟の犠牲を払い、荒芽山を目指しての逃避行の中で下男としての「額蔵」の名を捨て、武士として「犬川荘助義任」と名乗りを改める。

荒芽山で離散ののち、越後では小文吾と再会してその危機を救う。越後を治める箙大刀自に捕らえられるが、賢臣稲戸津衛に救われる。津衛は堀越公方家の旧臣であり、荘助の父・衛二と縁故があった。

対管領戦では小文吾とともに行徳口を防衛。長尾家の軍勢を率いる稲戸津衛と対陣するが、三舎を避けて恩に報いた。また、扇谷家の重臣で大塚の領主である大石憲重を捕らえている。戦後は小長狭城主となり、里見家の二女・城之戸姫(1467年 - ?)と結婚した。城之戸姫との間に一男二女を儲ける。

八犬士随一の苦労人と見なされる。


ロリ「『八犬士随一の苦労人』……ですかです」

肉叢「なんですか。ボクが苦労人やとでも言いたいんですか。その通りですよォオオオ!!!!!」

クマ「…あ、認めるんだ、そこ」

肉叢「ほんでも、背後が一番、気に入ってるシーンが、荘助のシーンなんですよねェ。『アニメ八犬伝』で、荘助が拷問を受けた末に処刑が明日に迫った時。『忠』の珠を握りしめながら『明日…立派に死ねますように』と呟いて、震えながらうずくまって寝るシーンが好きらしくて…」

クマ「そこが、一番好きなんだ…!?」

肉叢「処刑日に磔(はりつけ)にされ、役人が罪状を読み上げ『額蔵、これに相違ないな?』と尋ねた時、『私は犬川荘助義任にございます!』と、名乗りを上げるシーンが、それの次に好きらしくて…」

クマ「皆が助けに来た所、…とかじゃないんだ!?」

肉叢「まァ…ちうても『アニメ八犬伝』ですから。『南総里見八犬伝(原文)』とは、若干ちゃいますよ。脚色や演出は、作品ごとにやっぱりちゃいますからねェ。それでも、荘助は大概、主夫で苦労人で、皆の面倒を…特に信乃の面倒を見とる感じで書かれてます」

ロリ「つまり、狼ちゃんの面倒を見てる、ということですかです?」

肉叢「実際はランドールはんの面倒見てるどころか、助けられてるばっかりですけどねェ!!!! 
   ………。さ、次にいきましょか」

クマ「……うん。次に行こうか」

ロリ「あと、残りが『現八』『道節』『毛野』『大角』ですかです」

クマ「現八は…他PCなら、意外とコールさんじゃないかな、って思うんだ」

肉叢「あーー……なるほど。そこやったら…無難ですな。兄貴肌で、頭も切れて、腕も立……、…え?むしろ、なんでボクが一瞬でも現八やと思われた…???」

ロリ「背後は『現八はずっと牢屋に閉じ込められてたところが、一瞬、ダブった』と言っていましたですよ」

肉叢「そこだけやん!!!!まァ、現八がやってた獄舎番の職が、年貢が納められない弱い百姓たちを拷問する職でしてなァ。それに嫌気が差して、これ以上、弱い者虐めをせなあかんのなら、仕事放棄で捕まえろ、と…。そもそも彼が獄舎番になったのは、上司のやっかみがあったとかなんだとかかんだとかで……、…え?むしろ、なんでボクが一瞬でも現八やと思われた…???(二度目)」

クマ「…気の迷い、っていうのは…誰にでもあるんだと、思うよ」

ロリ「そんな『現八』の説明が、コチラですよです!!」


【犬飼現八】
犬飼 現八 信道(いぬかい げんぱち のぶみち)
信の珠を持つ。右の頬先に牡丹の痣。

長禄3年(1459年)10月20日、安房洲崎で漁師糠助の子として生まれる。幼名玄吉。

珠は、お七夜の祝いに糠助が釣った鯛の腹からあらわれた。母は産後の肥立ちが悪く病死、生活に窮した糠助が洲崎神社沖の禁漁区で漁をして死刑になるところ、領主里見家の伏姫・五十子の死による恩赦があり、安房を追放される。下総行徳にたどり着いた糠助が路頭に迷い親子心中を図った時、里見家に赴く任務の途中であった滸河公方家の走卒(飛脚役の足軽)・犬飼見兵衛に助けられ、引き取られることになった。見兵衛の定宿である古那屋にしばらく預けられ。小文吾の母から乳を与えられたため、小文吾とは乳兄弟である。見八と名づけられ、成長の後は二階松山城介という武術の達人に師事し、捕り物の名人として名を馳せていたが、獄舎番の職を放棄し成氏の怒りを買って牢獄につながれた。実父の糠助は武蔵大塚村に移って犬塚信乃の隣人となり、死の間際に珠と痣を持つ玄吉の存在を信乃に告げていた。信乃と現八は芳流閣で相見える。行徳で珠に連なる奇縁を知り、名に玉偏を加えて「現八」に改める。

荒芽山の離散の後、庚申山で化け猫退治にかかわり、犬村大角を知る。管領戦では国府台に出陣し、長阪橋(ながさかばし)で小説『三国志演義』の張飛になぞらえた活躍をする。 後に里見義成の六女・栞姫(1469年 - ?)と結婚、三男一女を儲ける。


肉叢「…そういえば、小文吾と現八は乳兄弟でしたなァ」

クマ「……うん。コールさんが、魔力切れで白髪で短髪だった時…俺の弟みたいだったよ(へら)」

肉叢「髪型だけで!?髪型だけで、弟認定ですか!?」

クマ「まあ…元々、弟みたいに、可愛がってた…つもりだけども」

ロリ「それでもこの説明だと、あまり現八の活躍っぷりが書いてませんですね」

肉叢「天守閣の屋根上で信乃と現八がやり合うところは、とても有名やし、今も昔も一番人気のシーンですけどねェ…」

ロリ「そういえば、八犬伝の時代考証はどうなっていますですか? この時代に天守閣は存在しなかった、とも聞きますですが…」

肉叢「ええ。そこらへん、馬琴はんは…なんちうか、ご都合主義ちうか…。挿絵の版画絵にキセルを描いたら『この当時に、キセルは存在しない!』と版画師に削らせたくせに、この当時ありもしない天守閣を書いとったりで…まァ、作家ちうのは、そういうもんですよ。そもそも『南総里見八犬伝』を書くきっかけになったのが、馬琴が寝ていたら、夢の中で一晩の宿を求めたお坊さんがやってきて。『一泊の恩に面白い話をしましょう』と語り出したのが八犬伝の話やったとか。起きてから、急いで書き留めようとしたらしいですけど、ほとんど忘れていて、悔しいから改めて書き始めたのが『南総里見八犬伝』で。ほんま作家、ちうのは…なんちうか…デタラメですな」

ロリ「でも、それが当時のベストセラーになって28年間も書き続けることになるとは……きっと馬琴も書き始めた頃は思わなかったでしょうねです」

肉叢「しかも、後半は右目が失明し、左目も見えなくなってきて…息子の嫁はんに口頭で言ったものを書きとらせたとか。その嫁はん、確か最初は文字も書けんかったんちゃうかな…。それを厳しく教えてやらせたんやから…もはや執念ですわ」

クマ「…でも、その執念のおかげか…今でも色んなジャンルで、八犬伝は取り上げられてるしね。……やっぱり、すごいもんだよ」

ロリ「そんな執念の八犬伝話は、まだまだ続きますですよ!」



<3につづく>