クマ「唐突なんだけどね…?背後って『南総里見八犬伝』が…大好きだろ?」


肉叢「ええ。江戸時代に流行った、曲亭馬琴の長編伝奇小説ですなァ」

クマ「それで…例えば、俺は『小文吾』をちょろっとだけ…モデルにしてるらしいんだ」


肉叢「ほうほう」

クマ「他のキャラは…そのつもりはなかったらしいんだけど……、でも、当てはめられるんじゃないか、って…思ったらしくてね」

肉叢「…ボクらを、ですか?」

クマ「…うん。それで、やってみたんだって」

肉叢「………、ものっそい内輪ウケどころか、背後得なだけの企画やないですか」

クマ「…うん。俺も…そう思うんだけど。まァ、新年だし…ちょっとだけ、付き合ってあげようよ」

肉叢「おもろない話やから、これ見始めた人は閉じた方がええですよ(カメラ目線)」

【というわけで、八犬士話】

クマ「まずは…俺からかな。『犬田小文吾悌順(いぬた こぶんご やすより)』だね」

肉叢「ちょ…!その前に、八犬伝の説明はナシですか?」

クマ「………、いる?(へらっ)こんなとこ、誰も読まないし…知らないからって、興味持つとは思えないけども…」

肉叢「………、一応、やっておきましょ?」

ロリ「じゃあ、その説明はユンがしますですよ!!!(にょにょっ)」

肉叢「Σどっから現れましたか!!!」

ロリ「こういう時は、wiki先生から抜粋するのが早いのですよです。というワケで、抜粋ですです!」


【概要】
『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣が身体のどこかにある。関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する。(wiki抜粋)

【発端】
安西景連の首と八房。月岡芳年「美勇水滸傳・里見二郎太郎義成」
嘉吉元年(1441年)、結城合戦で敗れ安房に落ち延びた里見義実は、滝田城主神余光弘を謀殺した逆臣山下定包を、神余旧臣・金碗八郎の協力を得て討つ。義実は定包の妻・玉梓の助命を一度は口にするが、八郎に諌められてその言葉を翻す。玉梓は「里見の子孫を畜生道に落とし、煩悩の犬にしてやる」と呪詛の言葉を残して斬首された。

時はくだり長禄元年(1457年)、里見領の飢饉に乗じて隣領館山の安西景連が攻めてきた。落城を目前にした義実は飼犬の八房に「景連の首を取ってきたら娘の伏姫を与える」と戯れを言う。はたして八房は景連の首を持参して戻って来た。八房は他の褒美に目もくれず、義実にあくまでも約束の履行を求め、伏姫は君主が言葉を翻すことの不可を説き、八房を伴って富山(とやま)に入った。

富山で伏姫は読経の日々を過ごし、八房に肉体の交わりを許さなかった。翌年、伏姫は山中で出会った仙童から、八房が玉梓の呪詛を負っていたこと、読経の功徳によりその怨念は解消されたものの、八房の気を受けて種子を宿したことが告げられる。懐妊を恥じた伏姫は、折りしも富山に入った金碗大輔(八郎の子)・里見義実の前で割腹し、胎内に犬の子がないことを証した。その傷口から流れ出た白気(白く輝く不思議な光)は姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。義実は後を追い自害しようとした大輔を止め、大輔は僧体となって、「犬」という字を崩し丶大(ちゅだい)を名乗り、八方に散った玉を求める旅に出た。時に長禄2年(1458年)秋のことであった。 (wiki抜粋)


ロリ「ということですですー!!」

肉叢「…って、発端の発端で、これがどう八犬士に結びつくか解らないやないですか!!」

クマ「いや…上記にある数珠の『八つの大玉』。これを生まれた時からずっと持ってたり、…ずっと一緒だった飼い犬の死骸から、珠が出てきたりして…手に入れた8人がいるんだよ。それが概要にある、八犬士でね。玉梓(たまずさ)の呪いから里見家を助けるために…集結するんだよ」

肉叢「八犬士…と呼ばれる所以は、姫と犬の合いの子だからですか。…ほんでも、結局、姫と犬は、まぐわらんかったんやろ?」

クマ「…そこ。せめて伏字にしようね?(へらっ)玉梓は夢の中で伏姫(ふせひめ)に『お前が寝ている間に八房(やつふさ)はお前を手籠めにしたぞ』とは…唆すんだけどね。実際は、そうじゃなかった…みたいだけども」

肉叢「獣姦はなかったけど、犬の念で姫は身籠ってしもた、ちうことですか」

クマ「…そこ。伏字にしようね?(へらっ)まあ…姫が怨念を昇華させて、希望の子を念として各地に飛び散らせた…みたいな感じかなあ。借り腹…という言い方が正しいかはわからないけども」

ロリ「ここまでは、大丈夫ですかです? それじゃあ、八犬士に当てはめますですよ!!」

クマ「……。俺…ユングは絶対『妖女船虫』だと、思うんだよね(ぼそり)」

肉叢「――残念。悪女っぷりが、別ベクトルですわ。ユングはんは『誘惑する』『唆す』よりも、『解剖する』『魔物化させる』方です。パケットはんと因縁がある、ちう意味では…まァ、船虫でしょうけど…いや、いっそ『旦開野(あさけの)』???」

クマ「ヤメテ。毛野だったら…別の人に、配役されてるから……(項垂れ)」

肉叢「………あー。(遠目に見て納得)なるほど…確かに」

ロリ「何をコソコソ話しているのですかです!? あ。そういえば、一つ聞きたかったのですが。例えば、『犬田小文吾悌順』という名前がありますですが、『犬田』は苗字。『小文吾』は名前。『悌順』は……何ですかです?」

肉叢「ああ、それは『諱(いみな)』です。『小文吾』は言わば、通称です。本来の名前は『悌順』なんですけど『諱』は本名……『真名』ちうやつですかねェ。せやから、滅多に明かさんかったし、呼ばれることもありまへんでした。明治になって『本名を明らかにしろ!』と政府に言われて、皆はん『諱』を名乗るようになりましたけど」

クマ「じゃあ、…シシムラくんも『諱』…あるの?」

肉叢「ははははは。まァ、ほんでも『諱』を持っとるのは、お武家さんだけです。ボクみたいな百姓や町人は基本的には持っとりまへん。苗字もないですよ。まァ、例外はありますけど」

ロリ「例外ってなんですかです?」

肉叢「まァまァ、それはええやないですか。話進めましょ。…ちうわけで、遅くなりましたけど、パケットはん、どうぞ!!」

クマ「えー……。まあ、いいけども。とりあえず、最初に言った通り…俺は『小文吾』がモデルだね」

ロリ「ここで、wiki先生からまた抜粋しますですよ!!」


【犬田小文吾】
犬田 小文吾 悌順(いぬた こぶんご やすより)
「悌」の珠を持つ。尻に牡丹の痣。

長禄3年(1459年)11月20日、行徳の旅籠屋・古那屋文五兵衛の子として生まれる。犬江親兵衛は甥にあたる。巨漢であり、相撲を得意とする。

父は神余家に仕えた武家の那古氏出身だが、町人として暮らしていたため苗字を称さなかった。16歳のとき、行徳の町を荒らした犬太(いぬた)という悪人を義侠心から殺したため、「犬太殺しの小文吾」、これが転じて犬田小文吾と呼ばれるようになり、また自ら悌順の諱を定めて名乗ることになった。肉親の縁の薄い八犬士の中では実の親と暮らした期間が一番長いが、犬士となる代償として妹沼藺(ぬい)と義弟房八(ふさやつ)の死、父との離別を経験することになる。

荒芽山での離散後、武蔵国で毒婦船虫(ふなむし)と出会い、命を狙われる。馬加大記によって石浜城で幽閉されるが、旦開野(あさけの)こと犬坂毛野(いぬざかけの)と邂逅する。越後小千谷では暴れ牛を取り押さえる活躍を見せるが、当地で山賊の妻となっていた船虫に命を狙われ、行き会った荘助(そうすけ)とともに山賊を退治する。領主である箙大刀自に捕らえられるが、稲戸津衛に救われた。その後諏訪で毛野に行き会うなど、船虫・毛野とはとくに因縁が深い。

対管領戦では行徳口に出陣。千葉軍の豪傑2人と一騎討ちを演じる。戦後、里見家の末娘(八女)である弟(いろと)姫(1470年 - ?)と結婚、二男二女を儲ける。(wiki抜粋)


クマ「……似てる?」

肉叢「でっかくて、大らかなとこは似とるんやないですか?この『小文吾』は、元々、当時人気だったお相撲さん(名前忘れました)がモデルやったそうですよ」

クマ「…SUMOU。ずーーっと前に…ラゼットとしたSUMOUが…思い出されるね」

肉叢「ちなみに『悌』の意味ですけど、ざっくりと説明すると『兄弟の仲がいいこと』です。こういうところも、パケットはんのモデル言われても…納得出来ますなァ。あと、なんだかんだ言って女運が悪いっちうか…女難っちゅうか…」

クマ「………、そこらへんは、黙っておこうか(へら)」

ロリ「むむ? ユンが『船虫』だとでもいうのですかです? ユンは『新兵衛』ですよです!!」

クマ「………」

肉叢「………」

ロリ「………」

肉叢「いや、…ちょお待って!?キャラやないですよ!?子供っちうとこぐらいしか合っとりまへんて!!」

ロリ「うにゅ? そうなのですかです? 『キチロリはデタラメな新兵衛だな』って背後は言ってましたですよ?」

肉叢「そら、デタラメちう意味では、デタラメですよ!!『新兵衛』はデタラメ。ヒーローの中のヒーロー。そして、デタラメ」

ロリ「むむむ。どうデタラメなのかは、wiki先生に聞いてみますです。教えて! wiki先生ーー! ですです!」


【犬江新兵衛】
犬江 親兵衛 仁(いぬえ しんべえ まさし)
仁の珠を持つ。脇腹に牡丹の痣。

文明7年(1475年)12月、下総国市川に生まれる。山林房八(ふさやつ)と沼藺(ぬい)の子で、小文吾は伯父にあたる。八犬士の中では最年少。

生まれつき左手が開かなかったが、これは沼藺が幼少の頃に飲み込んだ珠を握って生まれたためであることがのちに明らかになる。幼名は真平だったが、周囲に大八と渾名され、この名が定着した。この渾名は「片輪」の車という連想によるものであることが知られる。

初登場時は4歳。古那屋で房八と小文吾が争った際、房八に脇腹を蹴られて仮死状態に陥ったが、蘇生後に左手が開いて珠が現れ、房八に蹴られた脇腹に痣が生じたことで犬士であることが明らかになった。丶大は「真平」の名を「親兵衛」に改め、諱を「仁」とした。房八夫妻の死と親兵衛の犬士としての蘇生は「身を殺して仁を成す」を意味している。

丶大や妙真(房八の母)に連れられて安房に向かう途中悪漢に襲われたが、このとき神隠しに遭う。これは伏姫神によるものであり、親兵衛はその庇護のもと富山で育てられ、9歳ながら異様な成長を遂げて里見義実の前に再登場する。蟇田素藤の二度にわたる叛乱を鎮圧した。その後、結城の法要で七犬士と合流し八犬具足を果たす。京都に使者として赴いて武勇を示し、関東大戦では伏姫に与えられた神薬(善人のみに効果がある)で敵味方の戦死者を蘇生させた。物語後半の主役といえる。

儒教の徳目全てを体現した童子で、完璧なまでのヒーローである。それゆえか「八犬士の随一」を自ら称するなど高飛車な言動が目立つ。唯一の弱点は水練だったが、関東大戦への参加を前に霊夢の中で伏姫より習得した。大団円では安房館山城を与えられ、里見義成の長女で9歳年上の静峯(しずお)姫(1466年 - 1504年)と結婚、犬江真平(眞平)如心(1492年生まれ)、犬江大八(1493年生まれ)、長女(名は甫(はじめ)、1496年生まれ)の二男一女を儲けるが死別する。その後、独身を貫いた。


クマ「…デタラメだね。そして、…配役ミスだね」

肉叢「デタラメでっしゃろ?配役ミスかは……まァ、ボクの口からはなんとも。そもそも、神隠しにあって、成長して帰ってくるちうとこだけでもデタラメなのに…ほんまに伏姫神に贔屓されとりましたからねェ」

クマ「というより…俺は、ユングが姪設定(八犬伝では男だから甥だけど)なのは…いただけない。房八に蹴り殺されたままで、良かったのに……」

ロリ「むーーー。パケックマちゃんは、相変わらず酷いですです! でも、蹴られたことで牡丹の痣が出来たのですねです」

肉叢「ええ。そもそも、小文吾と房八が争った理由が、古那屋にお尋ね者になっていた『信乃』を匿ったことが理由なんですけどな。房八と信乃は、とても顔が似とったんですわ。ほんで、それを知った房八が信乃を生かすために自分が身代わりになろうとして、わざと憎まれ役になり、信乃を殺すふりをしたんです。それを知って、止めに入った妻の沼藺を誤って殺してしまい、さらには足元にやってきた新兵衛も蹴って殺してしまった、と。それを見た小文吾は犬太殺し以来誓った『殺さず』の禁を破って、房八を殺し、その首を信乃を探しに来ていた役人に差し出して、難を免れた、ちう話でしてな。妻も自分も死ぬのに、子供だけ遺しても可哀想だろう、という気持ちから蹴り殺した…なんて説もあるぐらいの悲劇ですわ。まァ、その後。新兵衛は息を吹き返すんですけどな。もう、ここらへんからしてデタラメ劇場の始まりちうか…そもそも『房八』を逆さにすれば『八房』。『ぬい』を逆にすれば『いぬ』で……なんちうか、デタラメです」

ロリ「デタラメデタラメ連呼しないでくださいです! そもそも『信乃』って誰ですかです?」

クマ「………、知らないの?」

肉叢「一応、八犬伝の主人公です。一応」

ロリ「『一応』…ですかです??」

クマ「信乃の詳細は…次で語ろうか」


<2につづく>