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カルデアの善き人々―塔―8

サーヴァントとスタッフたちは、レクリエーションルームを使って酒宴を開いていた。
そしてその部屋に導かれた彼は、早速来たことを後悔していた。
「(しまった…!エルメロイ?世、アイツがいるしゃないか…!!)」
そう、彼がなるべく顔を会わせたくない相手ことエルメロイ?世が、飲み会に参加していたのだ。

唐突に彼とエルメロイ?世との関係を説明したのには、そういう訳があったのだ。
エルメロイ?世はこのカルデアに所属しているスタッフである……というわけではない。彼は、“サーヴァント”としてこのカルデアに所属している。
勿論、ロード・エルメロイ?世というその人がサーヴァントになったわけではない。彼はその身に英霊を宿し、擬似的にサーヴァント化しているのだ。その宿している英霊の名を、諸葛孔明という。その為、彼はサーヴァント“諸葛孔明”が召喚されたと聞いたのに、見た目が明らかに“ロード・エルメロイ?世”その人であった時には大いに仰天したものだった。
なぜ彼が諸葛孔明としてサーヴァントになっているのか。その理由も仕組みも彼はよく知らないことではあったが、とにかくエルメロイ?世は諸葛孔明というサーヴァントとして、カルデアに属することになったのだ。
「(…そうか、諸葛孔明とみれば中身はアジア系…!!)」
そして今さらになって、荊軻が酒宴に参加しているサーヴァントの属性として述べていたことを思い出す。諸葛孔明は中国三国時代の著名な人物だ、アジア出身と言えるだろう。
自分のうっかり加減に頭を抱えた彼に気がついた荊軻は、こてんと首をかしげた。
「んん?どうかしたか?顔色が悪いが」
「い、いえ、なんでもありません」
「む、お主、朝方にあったな」
「あ、あぁ、李書文さん、お疲れ様です」

――自分と同じくらいだと思っていたウェイバーが、いつの間にか自分の手が届かないくらいの高みへと至ってしまった。
それへの嫉妬、勝手な劣等感。

それをエルメロイ?世の顔を見るたびに感じてしまう自分が嫌だった。情けなかった。惨めだった。
カルデアへの誘いをもらったときに、自分の専門領域とは少し離れていようともそれを受けたのは、ひとえにエルメロイ?世から離れたいが故だった。

「(だというのに!)」
今朝方知り合ったばかりの李書文―幸いにして、エルメロイ?世とは一番遠いテーブルに陣取っていた―が声をかけてくれたのを幸いにしてそちらの方に逃げながら、彼は心のなかで今さらなことを毒づいた。

あの男から逃げたくてこんなところまで来たというのに。
またもあの男は、自分より遥か高みの存在となって、自分の前に現れた。

「お主、こういうところに来るクチであったか」
李書文はそんな彼の葛藤には流石に気が付いていないのだろう、にやりと笑って彼に杯を差し出した。
「ええまぁ、好きな方なので、たまにはと。書文さんも?」
「ふふん、嗜む程度、というやつよ」
「そんなこといって君、割りと好きだし飲むだろうよ??」
「む、飲みすぎだぞお主…やれやれ、まったく」
完全に酔いどれている荊軻に李書文が絡まれている隙に、ちらり、と彼は視線をエルメロイ?世へと飛ばした。
エルメロイ?世は一人で飲んでいるようだ。彼らしいといえば彼らしいが、この酒宴で最初からソロ、ということはないだろう。誰かと飲んでいたが、一人になった、と解釈すべきだろう。
「で、君は何がイケるクチだい?」
「あ、なんでもイケますよ」
エルメロイ?世と飲みたいのか、と思われると面倒なので、彼はすぐに視線をそらした。

カルデアの善き人々―塔―7

「ははっ、ついさっきまでこいつと手合わせしててなァ」
カラカラと快活にベオウルフは言うが、先程からほんのりと香る鉄臭さの理由がわかってしまった彼にしてみると、裸の肌を粟立たせるものにしかならなかった。
とはいえ、彼がステゴロ的戦闘を好んでいることは周知の事実なので、突っ込むのも野暮だろう。平静に平静に、と彼は自分に言い聞かせながら、ひきつりながらも笑みを口元に浮かべた。
「あぁ、汗を流しに?」
「まっ、そんなところだ。おう、お前さん、あいつは知ってるか?」
咄嗟に出た適当な言葉だったがベオウルフはさして気にした様子も見せず、むしろ自分を見ている李書文の視線に気が付いたようで、意識をそちらに向けた。李書文はすぐに話を振られると思わなかったのか、一瞬驚いたようにベオウルフを見たあと、つい、と視線を彼へと向けた。
「…いや、流石に知らんな。こんなところですまんが、ランサー李書文だ。よろしく頼む」
「あ、いえ、こちらこそ、アーサー・エドワード・タワーといいます」
律儀な性格らしい、名乗りをあげた李書文に慌てて彼も自己紹介を返す。サーヴァントに名乗られるなど随分奇妙なものだが、それもまた今更なことだろう。
それでは、といそいそと彼が洗い場へと引っ込むと、二人は恐らく彼が来るまでにしていたであろう会話に戻ってくれたので、ほっと彼は胸を撫で下ろした。手早く身体を洗い、二人から少し離れたところで湯船に浸かる。
「……ふうぅ…………」
折角なら朝のチェックを済ませてから来るべきだったかな、と思いながら、寝汗をかいて冷えた身体を温める。ぱしゃぱしゃと浸かりきらない肩や首にお湯をかけ、そちらもじんわり温める。
「……………」
なるほど、暖かい。一部のスタッフが毎日のように入りに来る気持ちも分からないではない。
目を伏せ、ぼんやりと入っていると、いつの間にか二人は湯船から出ていっていた。サーヴァントたちは未だに近寄りがたい雰囲気の者も数多くいるが、彼らのような姿を見ていると、今が人類滅亡の危機だということ、そしてそれが自分を含めたカルデアの肩にかかっているのだということを忘れそうになる。
「…」
実際、時折自分は忘れているような気もする。だが、朝晩に向き合う彼らが常に思い出させるのだ。

彼らの命はドクターでも、藤丸でもない、他でもない自分の手にかかっているのだと。

「…よし、いくか」
額に汗が浮かぶ程度に身体を温めた彼は、ぱしゃり、とお湯を顔にあて、気合いを入れ直すと湯船から立ち上がった。





 「やぁ」
「は、はい?」
あの後。
いつも通りに業務をこなし、日課のメディカルチェックも済ませ、今日も1日無事終わった、寝れる分だけ休んでおこう、と自室にむかっていた彼に、唐突にそう話しかける者があった。今日はタブレットの充電を忘れてしまっていたためにいつもよりチェックが終わるのが遅く、もう夜勤でつめているスタッフ以外は寝ているだろうと思われたので、話しかけられると思わなかった彼は大いに驚いた。
彼に話しかけたのは、和服だろうか、中華服だろうか。そんな、彼にとっては見慣れない衣装をまとった、黒髪の女性だった。
「ええと…荊軻、さん?」
どうにか思い出した名前を口にする。たしか彼女は、二つ目の特異点を修復したときくらいからカルデアにいる、アサシンのサーヴァントだ。
荊軻は名前を呼ばれたことに意外そうに目を見開きながら、ふ、と楽しそうに笑みを浮かべた。
「あぁそうだ。申し訳ないことに私は君の名前を知らないんだが」
「ああ、いえ、別にお気になさらず…」
「今、同郷、というのも変だが、アジア系出身のサーヴァントで飲み会をしていてな。よかったら君もどうだ?」
「え?自分が……ですか?」
「何、他にも何人かスタッフはいるからそう気負わないでほしい。ここでこう遭遇したのもなにか縁だろう。まぁ、無理にとは言わないがね」
唐突な申し出に少し混乱してしまったが、よくよく見ると確かにほんのり頬が赤い。
さて、どうしようか。確かに最近とんと酒を飲む機会はなかったし、別に今は作戦行動中でもないので、飲酒が禁じられているわけではない。そして彼は、割りとお酒が好きだ。
「……では、少しだけ」
「!ふふ、ではいこうか」
せっかくのお誘いだ、断るのも野暮だろう。そう考えて誘いに乗ると、彼女は嬉しそうに笑い、彼の手を引いた。

カルデアの善き人々―塔―6


なぜ、どうみてもエルメロイ教授と仲違いしていたウェイバーが、そのエルメロイの名を継いだのか。

確かに、ウェイバーがフラリと姿を消して少ししてから、エルメロイ教授は亡くなっていた。様々な噂を耳にしたが、極東で開催された聖杯戦争に参戦して死んだ、というのが彼のなかでは最も信憑性の高い話だ。当時跡継ぎのいなかったエルメロイ家は教授の死によって一気に没落していった、といっても過言ではなかった。
だから一時は、ウェイバーも聖杯戦争に参加しており、教授の死に何らかの形で関与していて、エルメロイ家によるそれへの復讐なのではないか、なんて噂もまことしやかに囁かれたものだったことを覚えている。

だが、その噂は間違っていると彼は思っていた。

一度、時計塔で彼とすれ違ったことがあった。その時彼はエルメロイ家の血筋である少女―具体的にどんな立場の少女であったかは忘れてしまったが―と共にいた。だが、その二人の様子は、憎み憎まれるものの姿ではなかった。それは、そう、さながら戦友のようで、唖然としたことを確かに覚えている。

本当のところがどうなのかは知らない。逆に、下手にエルメロイほどの名門を探ろうなんてしたら、自分の命の方が危ういだろう。

本当のところがどうかなんて、実際、彼にとってはどうでもいい。


彼にとって大事なことは。

かつてのクラスメイトのウェイバーが、自分の知らないものを見、経験し。
結果、自分より遥かに高みに行ってしまった。
自分より優れているわけでもなく、さりとて劣っているわけでもなく、そう、あの教室では、同等だったはずのウェイバーが。

ただ、それだけだ。



 「…………ぅ、ん。なんか嫌な夢見た気がするな……」
彼が、アラームが鳴るよりも早く目覚めることは珍しい。よほど夢見が悪かったと見える。
彼は小さく唸りながら身体を起こすと、ベッド脇のライトをつけた。時計を確認する。普段より30分ほど早く目が覚めたようだ。
「…30分じゃもう一眠り…って訳にはいかないな。たまには湯でもはって身体を温めるかぁ、どうせすぐに冷えちまうけど」
彼は誰にいうでもなく一人でそう呟くと、自嘲気味にヒッヒと笑いながら、職員共同のバスルームへと向かっていった。

 大浴場、というにはささやかなサイズだが、様々な国からスタッフが集まっていることを考慮し、カルデアの共同バスルームには大浴場がある。入浴文化のある国のスタッフや、一部サーヴァントも利用しているらしい。
彼の家にはそういった風習はなかったので慣れておらず、あまり入りに来ることはないのだが、嫌いというわけでもない。確かに湯に浸かることは身体を芯から温めるには効率的だ。
手早く衣類をまとめてロッカーに放り込むと、彼はいそいそと大浴場の扉を開けた。
「あ」
「む?」
「おぉ、おはようさん」
「あ、おはようございます…」
朝早くの時間だ、誰もいるまい、と思われた大浴場に先客がいた。片方は目覚めるような鮮やかさを持つ赤い髪の東洋系、もう一人は褐色肌に傷跡が目立つ西洋系。
確か、サーヴァント、李書文とベオウルフだ。前者はつい最近召喚されたばかりだったが、それこそアメリカの特異点における活躍をモニター越しに見ていたので、記憶に残っていた。ベオウルフは顔を合わせたら律儀に声をかけてくれるので、世間話はする程度の間柄だ。
「お前さんをここで見かけるのは初めてだな」
「え?ええ、まぁ…そちらも、珍しいですね」
どうやら二人で訪れているようだったので、彼は邪魔にならないように、といそいそと洗い場に逃げようとしたが、あっさりベオウルフが言葉を投げ掛けてきた。

カルデアの善き人々―塔―5

「やぁ、今日はことさらに冷えるね、ジョセフ。その中は暖かいかな?」
いつも通りに、いつもと変わらないように。一人一人の名前を呼び、言葉をかけ、数値をチェックする。

言葉をかけたからといってメディカルチェックの値が変わることはない。名前を呼んだからと言って改善するわけでもない。

強いていうなら、彼が寂しいからだろうか。
無言で47人が眠る部屋にいるのは、多分メンタルヘルス的にあまりよろしくないだろう。
いつか、自分もこの寒い部屋で、ひっそりと眠りについてしまいそうな、そんな錯覚に襲われる。

「………あぁ」
彼はため息をこぼすかのように、そう声をこぼす。

――あぁ、そうやってなにもかも投げ出して、眠ってしまえたら、どれだけ楽になれるだろうか。

はっ、と、彼は頭によぎった文言にぷるぷると頭を振った。いったい今、自分は何を考えたのか。
「やぁジェニファー、今日はお昼にナノハナという植物のサンドイッチを食べたんだ。結局英名を聞くのを忘れてしまってね、なんだと思う?恐らくだがあれは…」
そうして彼は、自分の思考を振り払うかのように、わざと明るく声を張り上げて、何事もなかったかのように作業を続けた。

 ――47人分の作業を終える頃には、彼は自分の頭によぎった世迷い事のことを忘れていた。いつも通りに作業を終え、部屋を出、ほぅ、と息をつく。相変わらずいつの間にか呼吸を控えていたらしい、肺が空気を求めて身体をせっつく。
彼はすぅ、はぁ、と何度か深呼吸を繰り返し、長く長く息を吐き出した。
「……………ふう」
これで、彼の一日の業務は完全におわりだ。かじかんだ手を擦りながら腕時計に目を落とせば、時計の針は既に21時過ぎを指し示している。早く行かねば、食堂が閉まってしまいそうだ。
彼はタブレットを操作しながら、気持ち足早に食堂へと向かった。今日のレイシフトから帰ってきていたのか、藤丸らがレクリエーションルームでまた一騒ぎ起こしているらしいのを片耳に聞きながら、そちらには目も向けずに―それはきっと、恐らく故意に―通り抜けた。
「…ん?」
「??どうしたの、?世」
「いや………なんでもない」
そうして、通り抜けたレクリエーションルームから聞こえてきた言葉には、聞こえなかったふりをした。



彼の話をしよう。
彼は、時計塔に所属する魔術師の一人だ。
彼の家は伝統が長いわけでも、さりとて新参というわけでもない、非常に中途半端な系譜を持つ家系だった。いわゆる、可もなく不可もなく、といったところだ。
その為名門に特別見下されるようなことはなかったが、同時に名門と並び立てるだけの魔術刻印もなかった。
だが手先が器用な人間だったので、同じクラスに所属する他の魔術師と比べると年若い方ではあった。

その中で、彼がとりわけよく覚えているクラスメイトがいた。
名を、ウェイバー・ベルベット。
このウェイバーというクラスメイトは、彼より年上であったが、家だけでいうなら彼より下位のレベルであった。
教授に論争を吹っ掛けては破り捨てられる、なんてことを度々見かけることがあったウェイバーだったが、ある時フラリと姿を消した。色々な噂がたっていたが、その事は特に覚えていない。
それは彼にとって大事なことではなかったからだ。

そのウェイバーは、10年ほど経ったあとだろうか、もっとあとだったろうか。
とにかくフラリと講師として時計塔に帰ってきた。その頃には彼も時計塔で研究助手を勤めていたので、風の噂には聞いていた。

そうして、いつの間にか。
ウェイバーはいつの間にかその名を、名門“エルメロイ”へと変えていた。

カルデアの善き人々―塔―4

「報告書はいつも通りに送付してあります」
「うん、ありがとう」
「とはいっても、昨日の夜から特に大きな変動はありません。バイタルは安定してはいますが…」
彼はそこで思わず口をつぐむ。
維持はできている。“冷凍保存にする前の、重症をおった状態から最低限の治癒を施しただけの状態”を。必要なだけの酸素やエネルギーに加え、生命維持を助ける程度に電力から変換した魔力を絶えず与え続けているとはいえ、いつ変調を来たし、絶命するかもわからない。
ロマニは、そんな彼に対して薄く微笑み、ぽん、と肩に手を置いた。
「今はそれで十分だよ。彼らには申し訳ないことだけれど…今できる精一杯だ。僕たちは、できるだけのことをしよう」
「……、はい」
「それじゃあ、仕事に入ろうか。えーと、夜勤のミーシャから引き継ぎを受けてくれるかい?」
「了解です、それから、ドクター」
ぐるり、とコントロールルームを見渡し、聞こえていたのか、こちらにひらひらと手を振っている女性スタッフを確認してから、彼はロマニに向き直った。
「ん?なんだい??」
きょとんと彼を見上げるロマニの目の下には、はっきりと疲労の色が見える。どうせ今日も寝ていないのだろう。いつも彼は自分のことを後回しにしている。

まるでなにかに追いたてられているかのように。

「…いえ、その。たまには、休んでくださいね」
今までにも何度か口にしたことのある言葉。言っただけで素直にはい休みます、と休んでくれる人だとは思っていない。事実、そんな風に休みたいときに休めるほど、生易しい状況でないことも確かだ。
それでもだからといって言うのをやめてしまえば、本当にこの人は身を滅ぼすまで走り続けるだろう。そう思っていた彼は、無駄だろうとは思いつつも、同じ言葉を口にするのだ。
「!はは、ありがとう」
ロマニは少しばかり驚いたような表情を浮かべたあと、にこりと笑ってそう言った。
――聞きなれた返答だ。きっと、この人を休ませることはまだできない。
そう心の片隅で思いながらも、彼は会釈を返し、自分の仕事をするべくミーシャのもとへと足を進めた。


 コントロールルームでのあらゆる数値のチェック、新たな特異点を発見していないか、修復済みの特異点でなにか問題は発生していないかの確認、カルデア内の機材は不調を起こしていないか、サーヴァントとの魔力供給パスに不具合はないか――。
そういった様々な確認、監視をしていると、あっという間に日がくれる。いや、正確にはコントロールルームからは外の様子は見えないし、基本的に外は吹雪いているので、日の入りが確認できているわけではない。ただ、こうしてチェックに没頭していると、いつの間にか夜勤スタッフと交代を知らせる腕時計のアラームが鳴っているのだ。
「ふぅ」
差し入れされた昼食を食べるとき以外、基本的に前傾姿勢で液晶に向かっているために凝り固まった身体をぐるぐるとまわし、目元を揉む。夜勤スタッフとの交代時間になったということは、もう時計は20時を示している。
「アーサー、お疲れさま。交代だ」
「あぁ、ありがとうバートン。引き継ぎだが――」
そうして、朝夜勤スタッフと交代した時のように、次のスタッフに引き継ぎを行い、一先ず今日の彼の業務は終了だ。
ちらり、と中央のデスクを振り返れば、そこにロマニの姿がない。恐らくダ・ヴィンチ女史のところだろう。ついでにそのまま部屋に帰って休んでくれないものか、と、叶わないことを考えながらも、引き継ぎを終えた彼は椅子から立ち上がった。
「……さて、じゃあ夕飯の前に」
あとの時間はフリータイムだ。とはいえ、いつ特異点が発見され、休めなくなるともわからない。スタッフは大抵、仕事を終えたら軽い食事をとってなるべく睡眠にはいるようにしている。
だが、彼にはもうひとつ、仕事がある。
「よっと」
彼は傍らにおいていたベンチコートとタブレットをいれたショルダーバッグを持ち上げると、冷凍保存室へと向かった。