「無責任に人と関わっている」と言われたことを受けて、なのか知らないが、2年前に募集して、他の人は一、二通で終わってしまっていたところを、一人だけ律儀に返事をくれていた文通相手の方への返事を、1年以上経った今出してきた。
これで責任が取れているかどうか分からないが(恐らく取れていない)、ずっと頭の片隅で気になり続けているのに忘れたふりをし続けるのが苦痛だった。
いい加減事情を話して苦痛から逃れようと思った。
自分は性格と経験から孤独を感じる時期があり、そういう時に新しい人を求めてしまう。
でも、安定した関係は殆どの場合築けない。
それに更に絶望して新たな人を求めてしまう……というスパンだったのだが、努めて新たな文通相手は作らないようにしている。
一対一の関係性だから、どうしてもそこに軽いものでも恩義が発生してしまう。
たとえば、「呟き」には答えようと答えまいと自由だ(他の人が返してもいい)が、手紙には返し続けなければ文通が成立しない(それも、出来るだけ早めに)。
これが、どうしても自分の場合ある時点から義務化しているような気がする。
最初の文通相手‐中学時代に知り合った、リアルでも顔を知っていて話も交わしていた人‐が原因だ。
最初は盛り上がっていて、何でも書けた。
封筒はお互い、とても分厚かった(80円では送れないくらい)。
しかし、ある時点から返事が疎らになり、また内容も他の友達にすごい人がいるなどの話になって、ひどく辛く哀しい気持ちになっていった。
私は親友というものに憧れていた。
漫画の話で盛り上がれた彼女は、その一人なんだと思い込んでいた。
高校生になり、メールなら返事を返せるよという言葉を信じて、ネットを親にねだって引いた。
あまりにも時期を見ないでねだりすぎたため、そのPCはMeでとても使いづらかった。笑
しかし、結局、メールにさえ返信をくれなくなり、衝動的に、どうせ返事は来ないのだろうと半分嫌がらせで試すような気持ちでチェーンメールを送った。
どうせ今度も、と思った。
けれども彼女は珍しく返信してきた。
「あなたにはついていけません。さようなら。」
それ以来の断絶と、未だに恋い慕う気持ちがお互いに存在し続けていて、結局のところ、中学時代に急に疎まれ始め、彼女に手紙を書けなくなったことが、他の文通相手を求めるきっかけになってしまったのだろうと思う。
それは失礼な話だし、相手もきっとつまらないと思うから、返事が二通で終わるのだろう。
私はとんでもなく自分勝手だ。
拍手で言われるまでもなく分かっています。
だから絶対にもう、文通相手は、相手から直に頼まれるまで作りません。
そして、そういう機会は、もう多分きっと訪れないでしょう。
ただ、こうして「無責任に広げた関係性」の一つは終わらせることができたのではないかと安堵しています。
誰しもが最初は知人ではない。
では、その後は……?
どうやって知人になっていくのか、知人になっても嫌いなタイプの人だったら付き合いは薄くするし、そうであったなら、GREEや文通で好きな話やいいことを沢山言ってくれる「仲の良い」人のほうがずっと友達的存在だと思った。
だからそうしていただけ。
自分に永続的友達はいない。
向こうにその意思があるのなら別だけど、多くの場合本当は無かったり、私の勝手な思い込みだったりするから、迂闊に信じると迷惑をかける。
こうして生きてきたのだから、それを「無責任な関わり」だと言われてしまうと、私の人生の半分程度が否定されてしまう、と思う。
12歳の時に、初めての大切な文通相手が出来てから。
手紙を書きたいと思える相手が出来てから。
それから今までの人生が、半分ぐらい否定されてしまう気がする。
でもその半分は今日自分でちょっとだけ否定、というか終わらせてきた。
というつもりである。