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強風の吹き付ける谷間、ひっそりと百合が咲いていた。

最近、小説が書けない。

想像や構成はするのだが、
書くのには力が要る。

だからノンフィクションでも書いてみようかなと思う。

前にBLやホモの話はしてきた。
しかし百合やレズの話は意識的に避けていた、何故かは分からないが無視したかったのである。

友人の家に逃げていたとき、
私は人間不信の理由を幾つか
友人に話した。

この経験はそうした中の一つだ。

私は、九州の中学に二年生の一年間だけ通った。
そこで起こった様々なことは、
その後のスタンスを決めた。

秋ごろ、私は「親友」のCちゃんに嫌われてしまい、学年や、クラス内での居場所を失っていた。
そんな中、遠足があり、DさんやEさんに、同じ班に誘われた。
DさんとEさんは、特別私と親しかったわけではないが、誰にでも温かく接し、人と人との関係を取り持つのが上手い人たちだった。

しかし、DさんとEさんは、私と関係のこじれたCちゃんや、私の苦手なFさんなども誘っていた。
Fさんは、体格が良く強気で、私も含めた他人の悪口をよく言う人だった。

私は、CちゃんやFさんとどうしても同じ班になりたくなかったので、GさんやHさん達の班に頼んで入れてもらった。

以前、Hさんは、他のクラスに在籍するAちゃんとBちゃんを、転入して間もない私に紹介してくれた。
AちゃんとBちゃんは、私と友達になりたいと、わざわざ来てくれたらしい。

それが嬉しくて、友達に飢えていた私は二人を歓迎したが、同時に、戸惑いも感じた。

何故なら、AちゃんもBちゃんも、やたらに私を可愛いと言ってきたからだ。
特に、Aちゃんが。

同性が、そんなことをしきりに言うのは変に感じられた。
からかっているのかと心配になり、訊いたが、そうではないと言う。
Hさんまでも私を可愛いと言うので、AちゃんやHちゃんも可愛いよ、と返したと思う。

そんな経緯で友達になった、私と彼女たちだったが、たまに会えば私が挨拶をするくらいで、特にどうということもなかった。

Hさんとも、それ以来目立って何か一緒にした記憶はない。
HさんはGさんやIさんとばかり絡んでいたからだ。

それでも、かつては友達になろうと誘ってくれたのだから、うまくいくかもしれない、と、Hさんの班に入れてもらったのだった。
しかし、それは間違いだった。

遠足で、自由行動になった公園内で、急に、Aちゃんを含む他クラスの人たちに取り囲まれた。

「何でこの班に来たの」

きつい口調でそう言われ、恐怖しながらも、違う人たちも誘ってくれたけど、どうしても一緒に居たくない人がいて、と説明した。

けれども、彼女たちは許さない。

「嫌な人は一人しか居ないのでしょ?なら、その班でいいじゃない」

「Gたちといつもは一緒にいないじゃない」

確かにその通りなので、何も弁解せず、ただ、謝り続けた。
彼女たちが、とても怒っているようだったからだ。

そんな私に、Aちゃんか、別の勝ち気な子が

「何が悪かったか、分かってないでしょう」

と言った。
私はしゃがんでうつむいたまま、怒りを鎮めてくれるよう願いながら、謝り続けるしかなかった。

やっぱり私が同じ班になるのは皆、嫌なんだ。
こちらから積極的に入ったから失敗したんだ。
何だか分からないけど、私のせいなんだ。
私がいけないんだ。

そんなことを、叱責を聞きながら思った。

私はすっかり自信を失った。
「親友」だけでなく、友達にも嫌われてしまうなんて、と。

先生に別件で呼ばれたとき、遠足の一件を先生は知っていて、私にこう言った。

遠足でのことは残念だったけれど、あまり気にしないように。
これからも積極的に友達を作りなさい。
あの子たちは特別だから。

けれども私は、Aちゃんたちに激怒された恐怖から、

「はい、でも、すみませんでした。私が悪かったんだと思います」

としか言えず、自責の念に震え続けていた。

以来、自分の心の奥底に、その経験は封印されていた。

Aちゃんたちに激怒されたのが、本当に怖かったからだ。
そして、そんな風にAちゃんたちを怒らせてしまった自分を、責めていたからだ。
優しくて可愛かったAちゃんたちの態度が、目の前で豹変したのはショックだった。

私が以上のことを友人に初めて話したら、

「それ、レズビアンじゃん」

と、言われた。

私はその意外さに目を丸くした。
そんなことは思いもよらなかったからだ。

「きっと、遠足では彼女たちだけでいちゃつきたかったんだよ」

俄かに信じがたかったが、可愛いと言われたときの違和感に納得がいくような気がした。

当時、私は硬派を気取り、男嫌いを標榜していた。

それを誤解して、レズビアンのAちゃんたちが、自分の仲間に引き入れようとしていたのではないか?と友人は言うのだ。

「でも、貴女がつれない感じだったから、その気がないと思って離れたのに」

遠足で私に居られると、邪魔だったのではないかと。

Aちゃんたちは、私を嫌いなわけではなかったが、遠足ではいちゃつきたかったのだろう、それを邪魔された、しかも一度は気のない感じだったのに。
それに対して彼女たちは腹を立てたんじゃないか。

と、彼は言った。

Aちゃんたちがレズビアンだったなんて。
9年間、人に嫌われる自分が悪かったのだと思い続けてきたので、尚も、認めてはいけないような気がしたが、一方で、恐怖感や不信感が自然とひいていった。

もし、Aちゃんたちがレズビアンだったなら、私は普段同性愛者だと言っているくせに、彼女たちの気持ちが分からなかったことになる。

もしもこの推測が正しいなら、改めてAちゃんたちに謝りたい。
何が悪かったのか、あの時は本当に、分からなかったのだ。
今、初めて分かった。

欲を言うなら、もっと分かりやすくアプローチをかけて欲しかった。
私は鈍感で気付かない。

捉え方を変えたら、嫌な記憶も、実はそれほど嫌でもないのかもしれない。

もしかすると、一生で、最初で最後の同性愛の経験だった。

身近に、可愛らしい百合の花が咲いていたのに、私は全くそれに気付けず、その花は枯れてしまった。

そんな出来事。

百合のことは知っていて、強風の中にもしたたかに咲く綺麗な花だと思っていても、その花が、自分の身近にも咲くという認識に欠けていたのだ。

登場人物の名前は全くの仮名です。
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